福沢諭吉一覧

【福沢諭吉】に関するニュースを集めたページです。

近代化政策を進めた幕臣・小栗忠順の銅像(神奈川県横須賀市)
「突出した人材」を生み出す教育とは 大前研一氏は「幕末に学ぶべき」と指摘
 21世紀の“答えのない時代”にも自分で答えを見いだせる優秀な人材を育む北欧型教育や、グローバルに活躍するリーダーを輩出しているリベラルアーツ教育に比べて、日本における教育システムは“周回遅れ”の印象すら受ける。しかし、そうかといって日本人の能力が劣っているわけではない。今も世界を舞台に活躍している日本人は数多くいる。彼らはどのような教育を受けてきたのか──。世界的経営コンサルタントとして知られる大前研一氏が解説する。 * * * これまで私は著書や連載などで、日本の教育の欠点や課題について論じてきました。では、日本人は世界で活躍できる人材がいないのかと言えば、決してそんなことはありません。文部科学省の学習指導要領の“外”で育った日本人には、綺羅星の如く、才能にあふれた人たちがいます。図表1にまとめたので、そちらをご覧ください。 日本人というのは、文科省の影響が及ばない分野では、こんなふうに世界で活躍できているのですが、これらはすべて目標や理想とするものが「見える化」できています。何を目指すかが明確であれば、そこに向かって努力を重ねることができる。それで、子供の頃から才能を見いだされて“本場”に渡り、世界のトップクラスの選手と競争しながら、専属コーチの指導のもとで学ぶことで、才能が花開きます。 このような理想の人材育成が、これからの教育に求められていると思います。 もう1つ、日本人の人材育成という点で大いに参考になることがあります。それは、近刊『経済参謀 日本人の給料を上げる最後の処方箋』でも取り上げている、日本の歴史、先人たちの教育への取り組みです。明治維新後の日本を支えた人材 歴史をひもといてみると、日本というのは時代の代わり目にすごいことをやっています。明治維新です。これによって日本は、封建制の国から近代国家へと一気に生まれ変わりました。こうしたドラスティックな体制転換を日本が実現できたのはなぜなのかということを、私は長年の研究テーマにしています。 そこで注目すべきなのが、1860年代にアメリカに派遣された「万延元年遣米使節団」です(図表2参照)。 これは、安政7年(1860年/3月に万延に改元)に、日米修好通商条約の批准書交換のため遣米使節団が派遣されることになりました。ただし、日本の船では危ないというので、アメリカが軍艦ポーハタン号を提供してくれたそうです。その使節団の正使、つまり批准書を持っていくのは、当時39歳の新見正興(しんみまさおき)、副使は48歳の村垣範正(むらがきのりまさ)でした。その下に監察という役職をもつ34歳の小栗忠順(おぐりただまさ)がいました。 小栗忠順は、私が知る限り、近代日本の歴史の中で最も頭の良い人物です。彼は若くして外国奉行をやっています。これは今で言うところの外務大臣です。それから、勘定奉行、すなわち江戸幕府の中の大蔵大臣もやりましたし、江戸の警察・消防・司法などを束ねる町奉行や、陸軍奉行、軍艦奉行なども務めていました。まさに八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍です。 そうした重職につく以前、小栗はこの遣米使節団の中では通商交渉をやっています。それは、フィラデルフィアの造幣局に行って、アメリカのドルと日本の円の為替レートを見直す際の交渉でした。それまでは、アメリカが一方的に1ドルも日本の1両も同じ金貨だから、その重さで換算していましたが、小栗忠順は日本の金のほうが純度が高いのだから、それによって交換レートも補正しなくてはいけないと主張したのです。 この主張については、アメリカ側も認めたのですが、補正の計算方法がわからない。すると小栗は和算を使って、彼らの見ている前でその補正値をパチパチと弾き出しました。アメリカ側がその計算の正しさを確認するまで何日もかかったといいます。この小栗の明晰さとタフ・ネゴシエイターぶりはニューヨークタイムズでも絶賛されました。 それで、使節団がニューヨーク入りした時には、ちょんまげに刀を差しているというので、街中あげて紙吹雪で歓迎されています。私は個人的に小栗という人物を敬愛しているので、横須賀にある小栗の銅像をしばしば訪ねています。 さらに、この使節団には、護衛艦として咸臨丸(かんりんまる)という船が一緒について行っています。司令官は軍艦奉行の木村喜毅(きむらよしたけ)31歳。艦長は38歳の勝麟太郎(かつりんたろう)、すなわち勝海舟(かいしゅう)です。それから唯一、英語の通訳ができた34歳のジョン万次郎もいました。さらにこの船には、27歳の福沢諭吉が乗っていました。福沢諭吉はその後もヨーロッパやアメリカに派遣されていますが、この万延元年の渡米が最新の「西洋事情」を学ぶ最初の機会でした。 この使節団の200人近い人間を選んだ責任者は、大老の井伊直弼(いいなおすけ)です。井伊は「安政の大獄」で多数の大名・志士などを弾圧し、さらに遣米使節団が出発した直後の「桜田門外の変」で暗殺されたため、日本史の授業では悪いイメージで語られがちです。しかし、実際は鎖国政策には限界があるとして、開国した後の日本を背負って立つような人材を集めて、欧米で学ばせるべきだと考えていた人物です。その意味では、井伊直弼は以後の日本のために非常に大きな功績を果たしたと言えます。 結局、日本が明治維新後に、欧米に追いつき追い越せということで瞬く間に近代化することができたのは、これらの使節団を通じて優秀な若者たちが“本場”に渡り、目標を「見える化」してモチベーションを高めていけたからです。こうなると、日本人は能力を発揮するわけです。人材輩出する「私塾」の必要性 さらに、江戸時代の後期から幕末にかけて、各地方で私塾や藩校での教育が盛んになっていったことも、近代日本の人材育成という意味では非常に重要です(図表3参照)。 たとえば、九州豊後の日田にあった広瀬淡窓(ひろせたんそう)の咸宜園(かんぎえん)。ここは漢学を教える私塾で大村益次郎(おおむらますじろう)などが育っています。大村益次郎というのは、明治政府で最初に近代陸軍の基礎をつくった人物(兵部大輔〈ひょうぶたゆう〉=陸軍次官)です。靖国神社の入り口のところにその功績を称えて大きな銅像が建っていますが、咸宜園の後に大坂の緒方洪庵(おがたこうあん)の適塾で蘭学を学び、医学や兵学を修めて塾頭になったほどの秀才です。 その適塾では、先述した福沢諭吉も門下となり、やはり後に塾頭を務めました。 また、長崎の鳴滝塾(なるたきじゅく)はシーボルトが開いた私塾で、蘭学や医学を教えていました。 そして有名な松下村塾も長州・萩にありました。吉田松陰のもとで、高杉晋作や久坂玄瑞(くさかげんずい)、明治政府の重職を担った伊藤博文、山県有朋(やまがたありとも)といった門下生が学んでいます。 これらは私塾ですから、もちろん学習指導要領のようなものはなく、広瀬淡窓、緒方洪庵、シーボルト、吉田松陰といった塾主・塾長の個性と独自の個別指導があり、それをぜひ学びたいという高い志をもった門下生たちが自発的に集まっていました。その結果、明治維新で近代日本をつくり上げた優秀な人材が、私塾から次々と輩出されていったのです。 21世紀に求められているのも、こうした「突出した個人」を生み出していくような教育です。繰り返しになりますが、それは学習指導要領や一条校(学校教育法第一条で規定)のような旧態依然とした教育制度とは対極にあるものです。※大前研一『経済参謀 日本人の給料を上げる最後の処方箋』(小学館)より一部抜粋・再構成
