利根川心中事件においても、受給のための面談が自殺を早める一因となった。公的扶助論が専門の中部学院大学教授の柴田純一さんが言う。
「生活保護の面接では、決定に必要な調書作成のために、生活に行き詰まった経緯を詳細に伺います。成育歴や職歴、家族歴など、“何のために?”と思うことまで聞く場合があり、申請者の精神的負担は大きい。担当者はそれが受給資格につながることを説明し、何より“こんなみじめな思いをするなんて”と申請者が傷つかないように寄り添う姿勢が求められます」
市の担当者によれば娘と両親は面談時、手元に8万円の現金があった。申請して手続きは進んでいたが、明日食べるものがないという火急の事態ではなかったため、今回の申請にはひとり心を痛めていたのかもしれない。
生活保護受給は恥ではない。人間が人間らしく生きていくために、国から保障されている権利なのだ。大声で「SOS」を出すことで、今そこにある悲劇から逃れることができるなら、ぜひそうしてほしい。
一方で、「老後破産」という新たな問題が最近深刻化している。介護サービスを利用する金銭的余裕すらなく介護を続けていれば、いつ生活が回らなくなってもおかしくない。
「高所得者は介護保険適用外の高額のサービスを受けることができるので、介護離職する可能性は低いです。でも低所得者は介護と仕事を両立するしかありません。何とか持ちこたえていた家庭が、ある日突然破綻しても不思議ではありません」(河合さん)
こうした問題の背景には、日本と海外の社会保障制度の違いがある。河合さんが言う。
「北欧は、税金が高い代わりに政府が面倒を見てくれる政府型で、米国は民間のサポートを受ける民間型。日本は家族が介護を担う家族型です。一度は北欧型に移行して社会保障政策を充実させようとしましたが、うまくいかず、安倍政権は三世代同居政策を推進しています。ですが、この政策は結局のところ介護を家族に押し付けることになる。人に相談できずに孤立してしまうケースが増えるかもしれません」
近頃、介護現場の待遇改善が叫ばれている。しかし今、私たちが考えるべきは、政府が推し進めようとしている家族型への回帰でいいのか、ということ。
そして繰り返すが、まずはひとりひとりが、置かれている状況を鑑みて、必要な助けを知り、求めること。二度とこの悲劇を繰り返さないために…。
※女性セブン2016年7月28日号