老衰一覧

【老衰】に関するニュースを集めたページです。

終末期の治療について決めていく「人生会議」(右が里枝子医師)
末期がん患者と医師が“理想の最期”を語り合う「人生会議」に密着
 新型コロナによって、日本の医療現場が大きな影響を受けている。終末期のがん患者を受け入れる緩和ケア病棟が、新型コロナ病棟に転用され、行き場を失った患者も少なくない。そこで、いま注目されているのが「在宅医療」だ。『週刊ポストGOLD 理想の最期』では、ジャーナリスト・岩澤倫彦氏が最期まで自宅で過ごす患者と家族、それを支える医療者の現場をレポートしている。 * * *「おじいちゃん私だよ! 元気にしている?」── タブレットの画面から呼びかける孫娘に、男性患者は右手を少しだけ上げて応えた。その顔には戸惑いと嬉しさが入り混じる。 進行がんの悪化で男性が入院した病棟は、新型コロナの感染防止のために面会謝絶だった。今回、病院の配慮でタブレット越しに家族と会うことができたが、やはり直接面会するのとは違う。 新型コロナ禍になって以降、がん終末期の患者が家族や親しい知人と面会できず、病院で孤独に人生の終わりを迎えている。 去年、日本人の死因トップは、「がん」で約37万8000人。2位は「心疾患」約20万人、3位「老衰」約13万人と続く。一方、新型コロナによる死亡は3466人だ。 新型コロナ以降、入院中の面会謝絶が原因で、在宅医療を選ぶ人が増えている。自宅でなら「食べられる」“食止め(しょくどめ)”という医療者が使っている言葉がある。患者の食事を中止する措置のことだ。 福島県いわき市で、在宅療養の患者を訪問している岩井淳一医師(山内クリニック)は、こう語る。「病院では、進行がんの患者などが吐血した場合、“食止め”して点滴に切り替えるのがセオリーです。しかし、在宅医療では本人が希望すれば、リスクを納得してもらった上で食事を継続することもあります。好きなものを食べることは喜びになり、元気につながる。甘いものが好きならアイスクリームでもいいんです」 岩井医師の専門は救急医療で、現在も週2回、いわき市の救命救急センターでの勤務を続けている。その2つの異なる分野を経験したことで、治療後の患者のことを考えるようになったという。「高齢者の末期がんで在宅療養を選ぶ人が増えていますが、急変すると家族が動転して救急搬送されるケースが度々あります。その時は、救命できても、元の元気な身体に戻ることはまずありません。 また、患者が食事をとれなくなると、家族が点滴を希望することが多いです。しかし、食事を受け付けないのは老衰と考えるべき。無理に点滴をすると、むくみや痰を引き起こして、かえって患者は苦しくなります」 そこで、岩井医師が勤務するクリニックでは、訪問診療を開始する前に、患者と家族、ケアマネジャーを交えて「人生会議」をしている。これは、患者自身が意思表示できなくなった時を想定して、「死に方」を家族や医師を交えて話し合い、共有するものだ。人生会議の一部始終を取材した。 車イスで山内クリニックに現れたのは、心臓と腎臓の機能が低下した90代男性。かなり耳が遠く、認知症がある。主に身の回りの世話をしているのは、同居する70代長女。 人生会議を担当する岩井医師の妻・里枝子医師が、男性に希望を聞くと「100歳まで生きたい」と言って笑った。 検査の結果、男性の腎機能が極めて低下しており、脈が正常の半分程度だった。「治療法としては人工透析をするか、ペースメーカーをつけるか。お父様は、治療についてなんとおっしゃっていますか?」 男性はもう治療はしたくないし、施設にも入りたくない。家で過ごしたいと、長女らに話しているという。「治療をしないで自然に任せるのは、諦めではありません。ただ、お父様は朝起きたら、いつ心臓が止まっていたとしても不思議ではない状態です。その時が来ても、驚かないでくださいね」と里枝子医師は伝えた。 人生会議に要した時間は、面談と検査を合わせて約1時間。内容は、いわき市が独自作成した「わたしノート」に記載する。「訪問診療の目標は、自宅で穏やかに生活することです。つらい症状とかは何でも言ってください。100歳まで生きるんだもんね!」 大きな声で語りかける里枝子医師に対して、男性は相好を崩した。
2021.09.25 16:00
NEWSポストセブン
死を間近にした高齢者が自宅で倒れた…連絡すべきは「かかりつけ医」
死を間近にした高齢者が自宅で倒れた…連絡すべきは「かかりつけ医」
 誰にでも訪れる「最期の時」。その瞬間をどこで迎えるかということは大きな問題だ。たとえば、死を間近にした高齢者が自宅で倒れるケースでは、救急搬送のための119番が不幸な結果を招くことがある。『日本のいちばん長い日』などの著書がある作家の半藤一利さん(享年90)は今年1月、自宅で妻とおしゃべりをしたのちに倒れた。「数日前から歩行困難になり、本人が死期を悟っていたことなどから、倒れた半藤さんを見つけた奥さんは、かかりつけ医に連絡。駆けつけた医師が老衰による死亡を確認しました」(出版社関係者) 在宅医療にかかわる長尾クリニック院長の長尾和宏医師は「救急車でなくかかりつけ医を呼んだのは実に賢明な判断」と指摘する。「救急車を呼んでいたら、『心肺停止をみたら蘇生』を義務とする救急隊員が延命処置を施したでしょう。その場合、入院して意識が戻らないまま管だらけで、その果てには延命治療となり、病院でたったひとり幸福とはいえない最期を迎えるケースもあります」 病院に入院せず、自宅で最期を迎えるためには、日頃から体を鍛えておくことも肝要だ。脚本家の橋田壽賀子さん(2021年4月逝去、享年95)さんは83才から週3回、1回1時間のトレーニングを欠かさなかった。橋田さんが83才のときから12年間パーソナルトレーナーを務めた八代直也さんが語る。「30分はひざや股関節などの関節をほぐすコンディショニングを行い、後半はバランスボールやバーベルを用いたトレーニングでした。橋田先生は90代になっても20kgの錘を持ってスクワットをして、『最後まで自分の足で歩いて、人に迷惑をかけたくない』とよく仰っていました」(八代さん) 年齢を重ねても体力を維持すれば、ピンピンコロリに近い死に方ができるという。「老衰で亡くなるかたでも、死の2週間前まで体力があり、普通に外出してゲートボールをしたり、自転車に乗っていたというケースが多いんです。多くの場合、そこから2週間で一気に弱って自然に枯れるように亡くなる。つまり、老衰で亡くなる場合でも、それなりに体力を保てれば、“準ピンピンコロリ”で逝くことができます」(長尾さん) 振り返れば、田村正和さん(2021年4月逝去、享年77)も、渡哲也さん(2020年8月逝去、享年78)も、橋田さんも、生前から「理想の死に方」を周囲に語っていた。「大切なのは、自分がどのような最期を迎えたいのかを、普段から身近な人と話し合っておくことです。特にコロナ禍では入院すると家族と会えず、苦しい死を迎えるリスクがある。どうすれば幸せな死に方ができるかをよく考えて、しっかり対話をしてほしい」(長尾さん) 先人たちが身をもって示した理想の逝き方から、多くのことを学べるはずだ。※女性セブン2021年6月10日号
2021.06.02 16:00
女性セブン
医療における「最後の選択」をどう考えるか(イメージ)
人生最後の明暗を分ける 死ぬよりつらい「延命治療」の真実
【NEWSポストセブンプレミアム記事】 眠るようにして穏やかに息を引き取りたいというのは、多くの人に共通する願いだが、なかなかそうはいかない現実がある。医療における「最後の選択」を誤ると地獄の苦しみを味わうことになりかねない。何が人生最後の明暗を分けるのかを見ていく。「今でも『私が母を殺したのではないか』との罪悪感が拭えません」 長年、介護してきた母親の最期をそう振り返るのは、エッセイストで教育・子育てアドバイザーの鳥居りんこ氏(59)だ。 脳の難病を抱え、自宅近くの老人ホームに入所していた母の容体が急変したのは2017年のことだった。老人ホームの訪問医から突然、こう告げられた。「お母さんの命はあと10日ほどですが、延命治療をしますか?」 鳥居氏が続ける。「医師によれば、入院させれば延命できるとのことでした。いきなり、『どうしますか? 決めてください』と答えを迫られたのです」 母との別れは少しでも先に延ばしたいが、病院に移れば、体中を管につながれて寝たきりになる可能性が高い。悩んだ末、鳥居氏は事前に母が延命治療を拒否する意向を示していたこともあり、「治療を受けない」という選択をした。 しかし、鳥居氏の母が迎えたのは、穏やかとは言えない最期に見えたという。「数日が過ぎたあたりから、看取りのために一滴の水さえ与えられなくなりました。施設長からは『誤嚥して肺に水分が入ると、“溺れるような苦しみを強いられる”』と説明されました。会話はもうできない状態でしたが、すごく苦しそうで……。私は何もできず母が干からびていくのを待つしかありませんでした」(鳥居氏) 鳥居氏の母はその状態で、約1か月間生きた。何度も「救急車を呼んで病院に入院させたほうがいいのでは」という思いに駆られた。「延命治療をしない」ことが「苦痛がない死」とは限らないことを知ったという。喉を切開して呼吸器を では、看取る家族に対して苦しい決断を迫る「延命治療」とはどういうものなのか。終末期医療に詳しい長尾クリニック院長の長尾和宏医師が解説する。「病気や事故、老衰などで回復の見込みがなくなり終末期、つまり“人生の最終段階”と判断された患者の命を少しでも延ばすために病院などで行なう医療処置のことを指します。