【2】街角のロケーション多用は、居場所探しの不安と響き合う
井の頭公園のベンチ、吉祥寺のアーケード、高円寺の駅前広場、新宿の高速バス乗り場。看板も隠さず特徴的な建物や屋根、街角の個性をはっきりと映し出す。だから、中央線沿線出身の私としては、一瞬にして場所を特定できる。あああそこだ、と。
東京の街がそのまま、ドラマの中に露出してくる。大都市に上京してきた若者たちのリアルな感覚が伝わってくる。都会の勢いに呑まれそうになりながらも街の熱に惹かれ、何とか居場所を見つけようとしつつ、居場所の無い不安に包まれる。
夢を追いかける青春像を描き出すための舞台装置として、東京の街のロケはどうしても必要だった。そう感じさせてくれるのです。
【3】映像にしかできないことを求めて
太鼓叩きが音を出す。神谷の手が反応する。また太鼓の音が響く。手が動く。自然発生的に、セッションが生まれていく。言葉にはならない「ノリ」「速度」「間合い」が、実にスリリングに伝わってくる。
あるいは、深夜の町を延々と歩いていくシーン。ネオンを脇に、疾走する青年。かぶさる路上ライブの音。文字で伝える以上に、映像が物語ることがある。
夢を諦めていった人たち。辞めていった芸人たち。途中で挫折した人たち。若い時に人生と格闘したことがある人たち。ドラマ『火花』は全ての無垢な魂にむけた、みずみずしい応援歌です。
NHK総合、『ダウントンアビー』後続の枠で放送されていることも幸運と言っていい。CMによって断絶されない分、視ている側の「夢も覚めないで持続する」効果がある。
10回連続の『火花』に、2時間程の通常の長さの映画で実現できなかった「独特の娯楽世界」と「視る至福」を感じっているのは、果たして私だけでしょうか?