ヨーロッパから一時帰国していた私は、都内のホテルで須田の著書を一気に読んだ。『この本を手にとってくださったあなたにお聞きしたいのです。私がしたことは殺人ですか?』(青志社)。調査を重ね、その質問の最終的な答えを、私なりに見つけたいと思った。
日本では、患者本人の意思の有無にかかわらず終末期の患者を積極的に死に導いた場合、民事訴訟だけでなく、刑事訴訟に発展し、医業停止命令や免許取り消しといった行政処分を受ける(*注)。
【*注/苦痛に苛まれる患者に対して、投薬などによって意識レベルを下げ、死に導く「緩和医療」は、認められている。また、延命治療などを施さず、自然な死を迎えさせることは「尊厳死」と呼ばれ、これも一部認められている】
背景には、日本独特の慣習や法律が根差している。当時、川崎協同病院・呼吸器内科部長を務めていた「殺人者・須田セツ子」本人の口から、それらが実際の医療現場の常識とどう、かい離しているかを探りたかった。
1998年11月16日、事件は、神奈川県川崎市にある川崎協同病院の南病棟2階228号室で起きた。気管支ぜんそくを罹患していた58歳の男性患者、土井孝雄さん(仮名)が、鎮静剤の後、筋弛緩剤「ミオブロック」を投与され、息を引き取った。その時、主治医だった須田が、「4年後」の2002年12月、殺人罪で起訴された。
型枠大工の工務店を営んでいた土井さんは、1984年から川崎公害病患者に認定されていた。その4年前から同病院に勤めていた須田は、外来主治医として、この患者をよく知っていた。普段は無口だった彼が、須田に会うと、時々、言う口癖があった。
「自分はずっとこの仕事をやってきた。この仕事が大事なんです」