日本で診察を受けると、医師は「なぜここまで悪化させたんですか?」と顔を曇らせました。悪化した腎盂腎炎で人工透析の一歩手前の状態だったそうです。
親元に身を寄せて、治療が始まりました。アメリカから持ってきたお金はすぐに底をつき、何かと援助してくれていた親は、わけあって離婚。とうとう生活保護を受けながらの治療になりました。無料の治療費がどれだけありがたかったか。
日本でしっかり治療に専念してからアメリカに帰る。電話でチャンにそう伝えると、「う~ん」といい返事をしません。
だけどまさか一方的に離婚をつきつけられるとは…。カリフォルニア州では、半年間の別居で離婚が成立するのは知っていましたが、このタイミングで? と思うと、返す言葉が見つかりません。
実は、すでに新しい女性がいたのです。
「だってきみは帰ってこられるかどうか、わからないじゃないか」
これが夫の言うことでしょうか。そっちがその気なら争おうかとも思ったけれど、仕事も貯金もなく、私にあるのは病気だけ。弁護士費用などを考えると、勝ち目はありません。
ただ気がかりなのは子供のこと。病身の体を引きずるように渡米すると、子供は「日本語が話せないからアメリカに住みたい」と言います。だけど、病身の私が子供2人を引き取りアメリカで暮らすのは不可能です。
子供は夫がアメリカで育て、私は日本から教育費と養育費を送れば、「子供たちに会わせてやるよ」というのがチャンの言い分。
中国系アメリカ人だから、とは言いませんが、これほどひどい条件を突きつける日本の男もそういないはずです。
離婚して帰国した私は、翌月から、2人の子供に月々10万円を送らなければなりません。
さて、どうする。成田空港に着いた私は、身も心もボロボロ。長い間、ベンチから立ち上がれませんでした。
《次回につづく》
※女性セブン2017年2月23日号