思い起こされるのは、戦後の保守論壇を率いた故・江藤淳氏が、1997年、小沢一郎氏に向けて「小沢君、水沢に帰りたまえ」と呼びかけた産経のコラムである。江藤氏は政治家としての小沢氏を高く評価していた。それゆえに党首を務めていた新進党が分裂危機を迎えた小沢氏の苦境を憂え、地元である岩手県の水沢に帰って他日を期すべきだ、と説いた。
しかし、同じ産経を舞台にした政治家への呼びかけであっても、西尾氏の筆致は箴言の域を越え、「見限った」と断じるレベルにある。
さらに西尾氏はこの9月、『保守の真贋──保守の立場から安倍信仰を否定する』(徳間書店)という著書を上梓する予定だ。そこではさらに過激な安倍政権批判が展開されている。冒頭から、北朝鮮拉致問題に対する安倍首相の姿勢をこう斬って捨てる。
〈拉致のこの悲劇を徹底的に繰り返し利用してきた政治家は安倍晋三氏だった。(中略)主役がいい格好したいばかりに舞台にあがり、巧言令色、美辞麗句を並べ、俺がやってみせると言い、いいとこ取りをして自己宣伝し、拉致に政権維持の役割の一端を担わせ、しかし実際にはやらないし、やる気もない。政治家の虚言不実行がそれまで燃え上がっていた国民感情に水をかけ、やる気をなくさせ、運動をつぶしてしまった一例である〉
憲法改正、皇室問題、国土防衛など、その後もテーマを移しながら安倍批判は続く。その表現は鬼気せまるものがある。
〈ウラが簡単に見抜かれてしまう逃げ腰の小手先戦術は、臆病なこの人の体質からきている〉
〈いつもいいとこ取りをし、ウロウロ横見ばかりして最適の選択肢を逃げる〉
そしてこう断言する。
〈安倍氏、ないし自民党は「保守」とはまったくいえない勢力だ〉