「蜷川さんは『ちょっと放っておくと平さんは“形”になっていくんだよ』と言っています。僕が“形”を見て知っていることは彼には邪魔だったのかもしれません。『長谷川一夫じゃないんだから』とか言われました。『“形”になり過ぎる』と。“形”も必要だけど、もっとリアリティを込めろと言いたいのだと思います。それは分かっていましたが、表現なのですから、階段を一つ駆け降りるにしてもカッコよくというか、荒っぽい中にも美しさがいると思うんです」
亡くなる少し前まで舞台に立ち名演を見せ続けた平。しかも今年だけでも『王女メディア』『クレシダ』と、いずれも狂気の役柄を八十歳を超えてもなお、精力的に演じていた。子供の頃は引っ込み思案で、後になってもそれは変わらなかったという彼が、客前で狂気を演じるという行為に駆り立てられ続けたのは、なぜだったのだろう。
「僕は自分では自分の言葉で内面を外に出すことができません。そこに役という仮面があると自分の内面が自由に動き出すんです。仮面があることで安心して、悪い衝動も毒々しい衝動も、悲しみも、そういうものが全てマグマのように噴き出してくるんです。
僕の中に持っていたものが、この時とばかりに押し出されてくる感じはありますね。ですから、まがまがしい役をやる時って、工夫するのに苦労した記憶はないんです。そういうものが一瞬湧いて拡大していくと、面白く転がっていくというか」
平は最後まで、「役者」として言葉を放ち続けていたのだ。
●かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『役者は一日にしてならず』(小学館)が発売中。
◆撮影/藤岡雅樹
※週刊ポスト2016年12月23日号