2022.05.28 16:00
NEWSポストセブン
マニ車外観。強盗などの襲撃に備え窓は防弾ガラスになっていたとも言われる。
幻の現金輸送専用鉄道車両「マニ30」 新札登場で封印は解けるか
 現金輸送車といえば、厳重に警備された特殊な自動車を思い浮かべる人が多いだろう。日本銀行は、福沢諭吉の一万円札と樋口一葉の五千円札、野口英世の千円札が発行される前年度まで、鉄道も使って大量の現金を輸送していた。輸送を担っていた車両「マニ30」は半世紀ほどの運用のなか、徐々に話題にすることがタブー視されていった。ライターの小川裕夫氏が、話題にすることも避けられてきた幻の「マニ30」の現在についてレポートする。 * * * 渋沢栄一が顔となる新一万円札の印刷が9月1日から始まった。現在、一万円札の肖像は福沢諭吉だが、2024年に新一万円札へと切り替わる。昨今、キャッシュレス化が進み、現金を使用する機会は減っている。とはいえ、いまだ現金を使う機会は多い。ゆえに、新一万円札には、これまで以上に偽造を防止するための最新技術が用いられている。 日本銀行は、新一万円札に用いられる偽造防止技術をツイッターなどでも積極的に紹介している。防止技術を情報公開したら、逆に偽札製造を試みようと悪だくみをする人たちの幇助につながりそうだが、日本銀行には偽造されることがないという絶対の自信があるのだろう。それほど高度な技術が日本銀行券には使われている。 その一方、日本銀行は輸送体制に関しては頑なに口を開こうとしない。例えば、日本銀行券の印刷を所管する国立印刷局は、東京・王子・小田原・静岡・彦根・岡山の6工場を有する。このうち、王子工場は郵便切手や有価証券類を担当。また、岡山工場は有価証券類や紙幣の用紙製造を担当し、印刷は手がけていない。 つまり、東京・小田原・静岡・彦根の4工場で日本銀行券は印刷されていることになる。日銀は、北は北海道旭川市から南は沖縄県那覇市まで支店を置く。業務上、これらの支店に大量の日本銀行券を輸送しなければならないわけだが、その輸送体制は長らく謎のベールに包まれていた。「大変恐縮ですが、現金輸送にかかる詳細は過去の情報を含めセキュリティに関することを含みますので、お答えを差し控えさせていただきます」と言葉を濁すのは日本銀行広報部の担当者だ。 セキュリティの観点から、現状の輸送体制について公言できないのは仕方がない。しかし、すでに歴史となっている部分についても質問しても「セキュリティに関わることなので回答できない」(同)と繰り返す。 日銀は全国各地の支店へ日本銀行券を輸送するにあたり、2003年度まで鉄道貨物輸送をフル活用していた。その現金輸送列車は、1949年から導入されていた。それまでの輸送体制も多くは秘密にされているが、日銀職員数人がアタッシュケースに現金を詰めて運んでいたとの資料が残されている。 しかし、一般乗客と現金輸送を担当する日銀職員が同じ車両に混乗することは危なっかしい。そのため、専用の現金輸送車両が製造された。専用の現金輸送車はマニ34形という型番だったが、後に改番されてマニ30形となった。そのため、日銀関係者や国鉄関係者からは一般的にマニ30、もしくはマニ車と呼ばれる。 マニ30の「マ」は42.5トン~47.5トン未満という重量区分を示すマで、「ニ」は荷物車を示すニに由来する。英語のマネーから転訛したわけではない。しかし、その語感が似ていることから、マニ30はマネーを意味するという話が一人歩きしていった。 かつての鉄道雑誌でも、マニ30は特にタブー視されていない。そのため、至って普通に掲載されていた。それらの資料を見ると、マニ30の窓は防弾ガラス仕様であるとか、警察官や鉄道公安職員(現・鉄道警察隊)が同乗して警戒にあたっていたという。 しかし、運んでいるモノがモノだけに、日銀や国鉄内部から次第にタブー視されるようになる。また、1968年に東京都府中市で起きた三億円事件も少なからず影響しているかもしれない。いずれにしても、国鉄は鉄道雑誌の各編集部に掲載しないように暗に圧力をかけるようになったといわれる。 こうしてマニ30は、メディアから封印された。そうした背景も憶測が憶測を呼ぶ遠因になった。 時代の流れもあり現金輸送は鉄道から自動車へと移り、2004年に役目を終了。最後まで残っていたマニ30は6両あったが、そのうち1両は北海道小樽市総合博物館に引き取られた。その経緯については、「日本銀行では、銀行券の輸送に使用してきた貨車(マニ車)の展示を通じ、日本銀行の業務や役割に対する理解を深めていただく観点から、2004年に小樽市交通記念館(現・小樽市総合博物館)に寄贈、展示することとしました」(同) 小樽市には日銀の支店があり、そうした縁からマニ30は小樽へ引き取られることになった。しかし、残りの5両は廃車されたと言われている。マニ30は貴重な車両のため、小樽市交通記念館が展示を開始した同年7、8月の来場者は、前年7、8月と比べて2000人以上も増加した。それだけ貴重で人気のあるマニ30なだけに、ほかの博物館から引き取りたいという声が出なかったとは考えづらい。「なぜ残り5両を廃車にしたのかといった理由は、わかりません。昔のことなので、当時の事情を詳しく知る職員もいません。譲渡の経緯が記された資料も残っていないのです」(同) マニ30は長らく頑なに秘密にされてきた。しかし、2020年に本店の見学コースをリニューアルした際に、模型ながらも一般公開された。 さらに日銀は「ご自宅から日本銀行本店の新見学コースをお楽しみいただけるよう、3DやVRの映像を活用したオンライン本店見学”おうちで、にちぎん”を2020年6月よりホームページにて公開しています」(同)といった具合に、オンラインでもマニ30を見られるようにしている。 マニ30の存在は日銀史や鉄道史、そして日本の経済史において無視することはできない。しかし、タブーだったがゆえに、研究や解明は進められてこなかった。タブー視されていたマニ30の封印は、歳月とともに解けつつある。渋沢の一万円札が登場する2024年、マニ30の封印はどのぐらい解けているだろうか?
2021.09.15 07:00
NEWSポストセブン
スマートフォン「iPhone 3G」が全国一斉発売し、即完売で話題に(撮影/矢口和也)
浅間山荘、グリコ森永、秋葉原無差別殺傷…子年の事件簿
