2014年10月に最も進んだステージのすい臓がんが発見され、余命数か月であることを自覚している医師・僧侶の田中雅博氏による『週刊ポスト』での連載「いのちの苦しみが消える古典のことば」から、クリスマス聖歌の「クリスマスの故に永遠に生きる」の解釈を田中氏が解説する。
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キリスト教の総本山ともいえるローマ教皇庁では、世界中から多くの歌手を招いてクリスマスコンサートを開いており、2001年のコンサートはDVDになっています。そのDVDは教皇ヨハネ・パウロ2世がクリスマスキャンドルを灯す場面で始まります。
会場は座席数が6300もあるバチカン市国のホールです。その翌年2002年には、私はバチカンの医療国際会議に招かれ、このホールの壇上に登ってヨハネ・パウロ2世と握手したのでした。
音楽会は著名歌手達による『聖しこの夜』で始まり、次がトム・ジョーンズのソロで『マリア様の男の子』です。彼は「イエス・キリストがクリスマスの日に生まれた」と歌っていますが、実は間違いなのです。
その証拠は、続く歌詞にある「羊飼いが羊の群れを見ている夜」です。羊飼いが野宿をしながら羊の群れを見るのは、昔も今も子羊が生まれる春だけなのです。この歌詞は、イエス誕生の日を示す唯一の史料、新約聖書ルカ伝第2章に依っています。ルカは医者でイエスの弟子、聖人なので漢字では「聖路加」と書きます。
春に生まれたイエスの誕生祝いを、なぜ冬に行なうのでしょう。それは初期のキリスト教会の戦略だったようです。コンスタンティヌス帝がキリスト教など、ミトラス教以外の宗教に寛容を示した313年ミラノ勅令(全帝国市民の信教の自由を保障したもので、このときにようやくキリスト教が公認された)以前に誕生祭は始まったと考えられます。
ミトラス教の太陽神が冬至を過ぎて復活する12月25日のお祭りに紛れて、イエスの誕生を祝ったのでした。当時は日没から一日が始まっていたので、現在のクリスマス・イヴは25日だったのです。その後、392年にテオドシウス1世がキリスト教を国教化し、隠れて祝う必要がなくなった後も、イエスの降誕(誕生)祭は12月25日のまま続けられました。