さらに、ソクラテスは、「徳」は知恵であると主張します。しかし、「徳」が知恵であれば教えられることになり、「徳は教えられない」という自身の意見と矛盾してしまいます。一方で、プロタゴラスは「徳」は知恵でないと言い、「徳は教えられる」という自身の意見と矛盾をきたしてしまいました。
こうして主張が反転してしまうような議論を経て、青年ソクラテスは、「徳は教えられるか」ということを自分の生涯の課題として考え続ける、という結論に至りました。
ソクラテスは晩年、この「徳は教えられるか」という命題に関連して、子供に悪いことを教えていると告発されて死刑になります。裁判では「無知の知」という論理を展開して、教えられないことを知っていると言いましたが、結果的には命と引き換えに、ソクラテスは後世に対して見事に「徳」を教えたことになります。
裁判で、自分は間違っていたと認めれば、死刑にはなりませんでした。しかし、彼は彼の言葉を彼自身の命よりも優先しました。ソクラテスにとって、彼の哲学は彼自身の命を超えた価値、すなわち宗教だったのです。
●たなか・まさひろ/1946年、栃木県益子町の西明寺に生まれる。東京慈恵医科大学卒業後、国立がんセンターで研究所室長・病院内科医として勤務。 1990年に西明寺境内に入院・緩和ケアも行なう普門院診療所を建設、内科医、僧侶として患者と向き合う。
※週刊ポスト2016年7月1日号