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2017.07.08 16:00  女性セブン

幼少期の藤井四段 指し手熟考しながら歩き、側溝に落ちた

「毎日、“聡ちゃん、今日もこれ作ったよ”と自作したバッグを嬉しそうに持ち帰っていました。あの幼稚園は、読み書きを教え込むような教育法ではないので好感を持っていたんです」(育子さん)

 と、記者が祖母に話を聞いている最中、肩にかばんをかけた学生服姿の藤井四段が帰宅した。日本中を騒がしている中学生とは思えない落ち着いた表情で、祖母にペコリと頭を下げて自宅に入った。

◆藤井四段を支えた祖父

 藤井四段は5才の時、育子さんから子供用の将棋盤セットを与えられて将棋を始めた。

「すぐに夢中になりました。平仮名よりも早く将棋の駒を覚えて、毎日、うちに来ては将棋盤に向かっていました」(育子さん)

 指し手を熟考しながら道を歩き、誤って側溝に落ちるほど熱中する息子を母は黙って見守った。当時、藤井四段を支えたのは祖父だった。最初こそ将棋相手を務めたが、すぐ実力ではかなわなくなった祖父は、自らは一歩引いて孫の成長を楽しみにするようになった。

「聡太は幼稚園の頃から“おじいちゃんはぼくに勝てない”と言っていました(笑い)。小学校に入ると聡太は学校が終わるとすぐウチに来て、将棋の本を見ながら棋譜を並べて、ひとりで研究するようになった。おじいちゃんは聡太がいつ来てもいいように毎日毎日、将棋の駒をきれいに磨いていました。本当に嬉しそうでした」(育子さん)

 だが、祖父は孫のプロデビューを見ることなく、昨年2月にがんで他界した。

「長く体調を崩していたわけではなく、本当に急でした。聡太はおじいちゃん子だったから、とても悲しんでいました」(育子さん)

 祖父の死を乗り越え、2016年10月に史上最年少でプロ入りした藤井四段は、連戦連勝。だが、決して天狗にならなかった。

「小さい頃から『勝っておごるな、負けてくさるな』『実るほど頭を垂れる稲穂かな』と聡太には言い聞かせていたんです。いくら将棋が強くても、謙虚さを忘れたらダメです。私は古い人間だから、そんなことばっかり言っちゃうんです(苦笑い)。でも聡太はちゃんと聞いていましたよ」(育子さん)

※女性セブン2017年7月20日号

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