様々な処置がありますが、口から栄養を摂ることが困難な患者への『人工栄養』、腎不全の患者への『人工透析』、呼吸困難な患者への『人工呼吸』が3大延命治療と呼ばれます」 このうち人工栄養には、胃に開けた穴から直接水分や栄養を注入する「胃ろう」や、鼻からのチューブを通して栄養剤を胃袋に流し込む「経鼻胃管」、水分や電解質を点滴や注射で入れる「輸液」などがある。 自力で呼吸ができなくなった時、人工呼吸器を装着する際には、気管内挿管または喉を切開して管を入れる「気管切開」という処置が必要になる。こうした延命治療が終末期の患者にとって「苦しみ」になることがあると長尾医師は説明する。「欧米では、老衰で口から食べられなくなった高齢者に無理やり食事介助したり延命措置を施したりすることは、“虐待”と考えます。 それでも日本では、家族からの訴訟リスクを回避するために延命治療を勧める傾向にあります。しかし終末期に過剰な治療を続けると、患者の苦しみは増すばかりです」 長尾医師は病院勤務医時代に苦しみながら最期を迎える患者を数多く見てきた。「現在、多くの大病院や急性期病院では高齢の終末期患者に1日約2リットルの栄養剤を注入します。その結果、心臓や肺に大きな負担がかかり、心不全や肺水腫による呼吸困難が生じてもがき苦しみます。つまり、ベッドの上で“溺れながら”管だらけになるのです」 長尾氏の言う“栄養剤”とは「高カロリー点滴」を指す。過剰な量の点滴を受けた遺体は「むくんでずっしりと重い」と長尾氏は言う。「日本は国民の8割が“ベッドの上で溺れ死に”している国です。がんでも老衰でも医者が患者の痛みや苦しみを作り出しているのですが、気がついていないのです」(長尾医師)自宅で死にたいけれど 一方、自然に脱水しながら死んでいくことを長尾医師は“枯れて死ぬ”と表現する。「苦しみや痛みが少なく最期まで話せて食べられて、長生きする」という。「在宅医療の場合、自然な脱水を見守ることができます。脱水は痛みや様々な苦痛を緩和するうえで重要なポイントです。 人間は年齢を重ねるほどに体重に対する水分の含有量は減ります。1日2リットル(2000キロカロリー)もの点滴は、終末期には最悪です。過度な点滴は患者を苦しめるだけ。終末期は自然に任せて緩和ケアに徹する医療がベストです」(長尾医師) 多くの人は“管につながれた最期”を望まない。厚生労働省がまとめた「人生の最終段階における医療に関する意識調査報告書(平成29年度)」では、7割前後の人が「胃ろう」「人工呼吸器」などの治療を望まないと答えている。「最期を過ごしたい場所」として「自宅」と答えた割合は約半数を占める(末期がんの場合)。 しかし、政府統計によると、実際には日本人の約80%が病院や施設で最期を迎えている(別掲図参照)。理想と現実には乖離があるのだ。 患者本人が望まなくても、家族が“少しでも長く生きていてほしい”と願い、延命治療を選択してしまうことは少なくない。 思い違いもあるだろう。前掲の厚労省の意識調査報告書では、約半数の人が最後に受けたい治療として「点滴」を挙げているが、それが長尾医師の指摘したように“溺れ死に”につながるリスクがあるものだと理解している人は多くないはずだ。 また、冒頭で鳥居氏が話した通り、“枯れる死”も周囲からは本人が苦しんでいるように見える場合がある。いくら看取りをする医師に、「本人は苦しんでいないので、そのままにしたほうがいい」と言われても、家族には最期を迎える人の苦しみは分かりようがない。「やっぱり病院で処置をしてあげてほしい」と後から家族が言い出すこともあるだろう。 そうした状況で惑わないためには、どうすればいいのか。119番は苦しみの始まり! 家族が医療に一縷の望みを託した結果、「苦しい死」を招くケースは少なくない。 原因不明の神経難病であるALS(筋萎縮性側索硬化症)が進行した70歳の男性は死期が迫り、手足が動かず話もできなくなった。 男性は事前に延命治療を拒否して、自然な死を受け入れる意思を表明していたが、いよいよ旅立ちを迎えようとした際、駆けつけた息子が119番で救急車を呼び、搬入先の病院で人工呼吸器を付けられた。 この男性の在宅医療医を務めていた、小笠原内科・岐阜在宅ケアクリニック院長の小笠原文雄医師が語る。「病院に駆けつけると、男性は意思表示用の文字盤を使って『はずして』と涙ながらに訴えました。ALSを患うと多くの場合、呼吸ができずに朦朧とするために痛みを感じづらくなります。しかし、人工呼吸器につなぐことで体内に酸素が増え、痛みの感覚が戻ってくることもあります」 人工呼吸器をつけられた患者のなかには、苦しみのあまり自ら器具を外そうとして、両手を縛られるケースもあるという。 結局、この男性は1年間も人工呼吸器をつけたまま生き続け、病院で亡くなった。「臨終間際の高齢者のために救急車を呼ぶことは慎重になってほしい」と小笠原医師は指摘する。「救急車を呼ぶということは、“救命を望む”という意志表示です。病院側は延命を望む患者には必死で治療を行なうので、医療従事者は場合によっては骨折しても心臓マッサージを続けます」 心臓マッサージが効果を発揮するには胸の厚さの3分の1まで圧迫する必要があり、末期がん患者や高齢者は骨がもろくなっているために圧迫によって肋骨が折れることがある。「日本では何かあれば救急車を呼ぶことが常識とされますが、何よりも本人の意思を尊重することが望ましい」(小笠原医師) 救急車を呼ぶことで、逆に苦しめてしまうこともあるのだ。「終末期鎮静」のリスク 苦痛を和らげようとして悲劇を生むケースもある。昨今、その是非が問われているのが、安楽死にも似た「終末期鎮静」だ。「一睡もできないほど耐え難い苦痛のある患者に対し、鎮静剤を投与して“永遠の眠り”につかせる終末期鎮静のことを医療用語で『持続的深い鎮静』と言いますが、持続的深い鎮静をされた患者は最初に『心の死』、次に『肉体の死』を迎える。 私には“2度殺される”ということに思えてなりません。また、家族がこの方法に同意した場合、『私たちが死なせてしまった』という後悔の念を抱き続ける可能性もあります」(小笠原医師) 現在、在宅医療でも広まってきている持続的深い鎮静については、「患者にとって本当に幸せなのか」という議論が起こっている。 小笠原医師は、持続的深い鎮静をしなくても苦痛を和らげる方法があると話す。「痛みを感じた時に患者自身がモルヒネを投与できる『PCA』という装置を活用して痛みを和らげます。さらに『夜間セデーション』という方法で夜は深い眠りにつき、朝は目覚めることができます。これなら患者本人に希望が湧き、家族の負担も減らせます」 小笠原医師の在宅医療チームでも過去に持続的深い鎮静を行なうか検討されたケースがあった。 他の部位に転移するなどしてつらい入院治療を続けていた70代の末期がん女性は、病院を緊急退院して在宅ホスピス緩和ケアに切り替えたことで“笑顔でピース”ができるほど穏やかに過ごしていた。しかし、モルヒネの投与量が足りず、次第に痛みが増してきた。 取り乱した女性の夫に対し、持続的深い鎮静を提案する医師もいたが、小笠原医師が夫に説明して、モルヒネの量を増やし、夜間セデーションを施すと苦痛が緩和された。するとぐっすりと眠れて、穏やかな気持ちで過ごせるようになり、女性の最期の言葉は「ありがとう」だったという。「どうすれば質の高い旅立ち『QOD(クオリティ・オブ・デス)』が叶うのかを考える必要があります。そうすれば、旅立つ人も見送る人も心穏やかに過ごせるはずです」 小笠原医師は、“過剰な終末期医療”を問題視する。その犠牲とならないために実施しておくのがよいと推奨されているのが、家族会議「ACP」(アドバンス・ケア・プランニング)だ。「患者や家族、医師、訪問看護師、ケアマネジャーなどと事前に話し合い、『延命治療をするかしないか』『救急車を呼ぶか呼ばないか』『誰に電話をするといいか』などをあらかじめ決めておくのです。患者本人の願いを尊重することが、QODを叶える近道だと思います」(小笠原医師) 穏やかな最期を迎えるには、患者と家族、医師の意思疎通が重要となる。では、どのように希望する最期の過ごし方を伝えればいいのか。「リビング・ウイル」の残し方 ACPと同様に、意思を表明できるのが「リビング・ウイル(終末期医療における事前指示書)」だ。日本尊厳死協会事務局次長の江藤真佐子氏が語る。「どう死にたいかではなく、“人生の最期をどのように生きたいか”を考えるのが『リビング・ウイル』です。終末期にどんな医療を選択するかを書面に残し、最期まで自尊心や尊厳を持って生き抜くことが大切だと我々は考えています」 日本尊厳死協会のHPには「終末期の延命措置の拒否」「苦痛を和らげるための緩和医療の実施」「持続的植物状態での生命維持措置の取りやめ」の3項目の意思表示を柱としたリビング・ウイルの原本がある(別掲表参照)。「この3か条に同意できる方が日本尊厳死協会に入会登録すると、書面が協会で保管され、会員証で意思表示ができます。ただし、会員外の方が原本を参考に自分なりの書式で書類を作っても構いません」(江藤氏) エンディング・ノートをつけているなら、「私の最期について」などの欄に「延命治療を希望するか」といったことを書き残せるはずだ。 その場合、「最期にどこで誰と過ごしたい」「どういう治療をされたい・されたくない」といった事項をなるべく詳細に記入するのが望ましいという。 準備は早めに進めておくのがよいと江藤氏は続ける。「死期が近くなってからでは、気持ちの余裕がなくなり冷静に書けなくなることが多い。意思を表示する書面は思い立ったらすぐに作成しましょう。1回書いて終わりではなくて、誕生日やお正月などの1年の区切りに見直すことが重要です」 元気なうちに自分の生き方と真正面から向き合うことが必要だ。それが、家族にとっても自分にとっても「幸せに死ぬ」ことにつながる。※週刊ポスト2021年5月28日号
