「最初は口コミで配っていましたが、朝日新聞の『声』に掲載されてからは、全国から電話やお手紙で、譲ってくださいと連絡がくるようになりました」
そうして、桜の縁がつながっていった。山口県の吉田祐子さん(仮名、70代)もその1人。
「亡くなった母が宮崎出身で、山桜が好きでした。記事を読んで連絡をしたら、すぐに3本送ってくださいました。今では毎年花が咲いています。不思議なご縁で、宮崎には親戚もいるのでそのときに富永さんにお会いしたり、文通みたいに季節毎にお手紙を書かせていただきました」
富永さんもこういった交流を楽しみにしていた。1997年に再び「声」に投稿し、吉田さんを種木のある場所に案内したときの話を、紹介している。《散り残った花の下で写真を撮ることになった。ファインダーをのぞくと、少し顔を傾けて見上げる姿に、神話にある「木花之開耶姫」(このはなさくやひめ)のイメージが重なり気持ちが揺れた。カメラも揺れたらしく、写真はぼやけていた》
また、吉田さんが、山桜の苗をもらったいきさつを、参加しているサークルの会報に書いたことがあった。そこで吉田さんから「山桜の君」「ボーイフレンド」と表現されているのを知った富永さんは、《二十年くらい若返った気持ちになり、あと十年くらいは生きられそうな元気が出た》と綴った。
春になると“今年も咲きました”の便りが届くのを楽しみにしていた富永さん。
「お礼のお手紙や“咲きました”って写真やはがきが届くんですが、それを読むのが嬉しそうでね。無口な父なんですけどね、“あれ、大阪って書いちゃるわ”とか“福岡だわ”って独り言を口にしてましたからね。
そこから年賀状やらのやりとりが続くかたもいて、楽しみだったと思います」(泰子さん)
◆静かで幸せな日々の終わり
元教師の貴島淳太郎さん(84才)は、高校3年生のクラス担任が富永さんだった。生徒たちは富永さんを“おとっちゃん”と慕い、卒業後も交流は続いた。
「先生はとてもおとなしく、穏やかな人柄でした。教育現場から引退された後も、誰かのためになりたいと、社会貢献にもなる山桜に、生きがいを見つけられたんでしょうね」(貴島さん)
しかし、そんな静かで幸せな日々は突然終わりを告げる。10年前、95才になったとき、種木として大切にしていた桜が、突然伐採されてしまったのだ。県道の桜だったため、地域住民から、桜の実や葉が落ちて掃除が大変だという要望が寄せられたからだった。
教え子の小倉久美子さん(77才)は「木がなくなったと聞いたときは、私も残念でした」と話す。多くは語らないものの、すっかり滅入った富永さんの気持ちを思い、詩『切り株』を贈った。その一節――。