古代インド哲学の課題は「自分が死ぬという苦」でした。お釈迦様は「自分」という執着の要素を空っぽにすることで「死ぬという苦」を解決しました。この状態を「無執着」といいますが、自分に執着しないのであって、他人の不幸にも無執着という意味ではありません。お釈迦様は「筏の譬喩」を用いて「無執着」を示しました。
たとえば、旅人が大河に行き当たりました。河の此岸は苦に満ちていて、彼岸は楽の世界でした。旅人は筏に乗って河を渡りました。彼岸に到達したなら、筏(仏教)をどうすべきでしょうか。旅人は筏を捨てて旅を続けるべきなのです。自己執着を捨てる仏教は、仏教自身に執着しないのです。これが無執着という知恵(般若)の完成(波羅蜜多)です。
般若心経の「般若波羅蜜多」という言葉は古いインドの言葉「プラジニャー・パーラミター」の音写(音を漢字で表した訳語)で、「般若」は知恵、「波羅蜜多」は完成という意味です。さらに「波羅蜜多」は、筏の譬喩から、パーラム(彼岸に)イ(到る)ター(状態)、つまり「到彼岸」と詩的に意訳されました。そして大きな筏に乗せて人々を苦の此岸から楽の彼岸に渡すという運動が起こり、これが中国経由で日本に伝わった大乗仏教です。
このような仏教が日本の伝統文化となり、日本人の宗教となりました。多くの日本人の宗教(価値観)は、西洋の一神教のような「唯一の神を信仰する」という宗教ではなく、自分という執着を捨ててあらゆる生き方を尊重するという平和の宗教なのです。
●たなか・まさひろ/1946年、栃木県益子町の西明寺に生まれる。東京慈恵医科大学卒業後、国立がんセンターで研究所室長・病院内科医として勤務。1990年に西明寺境内に入院・緩和ケアも行なう普門院診療所を建設、内科医、僧侶として患者と向き合う。2014年10月に最も進んだステージのすい臓がんが発見され、余命数か月と自覚している。
※週刊ポスト2016年9月16・23日号