2021.05.17 07:00
週刊ポスト
日本人の死に方はどう変化している?(イメージ)
コロナ禍で変わる理想のご臨終「苦しくない死に方」を実現するために
【NEWSポストセブンプレミアム記事】「死」は誰にでも平等に訪れる。しかし、「死に方」はさまざまだ。もだえ苦しみながら死を迎える人もいれば、眠るように息を引き取る人もいる。どんな病気が「痛い死に方」になり、どういう状態であれば「苦しくない死に方」になるのか。そして、どうすれば“穏やかな最期”を迎える可能性が増すのか。最新の知見を探った。「一瞬の激痛」も「長い苦しみ」も避ける方法はあるのか 亡くなった人に「どのくらい痛かったか」を聞くことはできないが、“死に至る病”を発症し、生還した人の話を聞くと、「激しい痛み」を体験しているケースがある。 2020年11月、くも膜下出血を発症した都内の40代会社員が語る。「朝起きてトイレで力んだら、“後頭部を金属バットで殴られたような激痛”に襲われました。慌てて扉を開けてその場に倒れ込み、薄れゆく意識の中でひどい頭の痛みと心臓がバクバクしたことだけを覚えています。 幸い、妻が呼んだ救急車で緊急搬送され、気づいた時には病院のベッドの上。回復後に医師から『もう少し病院に来るのが遅かったら危なかった』と言われてゾッとしました。今でもあの痛みを思い出すと恐怖が蘇ります」 大動脈解離を経験した千葉県の60代男性は、2年前の冬の朝、自宅でテレビを見ていた時に突然、背中に「バリバリバリ」という音が鳴り響いた。「“あれ、何だ?”と思う間もなく、背中から全身にかけて味わったことのない痛みがドーンと駆け巡りました。体を真っ二つに引き裂かれたような感じがしてその場に立っていられず、仰向けになって『痛い、痛い、死ぬ、死ぬ』とうめきながら気を失いました」 妻の119番通報で病院に担ぎ込まれ、3時間にわたる手術で一命をとりとめたが、この男性は「あのまま死んでいたら、最悪の死に方でした」と振り返る。 長尾クリニック院長の長尾和宏医師が、死に至る病気の痛みと苦しみについてこう分類する。「そもそも痛みが生じる病気には、慢性のものと急性のものがあります。慢性で死に至る痛い病気の代表はがん。一方、くも膜下出血や大動脈解離といった血管系の病気は突然に発症し、そのまま死に至るケースもあります」 急な痛みに襲われる病気の代表格ともいえるくも膜下出血は、年間約11万人が亡くなる脳血管疾患(脳梗塞や脳出血など)のうち、およそ1割を占める病気だ。発症すると約3分の1が死亡するとされる。「脳の表面を走る動脈が破裂して出血する病気です。突然頭全体に経験したことがない激しい痛みを感じ、強い吐き気をもよおす。意識がなくなり、そのまま死に至ることもあります」(長尾医師) 大動脈解離も同様に“痛い死に方”と考えられている。「背中の前または横を走る大動脈の壁が縦に裂けて、背中に猛烈な痛みが走ります。血管そのものは痛みを感じませんが、血管を包んでいる周囲の組織は痛みを感じます。血管が引き延ばされたり裂けると、血管の周囲の痛覚線維が激しい痛みを感じる。発症した人は『これまで経験したことのない痛み』と口を揃えます」(長尾医師) 背中ではなく、胸に激痛を感じる病気の代表が心筋梗塞だ。3年前に心筋梗塞で夫を亡くした50代女性が語る。「夕食を摂ってしばらくすると突然、夫が胸を押さえてうずくまりました。辛抱強いタイプの夫が苦悶の表情を浮かべ、手足をばたつかせて悶える姿が目に焼きついています。救急搬送されましたが、そのまま戻ってきませんでした」 心筋梗塞は虚血性心疾患の中で最も死亡率が高く、「熱した鉄棒で心臓をえぐられるよう」と表現する経験者もいる。「心筋に酸素や栄養を送る冠動脈が詰まり、血流が止まって心筋が壊死する病気です。“胸の上に重い鉄板を乗せられたような痛み”を訴え、多くの患者は動くこともできず、脂汗をかきながらその場にうずくまる。左胸やみぞおちの痛みは5~20分ほど続きます」(長尾医師) こうした激痛を伴う血管系の疾患は喫煙や多量の飲酒、ストレスなどがリスク因子として挙げられる。当たり前に聞こえてしまうかもしれないが、規則正しい生活や摂生が“痛い死に方”を避ける一助となり得る。 一方で、こうした急性の痛みを伴う疾患は、“痛いのは一瞬”という捉え方をする人もいる。冒頭のくも膜下出血を経験した40代男性は「激しい痛みだったけど、あのまま気を失って死ぬのであれば、“長く苦しまずに済む死に方”にも思える」と証言した。医者が患者を苦しめる とはいえ、“一瞬でも痛いのは嫌だ”と考える人は多いだろう。では、痛くない、苦しまない死に方はあるのか。 多くの人は「老衰」という言葉を思い浮かべるかもしれない。厚生労働省の「人口動態統計(確定数)2019年」によると、10年頃から死因として「老衰」が増加。2019年には人口10万人あたり99人が老衰で亡くなり、「脳血管疾患」や「肺炎」を抜いて3番目に多い死因となった(別掲図1参照)。 コロナ禍で感染予防対策が徹底されたことで、昨年は“コロナ以外の肺炎”による死者が大きく減少したと報告されている(2020年10月時点までの統計)。老衰の占める割合はより大きくなると考えられる。長尾医師が言う。「高齢化とともに年々増えていて、近い将来、がんを抜いて死因の第1位になる可能性があります。ただし、『老衰』は、“記載すべき死亡原因がない”というだけで医学的に明確な定義はありません。かつては病院の医者が死亡診断書に老衰と書くことにためらいがありました。しかし、高齢化に伴い老衰としか呼べない最期が増えている。 ただ、同じ老衰での最期も、“医者が患者を苦しめる”ことがある。それが問題だと考えます」 長尾医師が問題視するのは、「人生の最終段階の過剰な医療」だ。「現状、多くの病院では終末期の患者に多量の点滴を行なっています。そうした過剰な医療が患者を無用に苦しめている様子を多く見てきました。私は過剰な点滴による“溺れ死に”だと思います」 対比として長尾医師は、苦しまない死に方を「枯れる最期」と表現する。「終末期以降は点滴を控えて自然な脱水を容認する。すると、“枯れた状態”で最期を迎える。枯れることで痛みは和らぎ、病気の種類を問わず穏やかな死を迎えられます」違いは部位か、ステージか「苦しいがん」と「苦しくないがん」 では、日本人の死因で最も多い「がん」の場合はどうか。 俳優の小西博之氏(61)が体調に異変を感じたのは2004年のことだった。「8月に2週間ほどアフリカロケをしたあたりから体力が低下し、11月には食欲、睡眠欲、性欲すべてなくなりました。そして12月末に撮影で訪れた京都のホテルで“事件”が起きました」 夕方、ホテルのトイレであたりを真っ赤に染めるほど大量の血尿を放出。帰京してすぐ精密検査を受けると「末期の腎臓がん」と診断された。「縦20cm、横13cmもある巨大な腫瘍で、医師からは『普通なら既に死んでいる』と言われました。その時まで痛みはなかったけど、医師に脇腹を押されて思わず『痛いィィ!』と叫び声が出た。肥大化した腎臓がんに圧迫されて、パンパンに腫れた脾臓を押されたことによる痛みだと説明されました」(小西氏) 翌年2月、9時間に及ぶ手術の末に腎臓がんを摘出した。脇腹を50針縫いながらも執刀医の能力で一命をとりとめたが、麻酔が切れた後に待っていたのは激痛だった。「僕の場合、腫瘍があまりに大きかったので脇腹からメスを入れて肋骨の一部を切り離し、がんを切除してからまた骨をくっつけたんです。麻酔が切れてくると骨折の痛みと腫瘍を切除した痛みがドカンとやって来て……。“焼き火鉢を脇腹に押し付けられて、お腹が燃えるような激痛”でした。 医師の話では、脇腹を切る手術が最も痛みが残るそうで、鎮痛剤や座薬を使ってもまたすぐ痛くなりました」(小西氏) 一方、「がんによる痛みや苦しみはまったくありませんでした」と話すのは、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏(81)。2005年の大腸がんを皮切りに左肺、右肺、肝臓と転移を繰り返し、合計4度の手術を受けた。「最初の大腸がんはトイレを流す時に赤黒い水で気づき、ステージIIと診断されて内視鏡の手術を受けました。 その後、肺への転移がわかった際に大腸がんがステージIVだったと判明しました。5年生存率が17.8%と聞き、死を意識しました。それでも4度の手術から回復できました」(鳥越氏) いずれも痛みとは無縁だった。「がんそのものでは、いたって平気でした。もちろん手術すると多少は痛むけど、日本の医療は麻酔による痛みのコントロールが発達しているので、4回メスを入れてもほとんど苦痛はありませんでした」(鳥越氏)寝返りを打つだけで激痛 両者を分けたものは、何なのだろうか。がん難民コーディネーターの藤野邦夫氏が指摘する。「がんの痛みはケースバイケースで年齢などの個人差がありますが、基本的に自分の細胞ががん化するため、最初は痛くも痒くもありません。肝臓や膵臓といった自覚症状の少ない“沈黙の臓器”にできるがんはそのため発見が遅れるケースが少なくありません。一方、がんが大きくなるにつれて、周囲の神経を圧迫して痛みが生じるようになります」 部位によっても違いがある。「痛いがん」の筆頭と言えるのが前立腺がんだ。「前立腺がんは骨盤から脊髄に移行し、上腕骨や大腿骨などの骨に転移しやすい。そうなるとがんの痛みは強くなり、“寝返りを打つだけで激痛が走る”ため、天井を向いて全く動かずに眠らなくてはいけないケースが多い」(藤野氏)「苦しむがん」としては肺がんが挙げられる。「胸膜の炎症を併発すると、呼吸の際に取り込める空気の量が減って息苦しくなる。