〈結局人を殺し財を損じ、加之向後の成行き、必ず士族の気力を失わしめ、政府専制の慣習を養成し、開化の歩を遅々たらしむるは、この度戦争の余害なり〉
武力・兵力を嫌っていた福澤は、明治になってわずか10年で、政府が武力による問題解決をしようとしたことを嘆いています。西郷軍が「戦う」と言っても、それをしないで済ませるような力が政府にはあったのではないか、と。
福澤は、民を支配できる特権を捨ててまで明治維新のような大改革を成し遂げ、自ら支配階級を降りた士族に対して、政府があまりにも鈍感であり、救いを差し伸べていないと思っていたのかもしれません。
最大の功労者・士族の代表格である西郷を、同じ“侍の気概”を持つ者同士として福澤は深く理解し、その後の文明開化のために必要な人物だったと、『丁丑公論』で惜しんだのです。
【PROFILE】齋藤孝●1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業。同大大学院教育学研究科博士課程等を経て、明治大学文学部教授。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。『西郷どんの言葉』(ビジネス社、9月上旬発売予定)など著書多数。
※SAPIO2017年10月号