映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、全国東宝系にて公開中の映画『グッドモーニングショー』に主演する中井貴一の言葉から、1988年に大河ドラマ『武田信玄』で主人公の信玄役を演じた当時について語った言葉をお届けする。
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中井貴一は1988年、NHK大河ドラマ『武田信玄』で主人公の信玄役を演じた。ちなみに、大河第一作『花の生涯』は、父・佐田啓二が主演している。
「『信玄』は26作目なんですが、綺羅星のごとく素晴らしい俳優さんが出てきた中で、26名しか主役を演じた人はいないわけですよね。その最初を父がやり、26本目に話をもらったということだけで光栄な気がしました。しかも、父は山梨の韮崎で亡くなっているのですが、その父が亡くなった土地の武田信玄という役が僕のところに来たというのも大きな因縁だと考え、引き受けました。
でも、多くの方からは止められました。前の年が『独眼竜政宗』でしたので、『比較されるし、そんなに視聴率はとれないよ』と。だけど、そう言われれば言われるほどやりたくなるのが僕なんですよ。『じゃあ、やってやろう』と思いました。
僕を主役として認めないスタッフもいたようです。いじめに近いこともありました。でも、それに徹底して立ち向かおうという一年でしたので、人間的に鍛えられましたね」
物語の終盤では、当時まだ二十代の中井が晩年の信玄の貫禄や声色などを巧みに演じている。
「歳を重ねるとはどういうことだろう、と思って、お年寄りの歩き方を常に見ていました。歳を取ると何が違うのかといったら、歩き方だと思ったんです。足が上がらなくなるとか、両足の間隔が開いていくとか。
時代劇の口跡は、いろいろな先輩を観て勉強しました。『こういうトーンで喋った方が時代劇にはいいだろう』って、家で練習しましたね。ですから、家にいる自分は見せられないです。どういうトーンで話すかをずっと探っているわけですから」
デビュー間もない1982年のNHK時代劇『立花登青春手控え』に始まり、近年も映画『柘榴坂の仇討』など、数多くの時代劇に出演し続けている。