 2020年は子年。数々の芸能人や政治家の運勢を視てきた沖縄のユタ直系占術家・島袋千鶴子さんは、十二支の初めにあたる“子年”には、新しいことが始まる傾向にあると話す。これまで子年に起こった事件を調べたところ、なるほどと思える出来事が。過去60年の子年を振り返ることで、今年起きることを予想してみませんか?◆1960(昭和35)年に起きた出来事1月 「日米相互協力及び安全保障条約」調印2月 天皇陛下(浩宮徳仁さま)誕生8月 ローマオリンピック開催10月 浅沼稲次郎暗殺事件/日本社会党委員長が演説中、17才の右翼少年に暗殺された。◆1972(昭和47)年に起きた出来事2月 浅間山荘事件/武装した連合赤軍5人が人質を取り、長野県軽井沢町の保養所を占拠。5月 沖縄返還/戦後27年におよぶアメリカ支配から離れた。8月 ミュンヘンオリンピック開催9月 日中国交正常化/北京の人民大会堂で共同声明の調印が行われ、戦争状態が終結。10月 パンダ来日/日中国交正常化を記念し、中国からカンカンとランランが贈られた。◆1984(昭和59)年に起きた出来事3月 グリコ・森永事件/江崎グリコの社長が誘拐されるなど、食品会社を標的とした一連の企業脅迫事件が発生。7月 ロサンゼルスオリンピック開催/柔道の山下泰裕選手が金メダルを獲得。11月 新札発行/一万円札に福沢諭吉、五千円札に新渡戸稲造、千円札に夏目漱石の肖像が。12月 高級ディスコチェーン店「マハラジャ」麻布十番店(東京)がオープン/その後全国展開して高級ディスコがブームとなる。◆1996(平成8)年に起きた出来事1月 NASAのスペースシャトル「エンデバー」が打ち上げ/日本人初の搭乗運用技術者として、若田光一さんが乗船する。7月 アトランタオリンピック開催11月 バンダイが携帯ゲーム機「たまごっち」を発売◆2008(平成20)年に起きた出来事1月 中国製冷凍ギョーザ事件/中国製の冷凍ギョーザを食べた10人が、嘔吐などの中毒症状を起こす。6月 秋葉原無差別殺傷事件/7人が死亡、10人がけがをし、戦後最大規模の殺傷事件に。7月 世界初のスマートフォン「iPhone 3G」が発売8月 北京オリンピック開催9月 リーマン・ブラザーズ経営破たん※女性セブン2020年1月16・23日号
2020.01.07 16:00
女性セブン
日本語由来の韓国語を使わないようにする、というが…(EPA=時事)
韓国で「日本製品不買」に続き“日本語狩り”が始まった
 日本政府が輸出優遇措置を廃止したことに対抗して、韓国では日本製品の不買運動が始まっているが、それとは別に、日本から見れば“暴走”とも思える行為がすでに始まっている。 朝鮮日報の記事「京畿道教育庁『修学旅行やファイティングも日帝残滓』」(2019年7月9日付)によると、韓国・京畿道の教育庁(教育委員会に相当)は道内にある2300校以上の小・中・高校に対し、「学校生活の中の日帝残滓発掘調査」を実施し、「修学旅行」や「ファイティング」「訓話」といった日本由来の言葉を「清算」対象として位置づけたという。「日帝残滓」とは日本統治時代に日本から韓国に伝わった文化のことで、それを「清算」するというのは破棄するということ。「ファイティング」は英語だが、第二次大戦中に日本軍兵士を「ファイト!」と送り出したことから広まったと説明されている。 つまり、日本語狩りを始めようとしているのである。 しかし、朝鮮日報の記事でも指摘しているが、韓国語の中には日本語由来の言葉が数多くあり、「修学旅行」や「訓話」などだけには留まらない。韓国人作家の崔碩栄氏はこう指摘する。「韓国の学校の中では、日本語由来の言葉が数多くあります。『教育(キョイク)』や『学校(ハッキョ)』がそもそも日本語由来で、『教師(キョシ)』『担任(タニム)』『教科書(キョグァソ)』『算数(サンス)』『数学(スハク)』『地理(チリ)』『美術(ミスル)』『音楽(ウムアック)』『班長(パンジャン)』など、日常的な言葉がたくさんあります。それを排除するなどほとんど不可能でしょう」 他にも韓国語になっている日本語は多数あるが、学校には特に多いという。なぜか。元朝日新聞ソウル特派員でジャーナリストの前川惠司氏はこう説明する。「日本が併合して統治するまで朝鮮には両班(朝鮮王朝時代の支配階級)の子息が儒教を学ぶ『書堂』しかなく、誰もが教育を受けられる国民学校を整備したのは日本です。だから、学校の中で使われる言葉の多くが日本語由来なのです」「日本語由来だから破棄する」としたところで、その言葉を代替する元の韓国語がないため置き換えようがない、というのが現実である。 江戸末期から明治にかけて、慶應大学の創設者、福沢諭吉が中心となって外国からの書物を輸入して翻訳したときに、当時、日本にはなかった西洋発祥の概念を表現するため、「経済」「社会」「科学」「健康」「文化」「常識」などさまざまな新造熟語を作り出した。日本で作られた熟語は中国や朝鮮にも伝わり、その概念とともに新たに使われ出した。特に韓国は日本が36年間統治していたので、非常に多くの日本製熟語が韓国語になっている。 それらについて韓国人は漢語由来の「中国から入ってきた言葉」と思っているかもしれないが、実は日本由来のケースが多い。韓国語の会話を注意深く聞いていると、ところどころ日本語っぽい言葉が出てくるのはそのためだ。 こうした現状と歴史を知っていれば、日本語由来の言葉を日帝残滓として位置づけようなどという発想は出てこないはずである。「要するに、日本に関して無知なんです。戦時中に日本兵に対して『ファイト!』なんて“敵性語”をかけるわけがない(笑)。韓国の学校では入試に向かう先輩を後輩が『ファイティング!』と言って送り出すんですが、これはたぶん、日韓バレーなどで日本チームが『ファイト!』と選手を送り出すのを聞いて、それが広まったものと思います。日本軍も日本統治も関係ない。日本統治時代に学校が整備されたという事実さえ知らないと思います」(前川氏) しかし、これが地方の小さなエリアならともかく、京畿道はソウル特別市を含む首都圏であり、韓国の中心部でこうしたプロジェクトが進んでいるのである。京畿道議会では、今年、学校で使われている日本製の備品に「戦犯企業」というシールを貼るという条例案が提出されたこともある。「京畿道知事の李在明(イ・ジェミン)という人は、“依然として日本は敵性国家”といった過激な反日発言で有名で、先の大統領選では、共に民主党内では支持率が一時、文在寅に次ぐ2位にまで上がった候補者だった。障害をもつ兄に対する虐待が暴露されて、今は離党していますが、次期大統領を狙っているといわれ、反日アピールに余念がないといったところでしょう」(前川氏) さらに、このプロジェクトを主導している京畿道の教育監(教育委員会のトップ)も盧武鉉政権時代に南北統一相を務めた李在禎(イ・ジェジョン)氏で、朝日新聞のインタビュー(2019年2月11日付)では、独立運動開始から100年を迎える今年は〈韓日関係はもっと悪くなるだろう〉との見解を示している人物だ。 京畿道の行政は文在寅大統領から連なる左派の人脈で占められており、前出・崔氏も「日本に怒っているという姿勢を見せて、自己アピールをしているのでしょう」という。 日本は戦時中、敵性語だとして英語由来のカタカナ語を禁止したが、そんなことをしてもアメリカには勝てなかった。日本に勝ちたければ、もう少し建設的なことに力を注いではいかがか。●取材・文/清水典之(フリーライター)
2019.07.13 07:00
NEWSポストセブン
キャッシュレス決済に不安を感じる人は6割超、その不安の正体は?
キャッシュレス決済に不安を感じる人は6割超、その不安の正体は?
