ISが支配しはじめたころのモスルは、まだそれほどの緊迫感はなかった。物価が下がり、食料もシリアやトルコから潤沢に運ばれてきた。ISも、自分たちに従う者に対しては比較的柔軟だった。成人男子はひげを生やすこと、イスラムの民族衣装を着ること、携帯電話を使わないことを守れば、自由があったという。
しかし、徐々にしめつけが厳しくなり、若者だけでなく、子どもにまで兵士としての訓練をはじめた。いつの間にか恐怖が支配し、生きている心地がしなかったという。
ある父親は、モスルのセンター病院に、白血病の3歳の子どもを連れて行った。そこで、ISから「子どもの命を助けたかったら、仲間になれ」と脅される体験をした。「とんでもない」と断ると、今度は法外な治療費を要求された。
家に帰ると弟思いの長男が、「弟を助けるためなら、オレがISに入る」といきり立った。そんな長男を、父親は思い切り殴りつけた。息子の命を救うために、もう一人の息子を人殺しにしたくなかったのだ。
その後、父親はISの目を逃れ、モスルから脱出。ようやくナナカリ病院に白血病の子どもを連れてくることができた。
ナナカリ病院と同様、ぼくたちが支援している外科のロジャワ病院も訪ねた。この病院は、アルビル市内のモスルに近いところにあるため、救急車が次々と急患を運び込んでくる。
ちょうどぼくが訪ねたときは、ダムダム弾という、弾頭が体内で炸裂する武器で、のどを撃たれた男性が搬入されてきた。特殊警察の警官だという。
「人間のすることではない」と泣き崩れる中年の女性がいた。ISが撃ったロケット弾で、夫と3人の子どもが命を落とした。一人だけ生き残った息子が、いま生死をさまよっている。
この病院には、アルビル郊外のハーゼル難民キャンプからの患者も多い。この2か月間、モスルからの避難民が多く押し寄せ、3万5000人まで増えた。
難民キャンプと病院の間には、橋がかかっている。ISが撤退するとき、この橋を爆破した。そのため、今は仮設の橋だ。避難民は、その頼りない仮設の橋を渡って、病院にやってくる。