痛いというより、“溺れているような苦しみ”が生じます」(藤野氏) がんによって引き起こされる「障害による痛み」もある。代表的なのが大腸がんだ。「大腸がんが進行して管腔(大腸の内側)を塞ぐと腸閉塞に陥って、消化物や消化液が停滞して腸がパンパンに張ります。すると、腹痛や嘔吐などの苦痛が生じることもあります」(前出・長尾医師) 腹膜の癒着も痛みの原因になりえる。「がんが腸管の壁の外にまで広がってがんと腹膜が癒着する『がん性腹膜炎』になると、程度の差はあれど痛みを感じます。がんが胃や腸の壁の内に留まっている段階では感じませんが、腹膜にまで達すると、個人差はあれどかなりの痛みを感じることが多い」(長尾医師) 前出・鳥越氏の場合、幸いなことにこうした障害がなかったという。それが「痛い/痛くない」を分けたようだ。 がんの痛みが怖ろしいのは、様々な要因が重なって生じることだ。「がんそのものの痛みと、持病の腰痛などがんとは直接関係のない痛み(非がん性疼痛)、さらに腸閉塞など、がんに起因した二次性の痛みが重なり合います。その3つの痛みに加えて、精神的・社会的な痛みも加わり、総合的な痛みとして認識される」(長尾医師) 人によって経過は異なるが、「終末期」と判断されたら、老衰と同様、末期がんにおいても「“高カロリー点滴”が患者を苦しめている」と長尾医師は言う。「医者が患者を溺れさせて苦しめておきながら、最後は“苦しむから”と麻酔をかけて眠らせる医療に疑問を感じます」(長尾医師) 終末期にどんな医療を望むか、主治医や家族に告げておく方法はある。避けられない痛みや苦しみもある一方で、選べる部分もあるのだ。※週刊ポスト2021年5月21日号
2021.05.10 07:00
週刊ポスト
(写真/アフロ)
日本のコロナ死者はもっと多い? 死後に陽性発覚する変死が急増
 医師によって病気や老衰などの「自然死」と判断されず、犯罪によるものとの疑いがある死や事故死を「変死」という。変死は通常の医師では死亡診断を下せず、司法検視が行われる。その変死において、衝撃的な事実が発覚した。 全国の警察が2020年3~12月に取り扱った変死事案のうち、新型コロナウイルスに感染していた人が122人にのぼったのだ。なかには、外出先の路上や店のトイレで亡くなっていた人もいたという。 122人は24都道府県にわたり、最も多かったのは東京都の36人。以下、大阪府25人、兵庫県11人と続く。月別では4月の21人をのぞいて、11月まで10人以下が続いたが、まるでコロナの第3波と歩調を合わせたかのように、12月は56人に急増した。「122人のうち、7割強の90人は死後のPCR検査で陽性が確認されました。これらの人々は生前に体調不良だったのに検査を受けなかったか、無症状のまま本人も気づかないうちに急死した可能性があります。また生前に陽性が判明していた32人のなかには、入院はせず自宅療養していた人が含まれるとみられます。 これは警察庁への取材でわかったことですが、第3波のピークのなかで“発表”されました。しかも、政府が緊急事態宣言の発出を決めた前日です。それまで意図的にコロナ変死の人数を隠していたのではないかと、闇の深さを感じます」(全国紙社会部記者) 1月8日には大阪府で30代男性の遺体から新型コロナが検出された。「その男性は死後に検体を採取して、新型コロナ感染による死亡が判明しました。男性は府内で最も若い死者で、しかも基礎疾患はありませんでした。基礎疾患のない若い男性が新型コロナで死亡するケースは極めてめずらしい」(地元紙記者) 日本は欧米諸国に比べて、死者数が圧倒的に少ないと指摘されるが、実はそうした「コロナ変死」が数多く潜んでいる可能性がある。東京医科歯科大学法医学分野教授の上村公一さんが指摘する。「医師によって病死であると明確に判断された死体以外を指す『異状死体』(変死体)の9割近くは解剖されずに死因がつけられ、PCR検査をすることもありません。なので老衰、誤嚥性肺炎、虚血性疾患などの死因がついたご遺体のなかには、ある程度の新型コロナ陽性が紛れ込んでいると考えられます。 それにしても、10か月で122人の新型コロナ陽性は少なすぎるように感じます。正確な死因がわかれば公衆衛生への貢献ができ、ひいては感染対策を講じることができる。今後、異状死は全ケースでPCR検査を行うべきです」 死後の検査が行き届いていないだけで、軽症や無症状で感染に気づかなかった「コロナ変死」は、122人よりはるかに多いかもしれないのだ。「なぜ、政府はそれを調べるように命じないのか。コロナ変死が増えているという事実を明らかにしたくないのではないかと、勘ぐってしまいます」(医療ジャーナリスト) これまで示したように、新型コロナで恐ろしいのは、「症状の急変」が生じることだ。感染拡大が始まった昨年初頭、真偽不明だが中国の路上で唐突にうめき声をあげ、仰向けに倒れたのち、胸をかきむしりながら痙攣を続け、突然死した男性の映像が世界中に出回り、衝撃を与えた。 昨年12月27日には、羽田雄一郎参議院議員(享年53)が、予約していたPCR検査を受けに出かける最中に容体が急変した。羽田議員は自動車を運転する秘書に「おれ、肺炎かな」と告げた途端に意識を失い、心肺停止となった。症状急変の理由を国際医療福祉大学病院内科学予防医学センター教授の一石英一郎さんが解説する。「新型コロナに感染すると全身に血栓ができやすくなったり、急激に肺病変が進行したりします。それにより心筋梗塞や脳梗塞、呼吸不全が発症して突然死となる恐れがあります。新型コロナは初期対応が遅れると急変する恐れのある病気です。特に高血圧や糖尿病といった生活習慣病がある人は血管がもろく、新型コロナ感染による血栓で重症化しやすくなります」 医療ガバナンス研究所理事長で内科医の上昌広さんは、「低所得者ほどコロナ変死のリスクが高い」と指摘する。「そもそも低所得者は、持病があっても受診しないケースが多い。そういう人は雇用が不安定なので仕事を休めない。そのため症状があってもPCR検査を受けず、変死するリスクがあります。しかも世界各国と違って日本は低所得者層へのケアが少ない。感染拡大が続くこの先は弱者を中心に、陽性と判明しないうちに新型コロナで亡くなるケースが増えるかもしれません」 最近では、人工透析を受けていて新型コロナに感染した患者が入院できる都内の病床が満床になったと報じられた。命の最後の砦である医師と病院が、役目を果たせなくなりつつある。日本はじりじりと追い詰められている。※女性セブン2021年1月28日号
2021.01.15 07:00
女性セブン
昭和の大スター・森繁久彌さんが遺言書を残さなかった真意
昭和の大スター・森繁久彌さんが遺言書を残さなかった真意
 自分の死後、愛する家族がトラブルに巻き込まれないためには、最後の責任として「遺言書」を残すことがいちばんだと言われる。しかし、死を前にしながら“最後のメッセージ”を残すのは、簡単なことではない。日本を代表する有名人の中にも、遺言を残さなかった人は少なくない。 2009年11月に老衰でこの世を去った森繁久彌さん(享年96)は、遺言書を残さなかった。次男の建さんは、昭和の芸能界を代表する大スターであった父をこう振り返る。「父は『終わったことに執着するな』という考えの持ち主。遺品や相続の話は何もせず、これといった遺言もありませんでした」 森繁さんが遺言書を残さなかった背景には、ある実体験がある。「役者仲間と銀座で飲んでいたとき、その相手が浮かない顔をしているので父が理由を尋ねると、『身辺整理と葬式の段取りをして、遺言書を書いた。でも全部終わったら、あとは死ぬだけになってしまった』と答えたそうなんです。父はそれを聞いて、遺言書を書くのはやめようと心に誓ったそうです」(建さん・以下同)「遺言断筆」を遂行した森繁さんだったが、数々の遺品は残っていた。モーターヨット、無人島、ゴルフ場、キャデラックのリムジン──そのスケールは規格外のゴージャスさだ。「父の収入は確かに多かったですが、人に見られる仕事のため、身なりや行動には相当気を使っていました。“森繁久彌といえばリムジン”だからと、晩年に仕事が減っても一流のものを身につけ、キャデラックで移動し、ハイヤー会社が派遣する運転手の給料だけで年間700万円近くになりました。ファンが期待する森繁久彌でありたいとの気持ちが強かったんです」 森繁家は、父より先に長男が他界していたこともあって、嫁いでいる長女と相談して、次男である建さんがすべてを相続した。購入時は2億円だったモーターヨットは3000万円で売却し、車やゴルフ場は知人に引き継いでもらった。骨の折れる作業だったわりに、手元に残るお金はほとんどなかった。建さんは、それも父らしいと言う。「終戦後、父は満州からの引き揚げ船で、祖母と母、私たち子供3人とともに佐世保港に上陸しました。そのとき、父の話では1人につきおよそ1000円、計6000円の支度金を渡されたそうです。敗戦ですべてを失い、再スタートのときに手にした6000円だったものですから、それ以降、『死ぬときに6000円あればいい』が父の口癖になり、子供に財産を残そうという考えはありませんでした」 大スターの豪快さにはちゃんと理由があるのだ。※女性セブン2020年7月9日号
2020.06.30 16:00
マネーポストWEB
コロナで介護の潮流は「在宅介護」へ 費用は施設の半額以下に
コロナで介護の潮流は「在宅介護」へ 費用は施設の半額以下に