 福沢諭吉、野口英世、樋口一葉らの肖像画が描かれた紙幣が登場して15年。彼らこそ日本国民が日々もっとも目にし、触れてきた人物であったろう。そんな彼らがこのところ、ずいぶん肩身の狭い思いをしている。そう、キャッシュレス化の大波到来によってである。 街を歩けば、「当店はキャッシュレス決済店舗です」とか「QRコード決済できます」といった表示をあちこちで目にするが、紙幣と硬貨を長らく使ってきた私たちにとって、キャッシュ(現金)なしで売買を済ませることにはどこか抵抗感がある。 とはいえ、頑なに拒んでいたら、実生活で結構な不便を被ってしまうかもしれない。はたして、キャッシュレス社会とどう向き合えばいいのか──。 そこで、女性セブンのメルマガ『セブンズクラブ』にて「キャッシュレス決済に関するアンケート」を実施。617人の読者から寄せられた回答には「不安」「面倒くさそう」という声が多く見られた。 アンケート結果を詳しく見ていこう。〈「キャッシュレス」と聞いて、どのようなイメージがあるか?〉との問いに、最も多かった回答は「現金を持たなくていいから便利だけど不安」、次に「金銭感覚がマヒしそう」、続いて「セキュリティーが心配」との結果が出た。〈現金で支払わないことへの不安はありますか?〉との問いには、66.1%が「ある」、33.9%が「ない」と回答。〈今まで現金以外で買い物をしたことがありますか?〉との問いには、89.5%が「ある」と答え、「ない」と答えたのは10.5%だった。 キャッシュレスの困った点としては、「暗証番号やパスワードを忘れてしまって毎回困る」「残高不足で決済ができなかったことがある」「現金決済しかできないところも少なくない」などの声があがっていた。◆日本におけるキャッシュレス決済の3つの波 このように、キャッシュレス化に不安を感じる人は6割超におよぶ。とはいえ、現金以外で買い物をしたことがある人は約9割。不安を抱きながらも、その実、キャッシュレス決済を多くの人が経験している。これはどういうことなのか。 キャッシュレス決済をしたことがあるという人の内訳を見てみると、大半の人が「クレジットカード」「電子マネー」での決済を挙げている。 紙幣に代わる支払い方法として、クレジットカードがアメリカで出現したのが約110年前。日本では1960(昭和35)年に、富士銀行(名称や表記は当時。以下同)と日本交通公社が「日本ダイナースクラブ」を設立し先鞭をつけ、以来60年近く、銀行系や信販系会社によるクレジットカードの発行が続いている。 クレジットカードに続いて登場したのが電子マネーだ。先駆けとなったのは1996年、長野県駒ヶ根市。地元店舗と協業して、市内の商店街で使える「つれてってカード」を導入した。カードと利用者の預金が紐付けられ、カードで買い物をした時、その金額が預金口座から引き落とされる仕組みだった。以来20年近く、各種多様な電子マネーが誕生してきた。 近年ではnanacoやWAONといった流通系カード、Suicaといった交通系カードなどが広く普及している。 日本におけるキャッシュレス決済の第1の波が「クレジットカード」、第2の波が「電子マネー」。それに続く新たな波が「QRコード」決済等だ。 クレジットカードや電子マネーはそれなりの時間がかかりつつも、現金を持ち歩かなくて済む便利さが受け入れられ、浸透していった。こうして見ると、多くの人が抱く不安や困惑は、キャッシュレス決済そのものに対するものというより、新たに登場した決済方法に対するものだといえるのかもしれない。※女性セブン2019年5月9・16日号
2019.04.28 15:00
マネーポストWEB
誰が決めたのか(時事通信フォト)
新紙幣 肖像画に選ばれた人の子孫が「嫌だ」と言ったら
 新元号に続いて発表され話題となった新紙幣。1.6兆円もの経済効果をもたらすといわれる一方で「肖像画の人名がピンとこない」「数字が大きすぎる」など早速物議を醸しているが、一体誰がどうやって決めたのか。財務省が“国家機密”とする「新日本銀行券の謎」に迫る。●“お札の顔”を決めるのは誰? 実際に「選定」に携わる財務省理財局・通貨企画係の担当者が語る。「お札の表面の肖像画の選定は数十の候補から財務省、国立印刷局、日本銀行の各担当部署が協議し、候補を準備した上で、最終的に財務大臣が決定します」 実は、選考の過程で“時の政権の意向”が反映されているという。「今回採用された渋沢栄一さんは新たな産業の発掘に尽力した。津田梅子さんは女性の活躍の礎になり、北里柴三郎さんは医学の発展に貢献しました。『日本産業の競争力を強化』『女性の人材活用を進める』『健康長寿社会を構築』といった現政権の成長戦略と重なる人選になっているのは確かだと思います」(同前) 実際に、今回の紙幣刷新の発表に際して「選考過程で安倍首相への相談や了解はあったのか」との質問に、麻生太郎・財務相は「あった」と答えた。 2002年に現行紙幣のデザインが発表された時も、塩川正十郎・財務相(当時)は小泉純一郎・首相(当時)が推し進める「学術振興や男女共同参画」が人選のベースにあり、野口英世と樋口一葉が採用されたと明言した。 ちなみにこの時、一万円札の福沢諭吉が続投となったのは「小泉氏と塩川氏の出身大学が慶應義塾大学だから」という説がまことしやかに囁かれた。●落選したのは誰?「肖像画の具体的な候補者名や数は明かせない」と前出の担当者は語るが、渋沢栄一はかつて“落選”の憂き目に遭っている。 大蔵省印刷局のOBで『紙幣肖像の近現代史』(吉川弘文館)の著書もある植村峻氏はこう話す。「1963年発行の千円札は、伊藤博文と渋沢が候補でした。偽造しにくいよう、細かな印刷技術でないと再現できないヒゲのある人物を優先して採用していたので伊藤さんになったと言われています。 現在ではホログラムや微細な透かしなど、その他の技術が発達したので、ヒゲの有無が関係なくなった。それでヒゲのない渋沢さんも採用されるようになったのでしょう」 また、「最近は“国民が嫌がる”ことを懸念して政治家や軍人は避ける傾向にある」(前出・財務省担当者)という。●誰が肖像画を彫るの? 肖像画の印刷に使われる原版は彫工の手彫りだ。「担当者についてはまさに“最高機密”です。もし漏れて何者かに拉致され、偽札作りに協力させられたら大変ですから……というのは冗談ですが、それほどの扱いなのです」(同前)●肖像画に選ばれた人の子孫には連絡するのか? 肖像画として採用が決まったときに子孫に挨拶に行き、了承を得るという。「私の知る限り、これまで採用に関して断わられたということはありませんが、『どうしても嫌だ』と言われたら、考え直さなければならないかもしれません」(同前)※週刊ポスト2019年4月26日号
2019.04.15 07:00
週刊ポスト
深谷駅が東京駅丸の内駅舎にそっくりな理由とは
新一万円札に渋沢栄一と東京駅 埼玉・深谷市が2倍沸く理由
 1万円、5千円、千円の紙幣(日本銀行券)が全面的に刷新されると発表された。新しく1万円に用いられる渋沢栄一と東京駅丸の内駅舎に注目が集まるなか、実は深谷駅にも熱い視線が向けられ、地元では表と裏あわせて2倍の盛り上がりを見せている。ライターの小川裕夫氏が、渋沢の出身地・深谷というだけでない注目があつまる深谷駅と東京駅の深い繋がりについてレポートする。 * * * 4月1日に新元号「令和」が発表されたばかりだが、政府は新時代に向けて紙幣の改刷を発表した。一万円札の顔は長らく福沢諭吉だったが、新一万円札では日本の資本主義の父とも称される渋沢栄一に交代する。その裏面は、東京駅丸の内駅舎になる。 新一万円札の裏面に描かれることが決まった東京駅の赤レンガ駅舎は、西洋文化をふんだんに取り入れた建築物として知られる。 当初、東京駅のデザインはお雇い外国人のフランツ・バルツァーに一任されていた。お雇い外国人のバルツァーは日本文化に魅せられていた。その影響もあり、バルツァーは和洋折衷の駅デザイン案を提示した。しかし、日露戦争に勝利して一等国と肩を並べたという自負がある政府首脳にとって、和洋折衷のデザインは満足できるものではなかった。 諸外国に一等国・日本の技術と文化を見せつけるシンボルとしての役割を期待された東京駅は、新たな建築家・辰野金吾を起用。辰野は政府の期待に応え、目を見張る赤レンガ駅舎へと姿を変えた。 