李は教授だった2004年2月、幹部研修で中央党校から西安市政府に派遣され、2006年1月までの2年間、党委副書記として地方幹部を経験した。
北京のジャーナリストによると、この間、浙江省トップだった習近平が西安市を視察で訪れた際、李が説明役として習近平に随行。習近平は、学者肌にもかかわらず、こまごまと習近平一行の面倒をみる李の気配りに感心し、また、その学識の深さにも触れ、李に好印象を抱いたという。
とはいえ、当時の李は、その3年余りのちに、中央党校のキャンパスで、校長に就任した習近平と再会することになろうとは想像もしなかったに違いない。2007年10月、第17回党大会で党政治局常務委員に選出された習近平は「党務担当」の最高幹部として、中央党校校長も兼務するや、翌月には44歳の李を副校長に任命。スピーチライターとして重用した。
習近平は2012年11月の第18回党大会で党総書記に選出され、すぐに反腐敗運動や「中国の夢の実現」などの重要政策を打ち出すが、「それらのほとんどは李が習近平に提案したものだ」と前出のジャーナリストが明かす。
李は行政能力を高く評価され、2014年1月には福建省党委常務委員兼宣伝部長に就任。福建省は習近平が32歳から17年間も幹部として勤務した地元だけに、李が同省に幹部として送り込まれたのは、習近平の強い意向が働いたためであることは間違いない。