 家族の仲がいいからといって、必ずしも成功するわけではない「在宅介護」。介護保険制度を活用して、お金も手間もかけずに行うことが失敗しない重要なコツだ。コロナ流行以降、施設に入居することが簡単ではなくなったいま、唯一、残された手段である在宅介護を上手に切り抜けたい。【表】本人も家族も助かる「在宅介護でもらえるお金8」 いままで、介護の理想といえば、細やかなサービスを受けながら安心して生活できる介護付き有料老人ホームに入居することだった。だが、全国各地の高齢者施設でクラスター(感染者集団)が発生し、群馬県の施設では16人の死者が出た。高齢者が集団で住まう環境下では感染被害が深刻化することが明らかとなり、感染が拡大する地域の施設では、入所者に帰宅を促す動きもある。 数日から半日程度の短期間受け入れるショートステイや、デイサービスの受け入れも打ち切られ、コロナ禍では、否応なしに在宅介護を選ぶしか道がなくなっている。 そもそも内閣府などの調査によれば、終末期の療養が必要になったときは「自宅で療養したい」と回答した人が60%以上を占めたほか、介護が必要になってからも「自宅での介護」を希望する人が4割を超えた。 国も在宅での介護を推進している。全国的に介護施設や介護職員が不足していることもあり、介護の場を施設から在宅へと移すことを重視。2025年までに「地域包括ケアシステム」を全国的に導入することを目指している。このシステムは、介護が必要になっても、住み慣れた自宅で生活することをサポートする仕組みだ。たとえ重い要介護状態となったとしても、住み慣れた地域で最期まで自分らしい暮らしをまっとうするため「住まい」「医療」「介護」「生活支援」を一体的に提供しようというものである。 ケアタウン総合研究所代表の高室成幸さんが指摘する。「医療と介護にかかる財政負担を減らす観点から、国も制度調整をして在宅介護を促している。施設から自宅へと介護の場が移っていく流れは、今後ますます強くなっていくでしょう」 親の介護はもちろん、数十年後には自分自身が子供の世話になることも考えておかなければならない。在宅介護がうまくいく人、うまくいかない人では何が違うのか。「まだまだ先」──そう思っていると手遅れになるかもしれない。◆在宅は345万円、施設は708万円 まず、介護において何よりも大きなウエートを占めるのは「お金」だろう。介護費用を抑える最大の手段は、公的制度をフル活用することだ。 そもそも、介護にはどのくらいのお金がかかるのか。公益財団法人「生命保険文化センター」の最新の調査によると、在宅介護にかかる費用は月平均4.6万円。これに加え、手すりの設置や便器の取り替えといった住宅改修や介護用ベッド購入などの一時的な費用に平均69万円かかっている。 一方、施設での介護は月平均11.8万円となっている。 一般的に、介護を行う期間は約5年間とされており、その前提でシミュレーションすると、在宅介護の場合の合計額は345万円。施設は708万円となるため、在宅介護は半額以下で済むというわけだ。介護・暮らしジャーナリストの太田差惠子さんが話す。「日本の医療・介護の費用は社会保障制度により、少ない負担で済むよう設計されています。事前に勉強しておくことで『知らなかった』という後悔を減らせます。 たとえば住宅改修費に対しても、介護保険の『要支援・要介護認定』を受けていれば、20万円を上限として最大9割のリフォーム代を返金してもらえる『住宅改修費の支給サービス』が用意されています。夫婦ともに認定されていたら最大で40万円まで使うことができます」 介護保険は、「要支援1~2、要介護1~5」と7段階ある区分のうち、より重度であると認定されるほど金額の上限が上がり、手厚い支援を受けられるようになる。昨年6月26日に老衰で亡くなった高島忠夫さん(享年88)は、1998年に重いうつ病、その後パーキンソン病を患い、長期にわたる介護が必要となった。 高島兄弟の兄・政宏(54才)は昨年、本誌に、「父親の在宅介護を続けていたが介護保険制度を知らず、10年近く費用は実費で現金払いしていた」と語った。さらに「費用負担が大きく、都内と福岡のマンションを売却して工面した」ことなどを明かした。 まさに破産一歩手前まで追い詰められていたが、たまたまニュースで介護保険制度について知り、主治医に相談し、区のケアマネジャーを紹介されたことで大幅な負担減が実現できたという。 高島家のエピソードは極端な話に思えるかもしれないが、介護保険は自ら申請しなければ受けられない制度がほとんどであり、うっかりしていると大損する恐れがある。◆要介護度の区分を見直す 介護保険サービスを利用するためには、まずは要介護認定を受ける必要がある。そこで「要支援1~2、要介護1~5」のどれに当たるか判定される。 いちばん軽い「要支援1」は、サービスの支給上限が月額5万320円だが、最も重い「要介護5」と認定されれば36万2170円と、30万円以上の差がつく。 注意したいのは次のようなケースだ。 夫の父親と同居する50代のA子さんは、最近、新たな心配を抱えている。「歩くのがやや困難な父は『要支援2』と認定されたのですが、コロナ自粛が始まってからはさらに深刻な状況になり、夜中に大声を出すこともあるんです。コロナ自粛も明けたのでパートを再開したいのですが、睡眠不足と疲労で働く気になれません」 被介護者の状態は、いつまでも一定とは限らない。明らかに様子が変わったと感じたら、再度、認定してもらう必要がある。「もし、現在の認定に納得がいかない場合は、要介護度を見直してもらう『区分変更』の申請も可能です。地域包括支援センターやケアマネジャーに相談して申請すると再度認定調査が行われ、だいたい1か月で結果が出ます」(太田さん・以下同) 増加した介護の負担を、自分たちの生活を犠牲にすることでカバーするのは危険行為。疑問が生まれたら、遠慮せずにケアマネジャーに相談するクセをつけておこう。「要介護度が上がると、障害者手帳を取得していなくても税法上障害者と認定する自治体もあります。『障害者控除対象者認定書』が交付されれば、税の控除が受けられ、介護費や医療費が大幅に安くなる場合もあります。自治体によって対象者にバラつきがありますが、要介護1から一律認定しているところもあります」 このように、在宅介護ではお金に関する制度の活用がキモ。知っているかいないかで、大きな違いになってくるのだ。「こういった制度は、役所の方から教えてくれることはまずありません。自ら調べて、『こうなったら、あれが使えるな』と知識を持っていなければいけないんです」※女性セブン2020年7月2日号
2020.06.24 16:00
マネーポストWEB
(写真/GettyImages、時事通信社)
苦しくてたまらない…ほとんどの病気が「最後は肺炎で死ぬ」
「まさに“陸で溺れる”という感じで、いくら息を吸っても肺に空気が入ってきた感じがせず、苦しくてたまらない状態がずっと続くんです」(50代・女性)「深呼吸しても酸素が体内に入ってこない。まるで首を絞められているようでした。胸が痛くて、這わないと動けず、このまま気を失って死んでしまうのではと強い恐怖に襲われました」(30代・女性) これらは、肺炎を経験した人たちの体験談だ。異口同音にそのつらさを訴えることから、いかに“しんどい”病気であるかがわかる。 日本語には「息を引き取る」「息がない」といった表現があるように、呼吸はまさに生命活動の象徴。外部から新鮮な空気を取り込み、古くなったものを吐き出す。私たちはこの呼吸を1日に3万回ほど行っている。 無意識に行われている呼吸。いま、それを司る臓器である「肺」の重要性が見直されている。重篤な肺炎を引き起こし、これまで全世界で40万人もの命を奪った新型コロナウイルス感染症の拡大がその理由だ。 国内でも、3月29日に新型コロナ肺炎で亡くなった志村けんさん(享年70)の最期の様子は、詳しく報じられた。微熱からたった3日で呼吸困難になって意識不明となり、そのままこの世を去った。重症化すると自分の力では呼吸ができなくなり、人工呼吸器や人工肺(エクモ)などの医療機器による治療が必要になるといったことが私たちの知るところとなり、「肺の強さ」が死亡率を左右すると痛感させられた。 当然ながら、肺炎の原因は新型コロナだけではない。厚生労働省の最新データ(平成30年人口動態統計)によれば、国内の肺炎による死者数は9万4661人。がん、心疾患、老衰、脳血管疾患に続く死因の第5位。過去20年以上にわたって日本人の死因ワースト5に入り続ける“常連”でもある。◆ほとんどの場合、最後は肺炎になって死ぬ そう聞くと、すぐにでも恐ろしい肺炎の予防法を知りたくなるところだが、深い理解のために、肺を中心とした呼吸器の構造を知っておきたい。 まず肺とは、気管から気管支へとつながった末端にある臓器で、3億個ほどある風船状の「肺胞」で成り立っている。肺胞の隙間には血管やリンパ管があり、それらを支える組織を「間質」という。 医療ガバナンス研究所理事長で内科医の上昌広さんが解説する。「肺の役割は大きく2つあります。1つは空気を『吸って、吐く』こと。気管を広げて空気を取り入れると肺は膨らみ、吐くときは肺の周りの筋肉が収縮し、肺から押し出された空気が外に出る。 2つ目は間質で行われる酸素と二酸化炭素のガス交換です。血液中に酸素を取り込んで、不要になった二酸化炭素を体外に出す。この2つの機能によって、体の中を『換気』するのです」 その肺に問題が起これば、生命にかかわると上さんは続ける。「人間が死ぬときは、呼吸ができないか、心臓が止まったときです。人間の臓器の中でも、『肺』は最も重要な組織なのです。がんと比べると、世間的には『肺炎』のイメージはそれほど深刻ではありませんが、医師の間では、肺炎とわかれば非常事態です」 たしかに、腸に異変があったとしても、すぐには死なないが、肺はそうはいかない。長く息を止めていられないからだ。すなわち、肺は命に直結する臓器なのである。 それほど大事な肺だが、ガス交換を担う部分の肺胞が壊れてしまうと、もう二度と元には戻らない。 