国の威信まで背負わされた赤レンガ駅舎は、その後、首都・東京を代表する玄関駅として認識されるようになった。新一万円札の裏面に採用されることで、名実ともに日本のシンボルになろうとしている。 東京駅の美しい赤レンガ駅舎と対をなす存在として、鉄道ファンや地元民に知られているのが埼玉県の深谷駅だ。今回、新一万円札の裏面に描かれる東京駅に対して、なぜ深谷駅が対をなすのか? それは深谷駅の駅舎が赤レンガ風にデザインされており、東京駅と見間違えるほどの外観をしているからだ。 東京駅と深谷駅は、なぜ似たような赤レンガ駅舎になっているのか? 一見すると、両者には何の関係もないように思える。しかし、二者には深いつながりがある。 19世紀が幕をおろそうとする頃、東京は市区改正と呼ばれる都市改造が急ピッチで進められていた。都市を改造するためには、まず住宅や商店などを建て替えなければならない。木造家屋が立ち並び、江戸の面影を色濃く残していた明治の東京は、市区改正によって近代都市へと生まれ変わり、西洋のデザインを取り入れた建築物が増えていった。 近代都市へ生まれ変わる東京は、大量のレンガを必要とした。その需要に目をつけ、地域活性化のための地場産業育成にも関心が高かった渋沢は、出身地である深谷で明治21(1888)年に日本煉瓦製造株式会社を設立。レンガ製造を始めた。そこで製造されたレンガが、その時代に建設が始まった東京駅に使われる。深谷から東京までは、高崎線を使って輸送された。 東京駅は、深谷で製造されたレンガなしには存在しなかったのだ。「現在、東京駅は復原によって赤レンガ駅舎がシンボルになっています。しかし、1990年前後には赤レンガ駅舎を取り壊して高層ビルに建て替える構想が浮上していました。当時の市長が、深谷にゆかりのある東京駅赤レンガ駅舎がなくなるのは忍びない。そういった理由から、深谷駅を東京駅にそっくりなデザインに建て替えることにしたのです」と話すのは、深谷市教育委員会教育部文化振興課の担当者だ。 こうして、深谷駅は1996年に東京駅とそっくりなデザインに建て替えられた。一方、高層化が検討されていた東京駅の計画は自然消滅した。そのため、赤レンガ駅舎を取り壊すことも白紙撤回された。 実は東京駅の赤レンガ駅舎は戦災で破壊されており、戦後に応急処置として復旧した。復旧工事の際、資材は不足していた。営業再開を急ぐあまり、国鉄は後から元のデザインに戻すとしていたが、結局はそのままのデザインで使い続けられた。そのため、開業時と戦後の東京駅は、微妙に様相が異なる。戦後、地元住民などからは往時の姿へと再建する要望も出た。しかし、その願いは叶わなかった。 東京駅の高層化計画を撤回したJR東日本は、復原事業に取り組む。こうして、2012年に東京駅赤レンガ駅舎は開業当時の姿へと戻った。 赤レンガ駅舎として甦った東京駅、そして東京駅の消滅を危惧して新たに生み出された深谷駅。両者は、いわば兄弟のような関係にある。 そして、深谷駅が立地する深谷市は新一万円札の顔になる渋沢栄一の生誕地でもある。1996年の駅舎リニューアル時に、深谷市は駅前広場に渋沢栄一の銅像を建立。そうした所縁があるので、新一万円札の顔に渋沢栄一が決まった報を受けて、地元・深谷市は大いに沸いているという。「深谷市と渋沢の関係は非常に深いものがあります。小学校では渋沢栄一について学ぶ授業もあり、学年に合わせた副読本も制作しています。また、市内には渋沢を顕彰する渋沢記念館があります。これは駅舎を赤レンガにリニューアルしたときと同じ、1996年に開館した記念館です」(同) 新一万円札には、鉄道との深い関係が込められている。
2019.04.10 16:00
NEWSポストセブン
天皇陛下「象徴」模索の礎になった本と美智子さまに贈った本
天皇陛下「象徴」模索の礎になった本と美智子さまに贈った本
 天皇・皇后両陛下は、3月26日に奈良県、4月18日に三重県に足を運び、それぞれ神武天皇陵と伊勢神宮を参拝する。これが、退位前の最後の地方訪問となる予定だ。 平成に入って以降、両陛下は47都道府県すべてを2度以上訪れている。行幸啓に際しては訪問先の歴史や文化についての書物や資料に細かく目を通すという。「お迎えする自治体職員や地元住民も知らないような深い知識が、会話の中で飛び出すこともある。両陛下の研究熱心さと読書家ぶりにいつも驚かされます」(皇室記者) 天皇陛下が10代の頃、教育係を務めたのが、かつて慶應義塾大学塾長だった小泉信三だった。当時、講義に用いた書物の中に、福沢諭吉の『帝室論』と、幸田露伴の『運命』があった。「当時は戦後間もない頃。陛下は日本の皇室の置かれる状況が刻一刻と変わっていくのを、皇太子という立場から間近でご覧になっていました。 小泉信三の講義では2冊をかわるがわる音読したといいます。皇室の存在意義や機能を論じた『帝室論』と、古代中国の明朝の建文帝を主人公に据えた『運命』は、立憲君主制という新時代を迎え、将来天皇になる陛下の“心構え”を築くのに影響したと言われています」(皇室ジャーナリスト・神田秀一氏) 生まれながらに天皇になる運命を背負い、一方で終戦によって「天皇の位置づけ」が大きく変わった。そんな時代に、この2冊は、「象徴天皇」を模索する礎になったのかもしれない。◆追い求められた「理想の夫婦像」 1956年夏、軽井沢のテニスコートでおふたりは出会い、翌年11月に婚約が発表された。 当初、美智子さまの実家である正田家は、前例のない「民間からの皇太子妃」に戸惑い、固辞していた。当時を著した『この三十年の日本人』(児玉隆也著)に、興味深い記述がある。〈結婚前の皇太子が読み、未来の妻に贈った『ヴィクトリア女王伝』の記述が、二人の“理想の姿”になっていた〉 その一冊が、イギリスの伝記作家・リットン・ストレイチイの綴った『ヴィクトリア女王』だった。翻訳版を出版する、冨山房の坂本起一社長がいう。「イギリス伝記文学には優れたものが多いですが、その中でもストレイチイの作品は、それまでの画一的な伝記の文体から変化し、新しいスタイルを切り開いた点において、傑作中の傑作といわれています」 1837年から60年以上在位したイギリスのヴィクトリア女王は、大英帝国の繁栄を盤石なものとしつつ、家庭では夫・アルバートと生涯仲むつまじく暮らし、4男5女をもうけた。その親しみやすさから、特に中産階級に慕われていたという。「乳母制度を止め、美智子さま自らが台所に立ったことなどで、結婚当初は“家庭的過ぎる”と批判されもしました。ですが、いつしかその姿は理想の夫婦像の“象徴”として広く国民に受け容れられていきました」(前出・神田氏) 2月24日の「在位30年記念式典」では、挨拶の途中で、原稿の順番が前後してしまった陛下を、美智子さまがそっと手助けした。そのお姿に、仲むつまじい60年間の結婚生活を感じ取った日本人は多かったことだろう。※週刊ポスト2019年3月22日号
2019.03.13 16:00
週刊ポスト
ヨン様、セカチュー、佐世保女児殺害等平成16年を振り返る
ヨン様、セカチュー、佐世保女児殺害等平成16年を振り返る
