写真右奥には大統領が執務を行う青瓦台が控える
3日夕刻、早速市民が続々光化門広場に集まりだす。既にホコ天となった周辺道路は閉鎖され、韓国おでんだの豚串だのを売る露店が軒を連ねる。蝋燭のLED電球が売られ、「朴槿恵辞任豆乳」なる即席グッズも出回る始末。このデモが“祭り”であることを益々私は確信する。
しかし光化門広場の中心部に設置された黄色のリボンのモニュメントまで来た際に、私の足は止まらざるを得なかった。それは2014年4月に沈没したセウォル号事件の犠牲者を追悼するものであった。併設されたテントには高校生ら犠牲者の写真が整然と並べられ、人々が沈痛の表情で入れ代わり立ち代わりそれを眺めていく。蝋燭の形は犠牲者たちの鎮魂を意味した。日没、益々厳しさを増す寒さとは裏腹に、光化門は人で立錐の余地なく埋まった。私は全体像を見ようと博物館屋上に上った。
170万人は言い過ぎだが、確実に30万人は居る。まこと壮観の一言である。夜7時になると群衆は一斉に手に持ったライトを消す。セウォル号が沈没して犠牲者が塗炭の苦しみを味わっているその7時間の間、朴は美容整形で麻酔中であった、というまことしやかな疑惑にちなみ、7時に一斉に消灯するのだ。
黄海沖に沈んだままのセ号にはいまだ9名の犠牲者が閉じ込められている。野外ステージと見紛うような、サーチライトに照らされた巨大舞台に立つ登壇者は、必ずこのセ号事故における朴の不手際と体たらくを指摘し、その度に群衆は朴非難の大合唱を始める。
かつて日本でも、愛媛県の水産高校の実習船「えひめ丸」が米原潜グリーンビルに衝突された際、事故報告を聞きながらゴルフを続けたことで批判された森喜朗の例があった。失言も相まって森内閣はすぐに国民的熱狂を伴った小泉に交代した。が、すぐに禅譲できる議院内閣制と韓国の専制君主にも似た大統領制は違う。
無辜の若き同胞が死にゆく中、美容に没頭していた朴への怒りは凄まじい。朴が迅速に対処していたらセ号事故の死者数が違っていたかどうかはわからない。しかし明らかに、韓国国民の朴への怒りの根源は、あのセ号事件が大きな比重を占めていることを感じた。崔順実との共謀云々は、付帯する怒りの要素の一つであって決定打ではない。