人気番組『笑点』(日本テレビ系)の司会を務めていた落語家の桂歌丸さん(享年81)も、長年の喫煙によって肺胞が壊れるCOPD(慢性閉塞性肺疾患)という病気に侵され、2018年7月にこの世を去った。最期まで酸素吸入をしながら高座に上がる姿が記憶に残っている人も少なくないはずだ。 このような肺そのものの疾患だけでなく、ほかの病気から肺炎になることも少なからずある。東邦大学医療センター大橋病院教授で呼吸器内科医の松瀬厚人さんが話す。「ほとんどの病気で、最後は肺炎になって亡くなります。たとえば、死因が『老衰』となっている場合も、実はうまくたんが出せないことで起きた『誤嚥性肺炎』だったりするケースがかなりあるのです。肺炎で亡くなるときは、体中の酸素が不足し、全身の臓器に異常が出ることによって『多機能不全』となり、死に至ります」 肺炎はいきなり症状が表れ、あっという間に重症化することも多い。神奈川県に住む清水昌代さん(81才・仮名)が言う。「数日前まで元気に日課の散歩をしていた夫が、ある日から微熱が続くようになり、たんがからんだ咳をするようになりました。風邪だと思い市販薬をのんでいたのですが、2週間たってもよくならず、病院へ行ったら重度の肺炎と診断されました。入院後みるみるうちに悪化し、そのまま亡くなりました」 高齢になると、若い世代と比べて、発熱や咳などの症状があまり出ず、重症化するまで気づかないことも珍しくない。なんの自覚症状もない人が健康診断で肺のCTを撮って「肺炎です」と診断されることもあるのだ。 このように、自覚症状が出ずに急速に肺炎が進むことを、最近では「サイレント肺炎」と表現することもある。医学用語ではないが、新型コロナの流行とともにメディアを中心に広まった。「通常、肺に関する病気は自覚症状がすぐに出ます。ところが、新型コロナ感染による肺炎は、自覚症状がないままどんどん悪化するケースも多いことがわかってきています」(上さん) とはいえ、ほとんどの場合、肺炎になれば想像を絶する苦痛が押し寄せる。冒頭の経験者の「苦しくてたまらない」という言葉は、多くの肺炎患者に共通する感想だ。※女性セブン2020年6月25日号
2020.06.13 07:00
女性セブン
投手としてだけでなく、打者としても活躍した関根潤三さん(写真:時事通信フォト)
近鉄パールス消滅の危機を救った関根潤三さんの打者転向
 戦後の混乱期にプロ野球選手となり、近鉄で投手、打者として活躍した関根潤三さんが4月9日、老衰のため逝去した。93歳だった。 大谷翔平(ロサンゼルス・エンゼルス)以前の“元祖・二刀流”としても知られる関根さんは1950年、近鉄パールスに入団。2リーグに分裂した同年、セ・リーグは8球団、パ・リーグは7球団でスタートした。1951年2月、セの西日本パイレーツがパの西鉄に吸収され、セも7球団に。翌々年2月には松竹ロビンスと大洋ホエールズが合併し、セ・リーグは6球団制になった。一方のパ・リーグは拡大路線で人気アップを画策し、1953年12月に新球団として高橋ユニオンズが誕生した。野球担当記者が話す。「パ・リーグは球団増のため、戦力差が如実に現われました。7球団制の1953年は優勝・南海と最下位・近鉄の差が22ゲームでしたが、8球団制になった1954年は優勝・西鉄と最下位・大映の差が46ゲーム、翌年は優勝・南海と最下位・トンボの差が57ゲーム、翌々年は優勝・西鉄と最下位・高橋の差が45.5ゲームと格差は開き、いわゆる消化試合が激増。1試合の平均観客動員数は7球団制の1953年には8275人でしたが、8球団制になってから徐々に落ち込み、1956年には4950人にまで減少。セ・リーグの半分以下になっていました」(以下同) 1957年2月のオーナー会議で、球団数削減案が飛び出る。3年前、新規球団として迎え入れられた高橋ユニオンズがその対象となり、キャンプ中の2月25日、大映スターズとの合併が決まってしまう。これによって、大映は『大映ユニオンズ』と球団名を変更した。しかし、高橋の選手は各球団に散らばっており、合併とは名ばかりの解散、消滅だった。新規参入も削減も、大映のオーナーである永田雅一氏を中心に話は進められており、彼はパ・リーグ7球団ではなく6球団にしたい意向を持っていた。「最近でいえば、巨人のオーナーを務めた渡邉恒雄氏のような存在でした。その永田氏が様々な案を出すうちの1つに、1957年シーズンの最下位チームを合併させる案があった。2リーグ分裂と同時に誕生した新興球団である近鉄は前年までの7年間で、Aクラスは1度だけ。最下位を4度も記録しており、お荷物球団と揶揄されることもありました。近鉄を含め、Bクラス常連チームの尻に火がついたことは言うまでもありません」 8球団制の前年、Bクラスは5位・近鉄、6位・東映、7位・大映、8位・高橋だった。Aクラスの4位・毎日と5位・近鉄は16ゲーム離れており、上位と下位の差は明らかだった。「この年、30歳の関根さんは4月3日、開幕5戦目の西鉄戦に先発するも、5回途中でノックアウトされます。すると、芥田武夫監督に自ら打者転向を申し入れ、2試合後の阪急戦から5番・ライトで先発出場。いきなり猛打賞、翌日は2安打、翌々日にまた猛打賞と打ちまくり、シーズンを通して主に3番を任され、リーグ9位の打率2割8分4厘を残しました」 今と比べて飛ばないボールが使用されていた当時、圧倒的に打者が不利だった。この年、3割バッターは6人しかおらず、野村克也が30本でホームラン王に。大下弘や中西太、豊田泰光らを擁した西鉄でさえ、132試合で94本塁打、チーム打率2割5分5厘だった。 それに引き換え、『神様、仏様、稲尾様』と呼ばれた全盛期の稲尾和久が防御率1.37を記録したこともあり、西鉄のチーム防御率は2.15と驚異的な低さだった。7球団中5球団のチーム防御率が2点台という『投高打低』の時代だ。ちなみに、2019年のパ・リーグで防御率1位はソフトバンクの3.63であり、この数字は1957年の防御率最下位の大映と同じである。「この年、近鉄のチーム打率は2割2分5厘と低迷。そのため、関根さんの2割8分4厘は大きな価値がありました。前年もパ・リーグで3割打者は5人しかおらず、『投高打低』が明らかだったのに、関根さんが打者転向を決断したことに驚かされます。当時は20勝が一流投手の条件と考えられており、そこに届かないからと投手に限界を感じたと生前、話しています。 しかし、前年は9勝、2年前は14勝、3年前は16勝を挙げており、普通はスパッと切り替えられないでしょう。ましてキャンプ、オープン戦は投手として調整を続けたわけで、開幕後にすぐ方向転換できるメンタルも凄い。もし関根さんが投手にこだわっていたら、この年の近鉄はクリーンアップの一角を欠くことになりますから、最下位になった可能性も十分にある。そうなったら、1957年限りで近鉄が消滅していたかもしれません」 結果的に、この年最下位に沈んだ大毎ユニオンズが毎日オリオンズと合併。翌年から『大毎オリオンズ』となり、パ・リーグも6球団制となった。もし1957年に関根潤三が打者に転向しなかったら――。1人の男の決断が、プロ野球の歴史を大きく変えていた。
2020.04.13 16:00
NEWSポストセブン
追悼・関根潤三さん 「享年93」、実は「94歳」だった
追悼・関根潤三さん 「享年93」、実は「94歳」だった
 野球評論家の関根潤三氏が4月9日、老衰で“93年”の生涯を閉じた。選手としても、指導者としても、ユニークな経歴をたどった野球人だった。 1950年に近鉄に入団。当初は投手として活躍したが、打棒を買われて野手としても出場するようになる。 投手として65勝94敗、防御率3.42。打者として打率2割7分9厘、1137安打、59本塁打424打点の生涯成績。オールスターには投手と野手の両部門で出場。大谷翔平の半世紀以上前に「二刀流」を実現していた。 指導者としては「育成の鬼」と呼ばれた。 広島コーチ時代には山本浩二、衣笠祥雄らを、大洋監督時代は高木豊・加藤博一、屋敷要の「スーパーカートリオ」を、ヤクルトでは池山隆寛、広澤克実らを育てている。 何より野球ファンに印象深いのは「プロ野球ニュース」(フジテレビ系)での好々爺キャラだ。柔和な笑顔と飄々とした語り口にはファンが多かった。 本誌・週刊ポストにも何度も登場し、「関根節」を披露。中でも驚きは“誕生日詐称”の告白だった。戸籍上は昭和2年(1927年)3月15日生まれなのに、大正15年12月25日生まれだった。「親父が役所に届けるのを忘れてたの(笑い)」「だけど、おかげで僕は戦争に行かずに済んだ。大正15年生まれの男性には召集令状が来たけど、同じ学年でも僕は徴兵されなかった。確かに親父のズボラのおかげで助かったわけです(苦笑)」(2017年5月5日・12日号) つまり本当の享年は93ではなく94だったということになる。人柄だけでなく「年齢」でも鷹揚だった。「プロ野球ニュース」で共演が多かった野球評論家の江本孟紀氏がいう。「人当たりがよく、解説でも決して選手や監督の悪口は言いませんでした。でも、実は物凄く勝ち気で、芯の強い人。現役時代は勝敗が決まったゲームで代打に出されると、1回もバットを振らずに帰ってきて抗議の意志を示したそうです。解説でも、つまらないゲームなら何も喋らずにいることも。野球と自身には厳しかった」 今年2月には、関根氏からヤクルトの監督を引き継いだ野村克也氏が亡くなったばかり。2人は指導者として、お互いを認め合う間柄だった。今頃、あの世で野球談義に花を咲かせているのかもしれない。※週刊ポスト2020年4月24日号
2020.04.12 16:00
週刊ポスト
大洋のエースとして大車輪の働きをした遠藤一彦(左は加藤俊夫。時事通信フォト)
