改めて2020年の東京五輪を見てみると、経済成長は今後、あまり見込めせん。人口も減りつつある。予算オーバーをしては、後で払えるかすらおぼつかないのです。ビッグプロジェクトのリニア中央新幹線は、2027年頃の開業予定で間に合いません。強いてやるならIT関連の整備と、キャラクターなどのソフト面の充実です。つまり2020年の五輪開催を契機に、やるべき大きなインフラ整備は、あまりないのです。
続いて競技施設建設の過剰な要求ですが、これは、ほどほどになさるがよろしい。元々、2020年の真夏に開催することが、大いなる妥協なのですから。夏季開催は、92年のバルセロナオリンピック以降、IOCの暗黙の了解事項(2000年のシドニー大会は例外)になっています。それはアメリカのメジャースポーツのイベントが少ない時期に開催したい意向を汲んでのことです。それにより視聴率もUPし、多額の放映権料がIOCに入ってくる。いわば五輪ビジネスのために、日本政府は真夏の開催を受け入れたのです。
この日本で真夏に開催をしながら、アスリートファーストもないでしょう。選手村の分村はけしからんって、だったらまずスケジュールを10月に戻してください。そのほうがよっぽど、アスリートのためになると思いませんか?
要するにオリンピックは政治的思惑と組織の利権で動いているのです。施設のレガシー化にしても、北京やアテネの旧競技施設の荒廃ぶりを見れば、お分かりでしょう。競技施設の分散化も、ロンドン五輪ではスコットランドからウェールズまで、全展開でした。
IOCの注文と、実際に行われていることの違いに、驚きを隠せません。日本がお金持ちと思われて、要求が厳しいのかも知れませんけど…。
日本のメダル獲得数は、96年のアトランタオリンピックが最悪で、金が3、全部で14という有様でした。その後、これではいかんと強化策が実施され、アスリートが続々育ったのです。リオが最多の41メダルで、2020年はこの上を狙おうといわれてます。それは素晴らしい考えですが、競技会場はどんなものだろうが条件は一緒ですよね。だからメダル獲得と、立派な競技施設は、関係あるようでさほど関係ないと思います。まさか、日本選手に有利な競技場を作るとか、そういうのはあり得ないですしね。
どんな競技場だろうが、選手同士の条件は皆一緒。だったら、ほどほどの施設でいいと思うのですが…。低経済成長と人口減時代にふさわしい、オリンピックにしてほしいです。つまり1964年の東京五輪を反面教師と見たほうが良さそう。そう考えると、借金を残さないことこそがレガシーだと思うのですが、いかがでしょうか?