◆社長になって最初にしたこと
シャープの経営危機が最初に露呈したのは、三千七百六十億円もの最終赤字を計上した二〇一二年三月期決算だった。同期、ソニーとパナソニックも巨額の最終赤字を計上し、大手家電三社の最終赤字は一兆六千億円を超えた。赤字の主因は、三社ともテレビ事業の不振であった。
三社では再建を目指し、トップ交代を断行した。しかしシャープでは、権力闘争がはびこり、社員の「心をひとつ」にして再建に向かうことを困難にした。そして何かあれば、自分は責任逃れに終始し、部下に責任を負わせる役員や幹部に失望し、優秀な社員ほど自ら去っていった。
結局、シャープは自力再建を断念し、救いの手を求めることになる。最初に手を挙げた産業革新機構が有利と思われたが、シャープは鴻海を選び、二〇一六年八月十二日、その子会社となった。
翌八月十三日、鴻海グループ副総裁の戴正呉氏(六十五)がシャープの新社長に就任した。戴氏は鴻海に入社後、ソニーとの取り引きで大きな業績を挙げたことが創業者で経営トップの郭台銘氏(六十六)に高く評価され、彼の「右腕」となったと言われる。当然、日本語は堪能である。ソニーの元役員は、鴻海精密工業との取り引き開始の頃をこう話す。
「EMS(電子機器の受託生産)の取り引きを始めた頃は、鴻海はまだ年商が五、六千億円だったと思う。いまではソニーの約四倍で、立場が逆転した。ソニーは業績不振から十年近くも大規模なリストラを続けたが、クビにした大量のエンジニアの受け皿となったのが鴻海だ。だから、鴻海の製品はソニーの社員が作っているのでソニー製品と(品質が)同じだと言ったものです」