大洋・関根潤三監督が“心中”した「1984年の遠藤一彦」
 ソフトな語り口で人気のあった野球解説者の関根潤三さんが4月9日、老衰のため逝去した。93歳だった。近鉄の創成期に投手、打者としてプレーした関根さんは1982年から大洋と1987年からヤクルトの監督を各3年務めた。両球団は1980年限りで巨人監督の座を追われた長嶋茂雄氏を迎え入れようとしたが、固辞された。そのため、長嶋氏と懇意にしていた関根さんを監督に据え、下地を作ろうとしていた。野球担当記者が話す。「若手の育成が上手かった。大洋時代は2年目の高木豊を見出し、徹底的に鍛えて3割打者にした。高木は、関根監督最終年には盗塁王に輝いています。それまで先発かリリーフか固定されていなかった遠藤一彦の1本立ちにも成功した。遠藤は関根監督2年目には巨人の江川卓や西本聖を抑えて、単独で最多勝を獲得し、沢村賞も受賞した。翌1984年は17勝17敗で2年連続最多勝になっています。セ・リーグで勝利と敗戦の数が同じ最多勝投手は、この年の遠藤だけです」(以下同) 1984年、大洋は前年の3位から最下位に沈んだ。打線は打率、本塁打、打点の3部門でリーグ最低に終わり、チャンスに打てないシーンが目立った。「特に遠藤が投げる試合では、からきし打てませんでした。この年、遠藤は37試合に先発しました。そのうち、1試合の援護点3以下が19試合と過半数を超えていた。防御率は3.68でしたから、17勝17敗という数字も納得できます」 この年、遠藤は完投18、投球回276.2もリーグ最多だった。昨年、セ・リーグの最多完投は大瀬良大地(広島)の6、最多投球回数は大野雄大(中日)の177回3分の2であり、隔世の感がある。投手の分業制が確立されている現代と比べれば差が出るのは当然としても、1984年の各球団のエースと比べても突出している。広島・北別府学203.2回、山根和夫222回、中日・小松辰雄186回、郭源治216回、巨人・江川卓186回、西本聖224.2回と遠藤には遠く及ばない。「リリーフの1試合を含め、38試合で34回も責任投手になっている。いかに関根監督が遠藤と“心中”したかわかる数字です。5月27日の阪神戦では2回持たず7失点でKOされましたが、中2日で後楽園の巨人戦に先発し、3安打完封したこともあった」 9月中旬の時点で、遠藤は11勝16敗。そこから1か月で6勝(1敗)を挙げ、この年優勝した広島の山根和男の16勝を抜いて、単独最多勝になっている。「試合間隔の空いた10月は9試合中、4試合で遠藤が勝利投手に。10月5日には、1点勝ち越した直後の7回から3イニングを投げさせ、勝ち星を付けさせました。関根監督はなんとしても遠藤にタイトルを取らせたかったのでしょう」 遠藤は関根監督就任の1982年から6年連続13勝以上を挙げ、大洋ホエールズ最終年の1992年限りで引退。通算134勝は、球団史上4位の記録だ。自身の努力に加え、一度見込んだら最後まで信じ抜いた関根監督がいたからこそ、遠藤は歴史に名を刻めたのだろう。
2020.04.12 07:00
NEWSポストセブン
投手としてだけでなく、打者としても活躍した関根潤三さん(写真:時事通信フォト)
関根潤三さん 沢村栄治との出会いから始まった野球人生
 現役時代は近鉄、巨人などでプレーし、引退後は広島と巨人でコーチ、大洋とヤクルトで監督を務めた関根潤三さんが4月9日、老衰のため亡くなった。93歳だった。関根さんは2リーグ分裂の昭和25年に近鉄パールスに入団。実は、あの伝説の大投手の一言がプロの世界に足を踏み入れるキッカケとなっていた──。(文中敬称略、名前は当時) 昭和18年、日大三中(現・日大三高)が多摩川の巨人合宿所近くの河川敷で練習していると、どてら姿で下駄を履いた沢村栄治がやってきた。打撃練習をしていた関根が「いいところを見せてやろう」と快音を連発すると、沢村が声を掛けた。〈「きみ、素質があるよ。しっかりがんばりなよ」沢村さんは、私の肩にぽんと手を置くと、そう言った。日本一の大投手から、素質があると言われたのである。「よし、真剣に野球にとりくもう、そして六大学のどこかに入って……」(中略)この日の沢村さんのひと言がなかったならば、私の人生は大きくかわっていたかもしれない〉(平成2年8月発行 関根潤三著『一勝二敗の勝者論』佼成出版社) 藤田省三監督率いる法政大学に進んだ関根は根本陸夫とバッテリーを組み、東京六大学リーグで通算41勝30敗、防御率1.96の成績を残した。卒業を間近に控えた昭和24年秋、アメリカから来日した3Aのサンフランシスコ・シールズが日本のプロ野球チーム(全日本選抜、東軍、西軍、巨人)、日本に駐留していた極東空軍、全陸海軍と対戦。10試合を終えて9勝1敗となり、最後の一戦は藤田監督の指揮する六大学選抜チームと行なった。そこに関根もメンバーとして名を連ねた。 先発を任された関根は、初回にいきなり2点を失ってしまう。精鋭を集めた六大学選抜唯一の試合であり、この時点で交代になってもおかしくなかった。しかし、藤田監督は続投を命じる。意気に感じた関根は立ち直り、2回以降ゼロを並べた。延長13回に2点を失って4対2で敗れるも、このシリーズで日本人唯一の完投を遂げ、あの沢村栄治と同じようにアメリカチームとの対戦で脚光を浴びた。関根は自伝で、こう感謝を述べている。〈こいつは今の失敗を反省し、2回以降きちっと抑えてくれるだろう――。藤田監督は、そう確信したからこそ、私を続投させたのであろう。「部下への信頼」を私は感じたのである。藤田監督は顔色ひとつかえない。よし、それだけ信じられているのだったら、おれも〉〈この日の試合で、私が1回半ばで交代させられていたら、おそらく私はまったくちがった人生を歩んでいたにちがいない。すでに企業への就職もほぼ内定していたのだから〉(前掲『一勝二敗の勝者論』) 関根は2リーグ分裂の昭和25年、藤田が監督に就任した近鉄パールスに入団。16年間の現役生活で投手、打者の両方でオールスター出場という偉業も成し遂げ、昭和40年限りで引退した。 指導者に転身すると、何人ものスラッガーを育てた。昭和45年、広島の打撃コーチになると、山本浩二や衣笠祥雄などを我慢強く鍛えた。衣笠はこう振り返っている。〈ナイター終わって11時から、合宿所にいる選手は全員、関根さんに30分ぐらいバットスイングを見てもらって、順次声かけてもらって上がれるんです。ある日、あんまり打てないんで、憂さ晴らしに飲みに出たら3時過ぎになっちゃって。そしたら関根さんはロビーにいらっしゃいました。「叱られる」と思ったら、怒らなかったですね。「やろうか」って、たったひと言。(中略)当時、23歳です。諭し方って、怒るだけじゃないんだというのを初めて覚えました。こたえましたね。あれ以来、そういうことをしなくなりましたから〉(平成22年2月15日・朝日新聞) 鉄拳制裁も珍しくなかった時代、関根は選手を信じ、淡々と振る舞うことで自覚を促した。衣笠は昭和45年10月19日から昭和62年に引退するまで、2215試合連続出場という当時の世界記録を樹立し、日本歴代7位タイの504本塁打を放った。 大洋・関根監督時代の1982年から1984年まで主軸を張った田代富雄は、関根の指導法をこう語っている。〈くすぐり方がうまかった。選手を怒ったり、何かを押しつけたりせず、くすぐってその気にさせるんだよ。自分が選手を教える立場になったとき、最初に思い出したのも関根さんのやり方だったな〉(2013年9月発行 赤坂英一著『最後のクジラ 大洋ホエールズ 田代富雄の野球人生』講談社) 1987年、関根はヤクルトの監督に就任すると、有望株の広沢克己をこう勇気づけた。〈「お前、力はある。がんばれよ」と言ったとき、広沢は目を生き生きとさせた。もとより、私は、沢村さんとは比べようもない平凡な人間だが、このときの広沢の表情、私はそこに、少年時代の私自身の姿を見る思いがした〉(前掲『一勝二敗の勝者論』) 田代も広沢も関根監督時代にシーズン100三振を記録したが、通算で田代は278本、広沢は306本ものアーチをかけ、ファンを魅了した。沢村栄治や藤田省三から感じ取った“上に立つ人間の在り方”を実践し、多くの名選手を輩出した関根はこう言っている。〈「あいつはおれが育てた」と言う監督やコーチがいるでしょ。そんなに簡単に育てることはできないよ。ちゃんとした選手は、放っておいても自分で練習して育つの〉(平成26年7月17日 サンケイスポーツ)〈午前3時頃に戻ってきた衣笠をつかまえて、朝まで素振りさせたという話があるって? もう忘れちゃったよ。僕は現役時代、「朝帰りの潤ちゃん」で有名だったのにねえ(笑)。一生懸命だったんだね、お互いね〉(平成26年7月12日 サンケイスポーツ) 沢村栄治や藤田省三のスピリットを関根が受け継いだように、関根に導かれた田代富雄が、多村仁志、金城龍彦、村田修一らの好打者をを育て上げるなど“名伯楽”と呼ばれ、その教えを後世に伝えている。亡くなっても、“粋な男”関根潤三の魂はこれからも野球界で生き続ける。■文/岡野誠:ライター。本人や関係者への取材、膨大な資料などから解き明かした著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)は『本の雑誌』2018年ノンフィクション部門ベスト10入り。巻末資料では田原の1982年、1988年の全出演番組(計534本)を視聴率やテレビ欄の文言などと掲載。『ザ・ベストテン』の緻密なデータもある。
2020.04.11 16:00
NEWSポストセブン
賃貸住宅の訳あり物件・事故物件については、どこまで知らされる?
賃貸住宅の訳あり物件・事故物件については、どこまで知らされる?
