かつて日本共産党の機関紙『赤旗』の平壌特派員だったが、北朝鮮と日本共産党のデタラメぶりに憤り敢然として批判する側に回った作家萩原遼(はぎわらりょう、『北朝鮮に消えた友と私の物語』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞)は私との対談で次のように語っている。
〈井沢:金日成が帰国運動に目をつけたのは、北朝鮮に足りない技術や医者などを補(おぎな)うためではなかったのですか。
萩原:最初は千里馬運動(北朝鮮が朝鮮戦争後に復興・建設事業を進めるために行なった運動。引用者註)のための単純な労働力だったと思います。
井沢:奴隷労働みたいなものですか。
萩原:朝鮮戦争で100万人ほど労働力が失われたでしょう。その補充というのがあったと思いますが、そのうちだんだん知恵がついてきて、まず技術のほうが役に立つことがわかったり、金持ちの家の子どもを人質に取って、日本にいる親からせびるとか、いろいろ選択するようになってきたのです。
(『朝鮮学校「歴史教科書」を読む』祥伝社刊)〉
この「人質政策」によっても多くの在日朝鮮人は犠牲になったと考えられる。つまり本当は「北朝鮮は地獄だ」と真実を口にしたいのだが、身内を人質にとられていてはそうもいかないというわけである。なにしろ北朝鮮にいる人間を、今でも独裁者は一存で裁判もなしに銃殺することができるのだから。その実態は北朝鮮が崩壊しない限り、つまり人質が解放されない限り白日のもとにさらされることはないだろう。
こうした事態を招いたマスコミの責任は重い。特に北朝鮮に幻想を抱いているとしか思えない、あるいは日本人ではなく北朝鮮人ではないかと思えるぐらい理屈抜きで北朝鮮の体制を支持する人たちによって、日本のマスコミは牛耳られてきた。
それが日本の戦後史の現実である。