ドイツの東部に多いユンカーは、貴族とは名ばかりの零細な農場主で、プロイセン軍将校の俸給で家計を支えていた。皇帝に忠実な保守勢力だ。土地は世襲だが、将校の地位はそうではない。競争しつつ世代を越えて、ユンカーは、ドイツ近代化を支える勢力のひとつであり続けた。
薩摩の下級武士たちは、戊辰戦争の勝利に貢献し、天皇の軍隊としての誇りとささやかな報酬をえた。復員した後も、それにふさわしい処遇を求めたろう。だが新政府は、彼らに行政ポストを与えることができない。ユンカーのように、継続的に軍務につけるわけでもない。彼らの不満は、彼らに親身な西郷に、自然と託されるようになる。
西郷隆盛は数年して、求めに応じ、中央政府に出仕する。そして、征韓論に敗れ、下野する。この事件も西郷の理解に不可欠だ。
韓国が「非礼」を繰り返している。何らかのアクションが必要だ。朝鮮半島は日本の安全保障にとって、決定的に重要だ。このように、政府指導者の認識は一致していた。問題はそのタイミングだった。
西郷はただちに、使節を派遣すべきと主張した。自分を使節にせよ。軍を伴わずに、外交使節として単身乗り込む。非礼なりと、殺害されることを覚悟する。それで名分が立ち、天皇のもとに日本が一致団結して、戦争ができる。戦争を通じてナショナリズムが育つことを念願した。