明治時代に西洋の言葉の翻訳語として「宗教」が使われて「信仰」と誤解されるようになりました。「信」と漢訳されたサンスクリットは4つありますが、ヒンドゥー教で神への信仰を意味するバクティは仏典には出てきません。梵天勧請説話でもサッダです。サッダはサンスクリットではシュラッダーで信頼を意味します。
お釈迦様が説法を決意した当時、インドには婆羅門と沙門の2種類の宗教者達がいました。このうち沙門はインドの神々を認めない出家修行者です。彼らは「不死」を求めてヨーガの修行をしていました。お釈迦様は婆羅門にではなく沙門に対して説法を決意したので「バクティを捨てよ」とは言わなかったのです。
他に、信解と漢訳され理解するという意味のアディムクティ、浄信と漢訳され偏見をもたないという意味のプラサーダがあります。偏見を持たずに、お釈迦様が説法された四諦(第1~6回参照)を理解するのが仏教の「信心」なのです。
●たなか・まさひろ/1946年、栃木県益子町の西明寺に生まれる。東京慈恵会医科大学卒業後、国立がんセンターで研究所室長・病院内科医として勤務。1990年に西明寺境内に入院・緩和ケアも行なう普門院診療所を建設、内科医、僧侶として患者と向き合う。2014年10月に最も進んだステージのすい臓がんが発見され、余命数か月と自覚している。
※週刊ポスト2017年1月27日号