宗教学者の島田裕巳氏
◆「歪み」は修正できない状況に陥っている
遺族会など、戦争の記憶を直接持つ世代がどんどん退場していって、靖国神社内部にさえも、靖国神社が本来持っていた性格というものがわからなくなってきているのではないか。たとえばこの本には、みたままつりの露店が廃止された経緯の解説が載っていて、「厳粛な神社の空間を取り戻すべきだ」と徳川康久宮司が主張、廃止を決断したといいます。
これに対し、「多くの国民が戦没者のことを思いながら、楽しく靖国神社に集まるのはいいことだ」というロジックで宮澤氏は反論している。実際の歴史を考えれば宮澤氏の言うことの方に分があり、靖国には実は「国民が楽しく集まれる場所」という性格が存在していました。けれども、それは「靖国には自分のお父さん、お兄さんたちがいるんだ」という、戦争の記憶を直接に知る世代だからこそ感じられた「親しみやすさ」だったのです。
そういう世代が消えて、靖国にいるのは単に漠然とした、イメージとしての「戦没者」なのだという風にしか感じない国民が増えれば、「靖国神社は厳粛な慰霊の場であるべきだ」という徳川宮司側の主張の方に説得力が出てくる。
この本は宮澤氏が現状を憂いて、何とかうまい形で靖国神社を存続させていく道筋はないかという思いで書いたものだとは思います。しかし逆に戦後70年、靖国神社が本来あるべき形と異なる宗教法人として歩んできて、内部においてさえすごい歪みが出てきており、もう容易にはそれを修正できない状況に陥っているという状況をまざまざと教えてくれる一冊だと、私には感じられました。
本当に「靖国神社が消える日」はそう遠くないのかもしれない。私はそんな感慨をさえ抱いています。