そうして日本防衛の「最前線」は、旧ソ連・ロシアに近い北海道から、領土領海拡大の野望をむきだしにする中国と向き合う沖縄に移った。那覇基地における戦闘機スクランブルは北海道の数十倍に達している。
さらに、取材者を迎える自衛隊の態度そのものが、極端に保秘的・警戒的になった。三島由紀夫が憂えたように、日本はアメリカの「属国化」の色を濃くしたかと思われ、それが本書を「最終章」とした理由のひとつだ。
その三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊で死んだ日に十八歳になった杉山隆男は、三十九歳で自衛隊の取材を開始し、満六十四歳になったとき、四半世紀におよぶ優れた観察・研究・報告の筆を置いた。
※週刊ポスト2017年6月16日号