帰国事業真っ盛りの1950年代から1960年代はじめ、日本で貧困に苦しんでいた在日朝鮮人だが、その後の日本の経済発展に溶け込み、定着しながら、徐々に生活が豊かになっていく。日本社会で生活が落ち着きつつあった在日朝鮮人は、徐々に帰国する意味を失うと同時に、帰国者たちのその後の悲惨な生活ぶりが聞こえてくることにより、帰国事業自体が尻すぼみとなっていく。
そして、帰国者たちは日本にいる親戚に支援を請うようになるが、これが彼らに対する新たな差別を呼び起こすことになる。
日本から送られてきたありとあらゆる支援物資を手にした帰国者たちに対して、現地住民は妬み、差別意識を増長させていき「帰胞(キポ)」(帰国同胞)と呼んで蔑んだ。
帰国者のなかで最も惜しまれる1人が、舞踊の天才「崔承喜」だ。彼女の踊りは、日本だけでなく、ヨーロッパ、アメリカでも話題を呼び、ピカソやジャン・コクトー、川端康成等多くの文化人を魅了した。朝鮮人でありながら、化粧品や百貨店の広告のモデルに採用され、雑誌でも頻繁に特集されるなど、まさに当時を代表するスターの1人であり、ファッションリーダーでもあった。
その彼女も1967年に「ブルジョワおよび修正主義分子」として粛清される。2003年に「人民俳優」として名誉回復されたとされているが、世界に通じる舞踊手の才能を潰してしまったことは間違いない。
もちろん、なかにはある程度の成功を収めて、現地住民と同じような境遇で生活する帰国者もいるが、圧倒的多数が夢破れて辛苦に満ちた厳しい人生を今でも送っている。
帰国事業は、在日朝鮮人運動の忌むべき1ページと言える。しかし、決して葬り去られてはならない。なぜなら悲劇は過去の1ページではなく現在進行形だからだ。今現在も多くの帰国者やその子孫が、金正恩体制の人権弾圧によって苦しんでいる。
そして、帰国者の苦しみはそのまま北朝鮮の民衆の苦しみでもある。新たな1ページをめくるためにも、こうした現実に目を背けず、過去をしっかりと見つめることが在日朝鮮人に求められている。
※SAPIO2016年11月号