私なんかも、のべつ怒っているようで、悪意があったかを識別して、怒ったり、怒るのをやめたりしているんです。でも、いまの日本人は悪意のない事故さえ、あきらめたり、許したりできなくなった。自分が被った損失や痛みを、相手を苦しめることで癒やそうとする、情けないことになっているんです。
そんな思いを込めて書いた章なんだけど、あまり共感を得られなかったみたい。やっぱりそれが今の日本だなと思うんです。
高度成長のころまでの日本人は、働け働けでしゃかりきに生きていましたが、ゆとりができてからあれこれ考えるようになりましたね。損をしたくないとか、楽に儲けようとか、変わっていった気がします。私は社会評論家じゃないので詳しくはわかりませんが、漠然とそう感じます。
「本が売れたからってなんぼのもんじゃい」という感じをはっきり言って私は持っていて(笑い)。そう言うと本を買って読んでくれた人への感謝がないのかと思われるけど、「読まれる」のは一番うれしくてありがたいことですよ。
「テレビに出たら本が売れる」とか言われると、気に入らないのよ。われながらそこは偏狭で、金を手で受け取るのも嫌がったという先祖のじいさんの霊がついてるんじゃないかしら。
ただ、出版社の人が、売れてほしいというのはわかります。相手の立場というのがわかるのも九十歳になったからで、若いときは全然わからなかったですね。
怒り方だって、これでも昔よりはだいぶ、怒りが持続しなくなったんですよ。かつてのうちの夫婦喧嘩なんて壮絶で、亭主が集めていたサボテンの鉢を片っ端から投げ合って、たまたま居合わせた友達が「まったくここのうちはかなわんよ」と言いながら掃除をしてたぐらいですから(笑い)。
●さとう・あいこ/大阪市生まれ。甲南高等女学校卒業。『戦いすんで日が暮れて』で第61回直木賞、『血脈』で第48回菊池寛賞、『晩鐘』で第25回紫式部文学賞を受賞。『九十歳。何がめでたい』などの著書がある。
※週刊ポスト2017年1月1・6日号