◆14歳で北京大学入学
それでは、習近平の期待が高い李書磊とはどのような人物なのか。
李は1964年1月、元・明・清代の知府衙門(知事の役所)が置かれていたことで知られる南陽市に生まれた。この知府衙門は東西150m、南北240mと、面積は3万6000平方mに及び、いまも知事の執務室や居宅、他の役人の仕事場など150余りの部屋が当時のまま残っている。中国国内で当時の知府衙門が現存しているのは唯一、南陽だけで、これだけでも世界遺産級とされる。
いまは博物館になっているが、実は、李がまだ14歳の中学2年生だったにもかかわらず、1978年に北京大学の入学試験を受けることになったのは、この博物館建設のために駆り出されたことがきっかけだった。
李は幼いころから「神童」と呼ばれ、ずば抜けて頭が良くて、国語や数学、歴史などの学科のテストではすべて満点。
李の父親は南陽市政府の文化担当の職員だったため、歴史にも博識だった李にも、博物館建設で知府衙門の展示の説明文などの作成の作業が割り振られた。李はこのような作業を完璧にこなしたことから、市長ら最高幹部が省政府に掛け合って、文化大革命(1966~1976年)で中断されていた大学入試の第2期生として、特別に北京大の受験を許されたのだ。
その結果、試験でもほぼ満点の成績で合格。晴れて、14歳での北京大入学が認められた。入学したのは図書館学科で、文学や歴史を学び、4年間で卒業したあと、修士・博士課程に進みながら、中央党校で教鞭をとった。
中央党校には全国の党政府機関から極めて優秀な幹部候補生ばかりが選抜されるが、20代で中央党校の教員として採用されたのは李が初めて。いかに、李が優秀だったか分かろうというものだ。