押切:絵を観て火事と勘違いした人がいたという逸話があるそうですが、納得します。暗闇に浮かぶ炎と蛾という、一見すると子供の頃に怖かった2つがこうして美しく映るのは、命あるものが消えていく儚さや切なさが闇の中に薄く溶けゆくように感じられるからでしょうか。
山下:仏教的な無常観ですね。御舟は試行錯誤を重ね、すさまじい努力でこの表現を突き詰めました。
押切:対照的に、『桃花』には強い生命力を感じます。つぼみや画面を横切るように描かれた枝に、「まだ伸びていくんだ」という逞しさや可能性が満ちています。
山下:御舟は、「梯子の頂上に登る勇気は貴い、更にそこから降りて来て、再び登り返す勇気を持つ者は更に貴い」と話しています。繰り返しを嫌い、常に新しい画風を求めて自己変革を続けた。『翠苔緑芝』の紫陽花の表面がひび割れているのは御舟独自の技法で、絵の具に何か薬品を混ぜたようだし、『名樹散椿』では金泥を塗ったり金箔を貼ったりした金地ではなく、金砂子(きんすなご)を大量に撒いた「蒔きつぶし」技法を試みています。継ぎ目がなく、これほど完璧にスーパーフラットな金地は他に類を見ません。
押切:私も絵を描いたり小説を書いたりしますが、モデルの梯子を降りきらずに別の梯子を登るように挑戦したい。御舟のチャレンジ精神にはつくづく感心します。
◆押切もえ(おしきり・もえ):1979年生まれ。モデル、作家。読者モデルを経て、雑誌『AneCan』の専属モデルに。2016年に小説『永遠とは違う一日』が山本周五郎賞候補に。絵画は「二科展」に今年で2年連続入選。
◆山下裕二(やました・ゆうじ):1958年生まれ。明治学院大学教授。美術史家。『日本美術全集』(全20巻・小学館刊)の監修を務める。笑いを交えた親しみやすい語り口と鋭い視点で日本美術を応援する。
撮影■太田真三 構成■渡部美也
※週刊ポスト2016年11月4日号