私の知る限り、アジア各国にはいまだに日本人の感情の激変性を恐れる人達は少なくない。彼らは、日本人はしばらく我慢を重ねるが、ある時をきっかけに、突然、溜まり溜まった不満を爆発させ暴れ出すという国民性に慄いている。
その国民性ゆえ、平時は武力行使を禁じる憲法を尊んでいても、「中国に好き勝手やられている」「日本は泣き寝入りしている」と感じ続けた結果、中国の尖閣上陸か何かのタイミングで、「自衛隊は何をしている」とヒステリックになりかねない。そうなった際に「血が流れるなんて知ったことか。自衛隊をどんどん送り込め」という世論が沸騰することはないだろうか?
法による拘束力とは、非常時における国家意思の前においては極めて脆弱である。1977年のダッカ日航機ハイジャック事件で日本政府は、「人命は地球より重い」として、超法規的措置で獄中の日本赤軍メンバーを釈放して身代金まで与えた。定められたルールや法的手続きを一挙に飛び越えた実例である。
「シビリアン・コントロールが大事」と多くの国民は考えているだろうし、それはその通りだ。しかし、シビリアン・コントロールとは、政府が軍を動かし、その政府を国民の意思で動かすということだ。つまり、どこまでの犠牲を払って、何を、なぜ、守るのかを、国民が感情を抑え、理論的に合理的に自分たちで決めるということだ。
その結果であればこそ、自衛官に生きていたいという本能をねじ伏せさせて死地に赴かせる価値がある。また、そうであるのなら自衛官は胸を張って、誇りを持って、多くのものを諦め国民の期待に応えようとする。そのことをどれだけの日本人が自覚しているだろうか。
安全保障の環境が激変し、自衛隊員の死が現実味を帯びる今日、国民の側に「覚悟を伴う決定」が求められている。(談)
【PROFILE】いとう・すけやす/1964年生まれ。日本体育大学から海上自衛隊へ入隊。「みょうこう」航海長在任中の1999年に能登半島沖不審船事件を経験。後に海自の特殊部隊「特別警備隊」の創設に関わる。現在は退官し、警備会社のアドバイザーを務めるかたわら、私塾にて現役自衛官の指導にあたる。著書に『国のために死ねるか』(文春新書)。
※SAPIO2017年2月号