 残りわずかとなった平成。私たちが経験したこの時代には、一体どんな出来事があったんのだろうか──。平成16年(2004年)の世の中を振り返る。 約半年間に10個という過去に例をみないほどの台風上陸が相次いだこの年。 新潟県中越地方では、マグニチュード6.8の大地震が発生。阪神・淡路大震災以来の震度7という強い揺れを記録し、死者68人、負傷者は約4800人に上った。地震発生から約92時間後、崩れた土砂に母親が運転する車ごと巻き込まれた2才男児が救出された。男児はその後、祖父母のもとで元気に育てられたという。 またこの年はスマトラ島沖でマグニチュード9.1の巨大地震があり、大規模な津波がタイ・プーケット島などを襲った。犠牲者は日本人観光客らを含む約30万人以上。 イラクでは自衛隊の撤退を求め、武装勢力による日本人の拉致、殺人が相次ぎ、「自己責任論」に賛否両論。 国内の事件では長崎・佐世保市の小学校で小6女児(12才)が同級生の首をカッターナイフで切り殺害。インターネット掲示板への書き込みをめぐるトラブルが原因で犯行に及んだとみられた。 11月には奈良で帰宅途中の小1女児が誘拐され、その後殺害・遺棄される痛ましい事件が。携帯電話のメールで犯行声明を送りつけた犯人は新聞配達員の男性。その後逮捕され、2013年に死刑執行された。 芸能界では韓流ドラマ『冬のソナタ』主演のヨン様ことペ・ヨンジュンが大人気。来日の際は空港に5000人ものファンが殺到。韓流ブームの火付け役になった。 ほかにもベストセラー小説『世界の中心で、愛をさけぶ』(小社刊)が映像化され、300万部を突破。映画では森山未來と長澤まさみ、ドラマでは山田孝之と綾瀬はるかがそれぞれ主人公とその恋人役を好演。「セカチュー」と略され、社会現象となった。 ヒット商品ではマカロン。流行語は「チョー気持ちいい」「負け犬」「気合だー!」など。◆平成16年の主な出来事1月16日 イラク復興支援特別措置法に基づく陸上自衛隊派遣開始3月20日 いかりや長介ががんで死去(享年72)4月3日 『冬のソナタ』がNHK総合で放送開始。ヨン様ブーム席巻5月8日 『世界の中心で、愛をさけぶ』映画公開6月1日 長崎。佐世保市で小6女児が同級生をカッターナイフで殺害8月9日 福井・美浜原発3号機の配管が破裂。作業員5人が死亡、6人が重軽傷8月18日 第28回アテネ五輪開幕。競泳男子の北島康介が平泳ぎ二冠達成10月23日 新潟県中越地震発生。死者68人11月1日 新札発行。一万円札に福沢諭吉、五千円札に樋口一葉、千円札に野口英世12月26日 インドネシア・スマトラ沖地震発生。死者・行方不明者は約30万人以上12月30日 奈良・奈良市で小1女児誘拐殺害事件の容疑者逮捕12月30日 紀宮さまと東京都職員の黒田慶樹さんがご婚約会見※女性セブン2018年12月20日号
2018.12.12 16:00
女性セブン
【著者に訊け】堀越英美氏 『不道徳お母さん講座』
【著者に訊け】堀越英美氏 『不道徳お母さん講座』
【著者に訊け】堀越英美氏/『不道徳お母さん講座 私たちはなぜ母性と自己犠牲に感動するのか』/河出書房新社/1550円+税 今春、ついに小学校で正式な教科となった道徳の授業。「国の基準で道徳に成績をつけるなんて!」とお怒りの方もあろうが、『不道徳お母さん講座』の著者・堀越英美氏にとってそれは、日本人の道徳と歩みについて考える入口に過ぎなかったという。「私には娘がいるのですが、学校でも『みんなで頑張って絆を深めよう』みたいな同調圧力があり、何か事情があって頑張れない少数派の意見はないことにされてしまうんですよね。一体何がそうさせるのか、私自身も含めた心の原点を探るには、明治以来の教育史を一通り遡る必要がありました。教科化を悪者にしても何も変わらないので」 本書では日本人の道徳観がどんな意図や教材の下に作られてきたかを具体的な根拠をもって検証。すると〈敵は大きすぎて、丸腰で立ち向かってはゆるふわ感動モードに流されかねない〉とあるように、最大のクセ者は〈感動〉だった!? 奇しくも取材日は大阪桐蔭VS金足農による高校野球決勝当日。『キャプテン』世代の著者も、『ドカベン』世代の筆者も、正直、気が気でない。「いかにも昭和の子供ですよね(笑い)。私は昭和48年生まれのガンダム世代でもあって、みんなで力を合わせて戦ったりする物語に感動もしてきたし、それ自体は悪いことではないはず。ただ最近はその感動を徒に押し付け、少数派を退ける傾向が強くなっている気がして、『感動をありがとう』と言うことが絶対善かのようになったのはなぜなのか、私も知りたかったんです」 例えば道徳教材〈お母さんのせいきゅう書〉を読ませることで、〈母親の無償の愛に感動して涙する子供の物語〉を道徳としてなぜ教える必要があるのかと氏は疑問を呈し、他にも〈「二分の一成人式」に「巨大組体操」〉等々、〈感動の押し売り〉は、教育現場を息苦しくしているだけだと綴る。「ことは学校に限りません。例えば企業で同僚が自殺しても『みんなが頑張ってるのにあいつは弱い』とか、『子供を自然に育てるのがイイ母親で、スマホに頼るのは悪い母親』とか、そのみんなが滅私奉公や理想の子育てを強いられる現状を、なぜか変えようとはしない。特攻隊もそうです。なぜあんな無謀な作戦が美談にすらされてしまったのか、そこには多くの童話や児童文学による刷り込みの歴史が深く関係していました」 昨今では学校教材のほか、絵本等の〈読み聞かせ〉も大はやりだが、子供たちは例えば国語で新美南吉『ごんぎつね』を読んで狐の気持ちを想像し、その死を悼む心や〈自己犠牲〉の精神を学ぶことを暗に期待されている。「それを一番よく知っているのも、子供たちですけど」 国語の学習指導要領には〈国を愛し、国家、社会の発展を願う態度を育てる〉などなど、明らかに道徳の範疇と思しき項目が並び、課外読書でも推奨されるのは〈物語〉ばかりだとか。「学校から持ち帰る推薦図書リストも物語で占められています。また読み聞かせは〈心の脳〉に届くとする研究もあって、子供の思考より感情に何かを訴えようとしていると感じます」◆感動はしても必ずしも正義ではない しかしそれも最近の話だ。かつて物語は啓蒙思想家・中村正直が〈小説ヲ蔵スル四害〉を論じたほど有害視され、〈小説を読むと死んでしまう〉とさえ言われた。そして国家的な道徳規範もない中、明治政府は〈天皇が親孝行や謙遜などの道徳を臣民に語りかけるという体裁の「教育勅語」〉を制定。以降多くの子供雑誌が創刊されるが、小説は〈毒入りの砂糖〉として排除され、昔話も例外ではなかった。 例えば福沢諭吉は当時の「桃太郎」には鬼の悪行の描写がなく、この理不尽さゆえに近代国家を担う子供にはふさわしくないと批判。この話を正義の英雄に書き換えたのが巌谷小波だが、巌谷版「桃太郎」が出た明治27年は日清戦争が勃発した年。〈父兄がおとなしくさせんとする小供を、小生はわんぱくにさせ〉と書いた彼の〈わんぱく主義〉は、やがて少年たちの士気高揚へと利用されていく。「わんぱく礼賛も昔からあった価値観ではなく、日清戦争までは勉強する子がイイ子だったんです。それが不平等条約に対する大人たちの不満や子供自身の暴れたい欲求とあいまってヤンチャ礼賛的気運を生み、彼らを後々兵隊にしたい国の思惑と不幸にも合致していく。つまりそれは上が押し付けたというより、国民の側にもあった空気なんです」 やがて時代は昭和に入り、彼ら少国民に正しい道徳を説くべく担ぎ出されたのが、小川未明であり、母親に守られ、無垢でいられた子供時代を理想化する〈童心主義〉の北原白秋だ。「特に小川は内務省の児童文学統制にも積極的に関わり、『赤い蝋燭と人魚』にウットリした私としてはかなりショックでした。いかにも軍国主義的な人ではなく、『左翼・メルヘンの人』という印象があったので、戦意高揚童話も書いていたとは、と。 母子の密着を描いた童心主義が、自我を国家に捧げるナショナリズムへと転化し、戦争が〈感動コンテンツ〉となっていく動きからは、一見こちら側の人間が国家的美学に与してしまう危うさに戦慄しました。そしてそれは皆のために頑張り、自己犠牲の美談に涙する、私自身や誰の中にもある危うさなんです」 例えば白秋が母を恋うる気持ちを文学に昇華させるのはいい。だがそれが国家レベルの美学や〈母性幻想〉と結びつけば社会的に抑圧される存在もまた生まれ、少数派をいよいよ孤立させることになりかねないのだ。「本書は表題こそお母さん講座ですけど、たぶんどんな方であっても学校や職場や家庭で抑圧された経験は何かしらお持ちだと思う。もしご自分の中に内面化された抑圧があるなら、それと戦ってみませんかって。 私自身、ガンダム好きな自分と若者の戦意を煽った文学者は地続きにあって、人を批判する前に自分の中にあるものを相対化しようと思って道徳の歴史を調べ始めた。今でも美しいものに憧れ、感動はするけれど、それが必ずしも正義じゃないことだけは心に留めておきたい。人はどうあれ、自分はそうあり続けることが、いずれは個人が個人として尊重される社会を実現すると、信じたいんです」 強大な敵は外だけでなく、自分の中にもいる。そんな賢明さこそ、本来はみんなが学ぶべき道徳だと思うのだが。【プロフィール】ほりこし・ひでみ/1973年横浜生まれ。早稲田大学第一文学部卒。IT系出版社を経てライターに。ネット草創期の元人気ブロガー。「HPを始めたのが学生時代の1995年なので、まだユニックスの時代です」。著書は他に『萌える日本文学』『女の子は本当にピンクが好きなのか』、翻訳書も多数。10歳を迎えた子供が両親に感謝する感動の式典「二分の一成人式」の台本に、〈地獄かよ〉の一言で親子の心を一つにしたツッコミ上手な小5の長女と小1の次女の母。153cm、O型。構成■橋本紀子 撮影■三島正※週刊ポスト2018年9月21・28日号
