白石は、五代綱吉の後を継いだ六代将軍徳川家宣(いえのぶ)の侍講(じこう)すなわち政治顧問的立場で、実質的な補佐官でもある。ただちに進言して生類憐(しょうるいあわれ)みの令を家宣に廃止させた。もちろん人気取りのためだ。前回述べた理由で生類憐みの令は保守層にはとくに評判が悪かった、だから新政権発足にあたって、家宣にそういう「新政策」をとらせ政権の基盤を固めようとした。

 そうさせておきながら一方で、「先代はご名君でございました」などと言ったら、政策と矛盾してしまうではないか。だから白石は仮に綱吉のことを内心では「名君だ」と思っていても(「暗君だ」と心の底から思っていた可能性もあるが)、自分の政治的立場から「暗君だ」と言わざるを得なかったのである。

 こういった世俗の知恵のことを「常識」という。古文書が読めるか読めないかなどという技能とはまったく関係無く、優れた人ならば教育を受けなくても身につけられるものである。だから昔は「市井の賢人」などと呼ばれる人がいた。世間知(せけんち)という言葉もあった。

 では白石は綱吉のことを内心ではどう思っていたのか? そのことを考えるのによいヒントがある。ほかならぬ白石が、将軍家お付きの儒学者(侍講)になれたという歴史的事実である。

 このことは随分前に『逆説の日本史 第15巻 近世改革編』で指摘しておいたのだが、身分制度が厳格に適用され儒学については幕府大学頭(だいがくのかみ)を務める林家(りんけ)がすべてを取り仕切るという絶対のルールが存在したはずの時代に、綱吉の時代には荻生徂徠(おぎゅうそらい)や室鳩巣(むろきゅうそう)といった「非官学」の民間学者が重用されているという歴史的事実がある。そういう流れがあったからこそ、白石も世に出ることができた。

 では、その流れを作ったのは誰か?

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