日管協(日本賃貸住宅管理協会)総合研究所では、年に2回、賃貸住宅景況感調査を実施している。今回の調査では、「心理的瑕疵物件における重要事項説明」に関する質問項目を新たに追加した。心理的瑕疵のある物件は、いわゆる訳あり物件や事故物件などといわれているが、その実態について見ていこう。【今週の住活トピック】第22回賃貸住宅景況感調査「日管協短観」(2019年度上期)を発表/日管協総合研究所心理的に嫌悪するような傷のある物件まず、「心理的瑕疵物件における重要事項説明」に関する調査の背景について説明しておこう。「重要事項説明」とは、宅地建物取引業法で定められたもので、賃貸住宅の賃貸借契約を結ぶときには、仲介する不動産会社は借りる人に対して、どんな物件をどういった取引条件で借りるかについて、重要な項目を説明する義務がある。中古住宅を売買の場合も同様だ。説明すべき項目の中に「心理的瑕疵(かし)」が含まれる。瑕疵とは隠れた欠陥のことなので、心理的瑕疵は「心理的に嫌悪するような傷」のことになる。一般的に該当する事例としては、自殺や他殺、孤独死など人が亡くなったり、暴力団事務所などの嫌悪・迷惑施設が近隣にあったりといったことが挙げられる。仲介会社がそのことを知っていながら、借りる人に告げなった場合は責任を問われることになる。ただし、どういった場合に心理的瑕疵に該当するのかについては、明確な基準がない。特に、人が亡くなった場合では、老衰や病気で亡くなってすぐに葬儀が執り行われた場合と、孤独死で長期間それに気づかなかった場合では、心理的な抵抗感や部屋に与える影響の度合いも変わってくる。借りる人によって心理的に嫌悪する程度が異なったり、仲介する不動産会社の判断基準に違いがあったりなどで、どこまで告知されるかはケースバイケースというのが実態だ。心理的瑕疵に明確な基準を設けるべきだ、という声も強くなっている。室内の自殺や他殺、病死などがあれば告知される場合が多いさて、日管協の会員会社に調査した結果を見ていこう。人が亡くなった場合の亡くなり方で、どういった場合に心理的瑕疵として重要事項説明を行うかを聞いた結果が、画像1だ。心理的瑕疵物件(事故物件等)において重要事項説明を行う範囲(出典/日管協総合研究所「日管協短観」(2019年度上期)より転載)「室内で自殺」(74.6%)や「室内で他殺」(64.9%)の場合は、借りる人に告知する割合が高い。「室内で病死や事故死」の場合も59.7%が告知しているが、病死の場合は、それによって部屋が損傷したり臭いが染みついたりした場合に告知する割合(69.4%)のほうが高くなっている。また、室内ではなく共用部などであれば、自殺や他殺の場合でも、告知される割合は半数近くまで下がってくる。つまり、借りようとする住戸内で自殺や他殺、病死などが起きた場合に、重要事項説明で告知されるケースが多いが、そうした場合でも必ずしも告知されるわけではないというのが実態だ。入居者の入れ替えがあれば、告知されないケースも次に問題になるのは、どこまで告知し続けるか、ということだ。こちらも明確な基準はない。死亡事例があった後に誰かが入居して特段問題がなければ、次の入居者に対しては告知をしない、というのが最も短い期間になるだろう。この告知期間について聞いた結果が、画像2になる。最も短いと考えられる「入居者1回入れ替え」が最多の35.1%で、「入居者2回入れ替え」(14.9%)や「一定年数」たったら(11.2%)という場合もある。一方で、「半永久的」という回答も14.9%あり、自殺や他殺、孤独死などが大きく報道された場合など「認知度合、インターネットへの閲覧等の要素」で判断するという回答も9.7%あった。心理的瑕疵物件(事故物件等)において重要事項説明を行う告知期間(出典/日管協総合研究所「日管協短観」(2019年度上期)より転載)この結果を見ると、入居者が1回または2回入れ替わったり、一定年数がたったりすれば、心理的瑕疵が重要事項説明で告知されないケースも多い実態が分かる。事故物件、訳あり物件なら入居しない?心理的に嫌悪する傷のある賃貸には住みたくないと思うのは、今に始まったことではなく、江戸時代にもあったようだ。筆者の連載「連載江戸の知恵に学ぶ街と暮らし」の「お化け長屋」に見る 江戸時代の引越し事情にも書いたが、落語にも「泥棒に殺されたお上さんの幽霊が出る」と嘘をついて、入居希望者を退散させるという「お化け長屋」という噺がある。店賃はいらないと聞いて、それでもかまわないといって押しかけてくる輩が現れ、事態は二転三転という落語だ。今の時代にも、事故物件なら賃料が安くなるので、あえて探すという人もいる。試しに、不動産情報サイト「SUUMO」で、キーワード検索に「事故物件」と入力してみると、いくつか物件が見つかった。詳細は問い合わせないと分からないが、「事故物件のため、2年間賃料ダウン・敷金礼金ゼロゼロ」という記載がある賃貸もあった。心理的瑕疵の程度は借りる人によっても異なる。筆者のように霊感があまりなく、賃料が安くて室内がリフォームされているなら気にしないという人もいれば、霊感が強くて、絶対住みたくないという人もいるだろう。住みたくないという人は、仲介する不動産会社に過去に死亡事例などがないか、心理的瑕疵といわれるものがないかを確認して、それを契約書に記載してもらうといった方法で、確実に告知してもらうようにするとよいだろう。(山本 久美子)
2019.12.25 07:00
SUUMOジャーナル
【追悼2019】金田正一さんや内田裕也さんら歴史を刻んだ人々
【追悼2019】金田正一さんや内田裕也さんら歴史を刻んだ人々
 令和という新たな時代の始まりとなった2019年。今年も多くの人が永遠の眠りについた。政治家、スポーツ選手、ミュージシャンなど、多くの人の記憶に残る人たちだった。(男性編)■中曽根康弘(元首相、享年101) 1947年、衆院議員に初当選。1982年、第71代内閣総理大臣に就任。在職中に国鉄、電電公社、専売公社を民営化。1997年、大勲位菊花大綬章を受章。11月29日死去。■金田正一(元プロ野球選手、享年86) カネやんの愛称で親しまれた前人未踏の400勝投手。1951年から14年連続20勝を記録。1955年には来日したヤンキースのミッキー・マントルから3三振を奪う快投。1965年に巨人に移籍、1969年通算400勝を達成し引退。1974年にはロッテ監督で日本一に。10月6日死去。■萩原健一(歌手・俳優、享年68) ザ・テンプターズのボーカルとしてGSブームを牽引。ドラマ『太陽にほえろ!』『傷だらけの天使』で俳優としても人気に。3月26日消化管間質腫瘍により永眠。■内田裕也(ロック歌手・俳優、享年79) 1966年のビートルズ来日公演では特別編成のバンドで前座を務め、「ザ・タイガース」生みの親だった。昨年9月15日に没した妻・樹木希林を追うように3月17日肺炎で永眠。■堺屋太一(作家、享年83) 1976年、小説『団塊の世代』がベストセラーに。1998年から約2年間、小渕恵三内閣で民間人閣僚として経済企画庁長官を務めた。2月8日多臓器不全で死去。■ケーシー高峰(漫談家、享年85) 日本大学医学部に入学するも、芸能活動の夢捨てがたく芸術学部に転部。1960年代後半から下ネタを取り入れたお色気医事漫談で人気に。4月8日肺気腫で没した。■高島忠夫(俳優・司会者、享年88) 日本一の仲良し芸能一家の大黒柱が静かに旅立った。『ごちそうさま』『クイズ・ドレミファドン!』『アメリカ横断ウルトラクイズ』などで司会を務め、「イェーイ」の決め台詞でお茶の間を盛り上げた。晩年は闘病生活が長く続き、6月26日老衰で永眠。■和田誠(イラストレーター・ 映画監督、享年83) たばこ「ハイライト」のデザインで一躍人気イラストレーターに。その後監督した映画『麻雀放浪記』『快盗ルビイ』が大ヒット。妻は料理愛好家・シャンソン歌手の平野レミ。10月7日肺炎で死去。■安部譲二(作家、享年82) 名門麻布に入学、英国留学、暴力団組員、JAL客室乗務員などを経て、1986年刑務所での実体験を描いた小説『塀の中の懲りない面々』がベストセラーに。9月2日急性肺炎で死去。■竹村健一(評論家、享年89) パイプを片手に鋭い視点で世相を斬り、「デリーシャス」などの流行語も生んだ。口癖は「だいたいやねぇ」。著書は数百冊にのぼる。7月8日多臓器不全で死去。※週刊ポスト2019年12月20・27日号
2019.12.14 07:00
週刊ポスト
アルダブラゾウガメのジョナサンは、食生活の改善で世界最高齢といわれる187才に!(イラスト/斉藤ヨーコ)
カメは本当に「万年」生きるのか? 長寿のカギは食生活
 生き物の知られざる生態を紹介した『おもしろい! 進化のふしぎ ざんねんないきもの事典』(高橋書店)が小学生の間で大人気となっている。シリーズ累計での売り上げは350万部を超え、昨年、全国12万人の「小学生がえらぶ!“こどもの本”総選挙」(ポプラ社主催)では、同シリーズの監修を務める動物学者・今泉忠明さんが1位に輝いた。 そこで、今回はそんな今泉さんに生き物の「寿命」について解説していただいた。1万年生きるといわれるカメの寿命はどれくらいなのか? * * * 今年10月6日、ナイジェリアでカメの「アラバ」(現地語で長生きの意)が344才で死んだと発表されましたが、品種から見て、ここまでの長寿には疑問視する声も。 一方、存命中の陸生動物では、南大西洋にあるセントヘレナ島に暮らすアルダブラゾウガメの「ジョナサン」が世界最高齢といわれ、推定187才。 長生きの秘訣は、ずばり食事です。灌木の枝ばかり食べていたジョナサンですが、栄養の偏りから2014年に衰弱。その後、地元の獣医がりんごやにんじん、きゅうり、バナナ、グアバなど栄養価の高い食べ物を与えると、すっかり元気になりました。 同じカメでも半水生のクサガメと陸生のゾウガメでは食べる物が違う。それぞれの体質に合う主食やビタミン、ミネラルなどがあるので、ペットのカメにジョナサンと同じ食べ物を与えても、長生きするとは限りません。【アルダブラゾウガメの基本データ】大きさ:甲長100ccm生息地域:インド洋と太平洋東部の島々の乾燥地や草原好きな食べ物:サボテンや果実、草、小枝などの植物毎日の健康法:日光浴◆ご長寿小噺「クサガメはかつおがお好き」 和歌山県出身の博物学者・南方熊楠(1941年逝去、享年74)が飼っていたクサガメの「お花」も100才超えの大往生。2001年に老衰で亡くなった。長寿の秘訣はエサの「かつお」だったとか。※女性セブン2019年12月5・12日号
2019.11.24 16:00
女性セブン

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