2018.09.19 07:00
週刊ポスト
「暴走万葉仮名」の分析に計量社会学者は立ち上がるべき
「暴走万葉仮名」の分析に計量社会学者は立ち上がるべき
 1951年、日本の戸籍に子の名前として記載できる漢字が定められた。当初は100文字に満たない漢字しかなかったが、徐々に増加、現在は800文字超ある。選べる範囲が増えたこともあってか、難読名の子供も増えていると言われる。なかでも、漢字の無理読みで付けた子供の名前「暴走万葉仮名」にあらわれる特徴について、評論家の呉智英氏が分析する。 * * * 前の私の担当回で書いたことの続きが今回の話である。前回私は、教育の差が現代的階級社会を生んでいる、と書いた。教育の差は小中学校段階で超えがたいほどのものになり、しかもそれは教育費の差でもあり、世代的に継承される。 これは私の特異な見解ではない。気づいている人は他にもいるのに一種のタブーとなって発言しにくい。これも忖度社会の一現象なのだが、政治家への忖度よりタチが悪い。政治家への忖度は利権によるものだ。一方、こちらの忖度は「良識」によるものだからである。 吉川徹(きっかわとおる)の近著『日本の分断』(光文社新書)を読んだ時もそう思った。 吉川は統計によって社会分析をする計量社会学者だ。これまでの著作のほとんどが学歴に関するものだし、この本もそうである。しかし「良識」を忖度したのか、何か微妙な表現だ。書名もそうだが、サブタイトルにも「非大卒若者たち」とあって「レッグス」とふり仮名がしてある。市民運動団体の名前かと思った。 教育とその結果としての学歴は、本来、江戸期までの身分制社会を打破するためのものであった。福沢諭吉が『学問のすゝめ』で説いたのもそこである。ところが、吉川の指摘するように「不平等を解消する手段であったはずの学校教育」が「地位の中核」を占めるようになった。福沢の理念を実現するはずの慶應大学がその一端を担う逆説である。 吉川は先行研究に言及しつつ、分断された側に見られる一種の自足感も指摘している。統計を使った分析だけに説得力がある。しかし「現代日本は、学歴分断を言葉にすることをタブーと」している。それ故、用語にも表現にも気をつかう、というのである。 ところで、私には吉川のような計量社会学者にこそ調査研究してもらいたいテーマがある。 十年以上前から、新聞や雑誌に何度か書いてきた「暴走万葉仮名」だ。漢字の無理読みで付けた子供の名前のことで、暴走族の「夜露死苦」や「仏恥義理」と同系のものなので、そう名付けた。「今鹿(なうしか)」「雅龍(がーる)」「一二三(どれみ)」あたりはまだしも、偏(へん)の肉月の意味も理解せず、月光の意味で使った「胱(あかり、膀胱だよ)」「腥(すたあ、なまぐさだぞ)」「腟(らいと、月光の射す寝室?)」なんてのもあるらしい。 前回言及した森鴎外は長男を「於菟(おと)」と名付けた。ドイツ風の「オットー」を漢籍にある「於菟(虎の意味)」に当てた。寅年生まれだからである。これはもちろん暴走万葉仮名ではない。 暴走万葉仮名の子供は、名門幼稚園の入試でははねられるし、将来就職試験の時も同じ憂き目にあう。事件報道でも、暴走万葉仮名の子供や少年少女をよく見るような気がする。相関関係があるのかないのか、計量社会学者の出番だろう。しかも、自足感や世代継承の格好の証例にもなる。学歴分断社会化に警鐘を鳴らす重要な研究だと思うが、研究者もジャーナリストも何かを「忖度」している。●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。著書に『バカにつける薬』『つぎはぎ仏教入門』など多数。※週刊ポスト2018年7月13日号
2018.07.02 16:00
週刊ポスト
甘い言葉には注意が必要か(アフロ)
中国33歳男 彼女の誕生日に「札束で花束」も食事は割り勘説
 カネをカネと思わないような行為がまかり通るところはやはり、バブルの象徴といえるのかもしれない。中国の情勢に詳しい拓殖大学海外事情研究所教授の富坂聰氏がレポートする。 * * * 日本に旅行に来る中国人観光客たちの“爆買い”の話題は一段落といったところだが、彼らの消費パワーは相変わらず旺盛であるようだ。中央直轄市、重慶のメディア『重慶晨報』が5月24日付で報じた2つのニュースからは、その現実が良く伝わってくる。 その一つは〈とんでもない高価麵 ジャジャ麺一杯が1314元(約2万2000円) 入口で美女が生演奏〉という見出しの記事だ。 これは食材にこだわったが故の高価格ではなく、単に恋人向けのボックス席の席料を取られるという話だが、15日の前からの予約が必要で、実名制で身分証も必要というのには驚かされた。 一方、もう一つの記事は、〈彼女の誕生日に33万元(約550万円)の札束を使って、人民元の花束つくる 銀行は「違法」との見解を示す〉である。 これはどういうことかといえば、人民元の紅いお札を使い、折りたたんだりして花の形にした花束をつくり、大きなホールに敷き詰めたという話だ。日本の福沢諭吉さんでやれば茶色の花束になるということだ。 重慶市に住む33歳の男の発案だが、実行してそれをネットに上げたものだから、たちまち炎上したというわけだ。 この花束、その名も「有銭花」だというからあきれる。現場となったのは重慶江北城のホテルの61階。当日は、7人の技術者を雇い、10数時間をかけて花束を完成させたというから、大作である。 敷き詰めた人民元の花の中で笑う男の彼女の写真は、ちょっとした迫力がある。実際に使われたのは33万4400元だった。この罰当たりの行為に腹立たしい思いをしたのは、貧しい人たちばかりではない。メディアは早速、この行為に違法性を見出さそうと必死になった。 曰く、中華人民共和国中国人民銀行法第19条違反であり、同人民幣管理条例違反だというのだ。だが、いずれも微罪だ。 記事では最後に現場となったホテルの従業員のコメントが紹介されているのだが、それによると、「男は、レストランでの支払いは割り勘だった」というのだが、本当だろうか。
2018.06.26 16:00
NEWSポストセブン
「約束は無効と覚悟せよ」 福沢諭吉が見抜いた韓国の本質
「約束は無効と覚悟せよ」 福沢諭吉が見抜いた韓国の本質
 韓国の不実はいまに始まったことではない。明治の傑出した知識人、福澤諭吉は当時すでにそのことを看破していた。「脱亜論」で彼はなぜ朝鮮を見限ったのか。いまこそその背景にある思想に学ぶべきだ。文芸評論家の富岡幸一郎氏が解説する。 * * *《左れば斯る国人に対して如何なる約束を結ぶも、背信違約は彼等の持前にして毫も意に介することなし。既に従来の国交際上にも屡ば実験したる所なれば、朝鮮人を相手の約束ならば最初より無効のものと覚悟して、事実上に自ら実を収むるの外なきのみ》(『時事新報』明治三十年十月七日) これは福澤諭吉の言葉であるが、まさに現在の日韓関係の本質を言い当てているではないか。ただし福澤は決して「嫌韓」論者なのではなかった。後で引く有名な「脱亜論」もそうである。彼は西洋列強のアジアへの帝国主義的な侵略にたいして、明治維新によって近代化の道を拓いた日本こそが、中国や朝鮮にたいして力を貸して共に連帯して抗すべきであると考えていた。 また亜細亜という言葉から中国(清朝)と朝鮮を同じく捉えていたのではなく、むしろ朝鮮をアジア同胞として清韓の宗属関係から脱却させ日本のように文明化させることの必要性を説き尽力したのである。李氏朝鮮の旧体制(血族や門閥による支配)のままでは早晩、清国やロシアの植民地となり、それはそのまま日本の国難になるからだ。 李朝末期のこの腐敗した絶望的な国を変革しようとした開化派を福澤は積極的に支援し、そのリーダーであった金玉均らの青年を個人的にも受け入れ指導教育を惜しまなかった。また朝鮮に慶應義塾の門下生を派遣する行動を起こし、清朝の体制に取りこまれるのをよしとする朝鮮王朝の「事大主義」の変革をうながした。 清仏戦争が勃発し、清国軍が京城から退却したのを機に開化派がクーデターを企てるが(甲申事件・明治十七年)、それが失敗に帰したことから、朝鮮における清国の影響力は決定的となった。