作り方も相当アレだ。ゆでたそうめんにサラダオイルをかけ、ゆでたピーマンの中に詰め、上にしその葉の千切りを乗せる。黒ごまをよくすり、砂糖、味噌、醤油、化学調味料を入れほどよいかたさになるまで水かだしで伸ばす。小鉢にゴマだれを入れて周囲にピーマンを盛り付ける。
高度成長期のレシピには、時折こういうヤマカンで作ったイチかバチか感あふれるメニューがある。すすり上げる快感もコシもない。なぜピーマンに詰めるのかという理由もよくわからない。現代ではまず見ることのないちょっと変わったメニューである。
それが昭和50年代以降になると情報も増え、レシピも成熟してくる。1977(昭和52)年には女子栄養大の上田フサ教授が全国の郷土食を土台にしたそうめんレシピを紹介。基本のつけ汁から始まり、「わんこそば風」のアレンジメニューに栃木の農家でごちそうになった「ゴマみそだれ」。新潟の「田舎汁」に沖縄の「いためそうめん」(いわゆる「ソーミンチャンプルー」)まで多様なそうめんメニューが提案されている。
平成に入ると飽和した情報を元に、過去のさまざまな知見を「検証」する企画が立てられるようになる。1993(平成5)年には「当年モノは軟かく甘み… 梅雨を越すと風味が出る… そうめんどっちがおいしい?」という生産者や識者の知見を集める検証企画が掲載された。
例えば小豆島手延素麺協同組合への取材では「出荷品の8割が当年もの。甘みやコクがあって柔らかい。ヒネものは、さっぱりしてコシが強い。個人の好み」、兵庫県手延素麺協同組合は「歯ごたえはヒネのほうがいい。ただ、保存状態が悪いと酸化して油臭くなる」という。奈良県三輪素麺工業共同組合の植田一隆さんは「古いほうがおいしいと言われていますが、専用の倉庫でないと品質を保つのは難しいでしょう」と家庭では使い切りを勧めていた。
そうめんには、明確に「正解」といえる調理法が浸透してこなかったが、すでに20数年前に検証はなされていたのだ。記事中には他にも「ゆでてすぐ食べるなら当年もヒネもどちらも同じ」「軟らかい当年ものにはさし水の必要はない」「ヒネものはノビにくい」など現代でもまだ浸透していない「正解」が掲載されていた。そろそろそうめんにも「温故知新」という言葉が適用される時代がやってきたのかもしれない。