映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった本誌・週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、10月22日に82歳で亡くなった故平幹二朗さんが、かつて本連載登場時に語った言葉からお届けする。
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平幹二朗が亡くなった。今回は彼への追悼の想いを込めて、本連載登場時に遺していただいた「言葉」を振り返りたい。近年、舞台を観ていると感情を込め過ぎて役者の台詞が聞き取りにくいことが多い。だが、平の芝居は最後まで台詞が聞き取りやすく、その上で感情がきっちりと伝わってきた。そこには平なりのこだわりがあった。
「その言葉をはっきり客に伝えるのが役者のやるべきことではないでしょうか。お客さんに届いて初めて台詞だと思います。
ですから、感情を込め過ぎてもいけません。叫んで喉を使ったりすると必要以上の力がその声に伝わって声が割れて、音として独立して聞こえてこない。あくまでクールに言葉を伝えていかなきゃいけない」
六十年近くに及ぶ役者人生を歩んだ平だったが、近年になって舞台で脇に回ることが増えてきたことでは悩んだという。
「芝居では主役を四十年くらいやってきて、この十年くらいですかね、脇に回るようになったのは。脇役だと、主役時代のグッとくるものがないのは事実です。これは俳優には越えていかないといけない過程なのですが、僕は来るのが遅かった。芝居の主役の手応えっていうものは、体が忘れないんです。理性ではもう僕はそのポジションじゃないと分かっているのですが」
最後の舞台となった『クレシダ』では、演技の様式や型の重要性を若い役者に説く老役者を演じた。その様は、盟友・蜷川幸雄とかつて交わした論争を思い起こさせるものがあった。