福澤のなかにあった日本による朝鮮の文明化の期待も潰えた。 日本に十年余り亡命した金玉均も明治二十七年上海で朝鮮の刺客に暗殺され、その遺体は無残に切断され国中に晒された。福澤に「脱亜論」を書かしめたのも、朝鮮の開明派、独立派の人々への必死の支援がことごとくその固陋な中国従属の封建体制によって無に帰したことによるものだ。《我日本の国土はアジアの東辺に在りと雖ども、その国民の精神は既にアジアの固陋を脱して西洋の文明に移りたり。然るに爰に不幸なるは近隣に国あり、一を支那と云い、一を朝鮮と云う。》(「脱亜論」明治十八年三月十六日)。 この近隣にある「二国」は、《その古風旧慣に恋々するの情は百千年の古に異ならず……教育の事を論ずれば儒教主義と云い、学校の教旨は仁義礼智と称し、一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として……道徳さえ地を払うて残刻不廉恥を極め、尚傲然として自省の念なき者の如し》◆挑戦への絶望と苛立ち  福澤の文章の烈しさは、そのまま朝鮮の開化を祈念していた彼の思いの裏返しの憤怒であった。しかし福澤は「文明化」自体に絶対的な価値を置いていたのではない。「脱亜論」の冒頭でも「文明は猶麻疹の流行の如し」といい、「有害一偏の流行病にても尚且その勢いには激すべからず」として文明化は利害相伴うものであることも語っている。 むろん福澤はアジアのなかで唯一文明化に成功した日本を正しい選択であったとしている。大切なのは西洋文明の波がかくも急速に高く押し寄せているときに、旧態依然の「外見の虚飾」を捨てない朝鮮の政体と人民への絶望と苛立ちをはっきりと表明してみせた言論人としての姿勢である。《左れば今日の謀を為すに我国は隣国の開明を待て共に亜細亜を興すの猶予あるべからず、寧ろその伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、その支那、朝鮮に接するの法も隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に従て処分すべきのみ。悪友を親しむ者は共に悪名を免かるべからず。我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり。》 当時も今も国際社会のなかで外交を「謝絶」することはできない。問題は「心に於て」、すなわち日本はユーラシア・中華帝国の膨張の現実を前にして、この世界史に参与すべく如何なる「思想」を自ら打ち建てるかである。 韓国に関していえば日韓基本条約(一九六五年)で国交正常化をなし、日本から韓国への膨大な資金提供もあり「漢江の奇跡」と呼ばれた経済復興を成し遂げたにもかかわらず、日本のおかげというその現実を認めたくないがために慰安婦問題や戦時徴用工などの「歴史問題」を繰り出し続けてやまない。その国家としての態度に日本は毅然とした「処分」を示さねばならない。韓国がやっているのは、福澤のいうまさに「外見の虚飾のみを事として」の「背信違約」の狼藉三昧である。 かかる「悪友」への処し方を、われわれは今こそ明治国家の多極的な外交戦略と、その背後にあった福澤諭吉のような近代日本の思想的先達によくよく学ぶべきであろう。【PROFILE】富岡幸一郎●1957年東京生まれ。中央大学文学部フランス文学科卒業。在学中に執筆した「意識の暗室―埴谷雄高と三島由紀夫」で「群像」新人賞評論優秀作を受賞、文芸評論活動に入る。関東学院大学国際文化学部比較文化学科教授、鎌倉文学館館長。近著に『虚妄の「戦後」』(論創社)がある。※SAPIO2018年3・4月号
2018.04.16 07:00
SAPIO
「万歳」の起源 当初はマンザイだったが力入らずバンザイに
「万歳」の起源 当初はマンザイだったが力入らずバンザイに
 明治維新から150年。チョンマゲを切り、帯刀をやめ、日本人の暮らしが一新したのが明治時代だ。そんな明治期に始まったモノやコトを紹介しよう。●天気予報 日本で気象事業が始まったのは明治5(1872)年の函館測候所から。北海道開拓に天候予測が必要とされたためだ。その後、海外から器械を購入し各地に測候所が建設された。東京気象台から天気予報の発表が開始されたのは明治17(1884)年6月1日。東京府内の派出所に掲示された「全国一般風ノ向キハ定リナシ天気ハ変リ易シ但シ雨天勝チ」というもので、全国の天気をたった一文で表現した。●演説 明治維新で江戸時代から続いた身分制度が解消されると、人々は言論や思想の自由を手に入れ、誰もが自己主張をできるようになった。その方法のひとつがスピーチ。これを「演説」と訳したのは福沢諭吉だった。 演説会は全国各地で開かれ、士族のみならず、僧侶や華族も弁をふるった。なかでも女子教育の充実を訴えた岸田俊子は美人だったようで、求婚する聴衆が後を絶たなかったという。●万歳 明治22(1889)年2月の大日本帝国憲法発布の際、青山練兵場での観兵式に臨幸した天皇陛下を迎えた大学生たちが三唱したのが「万歳」の始まり。「万歳」とは、もともと中国の皇帝の長寿を祝う言葉で、東京帝国大学総長の外山正一らが天皇を歓呼する言葉として選んだ。 読み方は「マンザイ」だったが、実際に唱和してみるとマンでは力が入らなかったので「バンザイ」になったという。※週刊ポスト2018年3月2日号
2018.02.23 07:00
週刊ポスト
電報の登場時、電柱に耳を当てて言葉を聞こうとする人が続出
電報の登場時、電柱に耳を当てて言葉を聞こうとする人が続出
 2018年は明治維新から150年。維新とともに文明開化が一気に押し寄せた明治時代には様々な発明品が生まれた。暮らしに密着した明治の発明品を紹介しよう。●蚊取り線香 明治23(1890)年、世界初の蚊取り線香を発明、発売したのは、和歌山県有田市(旧・有田郡山田原村)で家業のみかん園に従事していた上山英一郎。「金鳥」でお馴染みの大日本除虫菊の創業者だ。みかん輸出のために会社を設立した上山は明治18(1885)年、恩師・福沢諭吉の紹介で米国の植物会社社長H・E・アモアと面会。その縁で除虫菊の種子を譲り受けて栽培、研究を開始する。 殺虫成分を含む除虫菊は当初、ノミ取り粉として利用されたが、仏壇線香に除虫菊粉を加えることを思いつき、蚊の駆除ができる商品化に成功。最初の蚊取り線香は棒状で長さ20cm、燃焼時間40分だった。その後、妻ゆきが渦巻型を着想。試行錯誤を経て、睡眠時間に合わせて燃焼が6時間続く、渦巻型蚊取り線香が明治35(1902)年に発売された。●乾電池 世界初の乾電池が日本で生まれたのは、明治20(1887)年。発明者は、その約2年前に連続電気時計を発明していた屋井先蔵(やいさきぞう)だった。 電池で動く画期的な連続電気時計を生み出したものの、使う電池が欠点の多い液体式の湿電池だったことが乾電池誕生の背景にある。薬品が染み出して金具が腐食する、寒いと液体が凍結して使えないなどの液体式の電池の欠点を克服するため、屋井は乾電池の開発研究に没頭した。 後に大ヒットしたきっかけは、軍用乾電池として採用された日清戦争だった。冬場も凍結しない「屋井乾電池」だけが厳寒の満州で使用でき、戦地での勝利に貢献したという。号外で「満州での勝利はひとえに乾電池によるもの」と報道されたのを機に、一躍注目を集めた。屋井は「乾電池王」とも呼ばれた。●電信・電話 明治2(1869)年、政府が東京~横浜間に電信局を設置し、電報の取り扱いが始まった。当初、「電線を伝わって言葉が届く」と聞いて、電線に手紙をぶら下げて宛先に届けてもらおうとする人や、電信柱に耳を当てて言葉を聞こうとする人が続出したという。 一方、電話を民間が共用できるようになったのは、東京・丸の内に電話交換局が開業した明治23(1890)年。「開業時の加入者は200人弱と少なく、政財界人が名を連ねていました。電話交換手への呼びかけは当初、“もしもし”ではなく、“おいおい”だったそうです」(『おもしろ文明開化百一話』(ユニプラン)の著者・鳥越一朗氏)。※週刊ポスト2018年3月2日号
2018.02.22 16:00
週刊ポスト

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