「父を早くに亡くし、母親はずっと働いていましたから、私も働くのは当然と思って育ちました。だから若い頃は、結婚に対する憧れ、みたいなものは全くなかったんです。むしろ仕事で成功したい気持ちが強かった。就職氷河期に、希望の商社に入れたんですよ、私。そりゃ頑張りますよね。20代後半まで長く付き合った彼がいたのですが、保守的なところがあって、休日に仕事をすると機嫌が悪くなるんです。それで別れました。仕事より大事な人が現れない限り、結婚する必要はないと思っていましたね、本気で」
男友達は多いが、恋愛経験は豊富ではないという。それでも、仕事で成功できればそれでいいと思っていた。私はそういうタイプなのだとも。しかし、思いがけない形で転機が訪れる。
「33歳のときに、母が倒れたんです。プロジェクトリーダーに抜擢された直後でした」
脳梗塞で、幸い一命はとりとめたが、後遺症が残った。美希には妹と弟がいるが、妹は出産直後、弟は仕事で九州にいた。母親の介護は、独身で近くに住む美希が中心にならざるをえなかった。
「母の家族や、ヘルパーさんの力を借りることもできたので、私一人で頑張ったわけではないのですが、3年くらいは大変でしたね。何より、思うように仕事ができないのがつらくて。プロジェクトからは外されました。このとき初めて、ああ、仕事では、私の代わりなんてたくさんいるんだなと悟ったんです。同時に、ああ、あの時、なんで私を選んでくれた彼と結婚しておかなかったんだろうって後悔して。結婚と仕事を天秤にかける愚かさを思い知ったというか……」
美希の頭に人生で初めて“結婚”の文字がちらつき始めた時、既に30代半ばに突入、出会う男性は既婚者ばかりになった。心の支えもない中、介護と仕事で疲労が重なり、半年間、休職することに。38歳のとき、グループ会社へ出向となった。
「“介護”という、同情を得られる理由があったから、周囲の目は温かかったんです。課長に昇進もできて、今の仕事ももちろん責任をもってやっていますが、はっきり言って、以前と比べたら物足りない。だから趣味や交友関係を充実させるようになったんです。そこから学べることもあるだろうし、出会いも欲しかったから」
美希は受験戦争を勝ち抜いて都内の有名私大に入り、就職戦線を勝ち抜いて総合商社に就職した。出向は本意ではなかったが、それは母の病という外的要因によるものだった。休職をへて心身ともに回復した美希にとって、いまだ人生は「頑張れば結果が出る」ものなのだろう。よく働き、よく遊び、よく学べ、それが美希だ。