◆政治的ニヒリズム

「有司」と「不平士族」の分裂を、制度によって克服しなければ、近代ナショナリズムは成立しない。その制度を求めるのが、自由民権運動であった。政府もそれを受け止め、大日本帝国憲法を制定した。

 ユンカーと違って制度を理解しなかった旧薩摩藩士は、西南戦争をひき起こした。西郷隆盛は、制度を理解せず権力に反対する、彼らのシンボルになった。

 死を恐れない資質は、優秀な軍人であることに通じる。西郷の軍指揮官としての優秀さは、誰もが認めるところだった。西郷は、唯一の陸軍大将だった。だが死ねばよいという考えは、政治家の資質に問題を生じる。政治家の任務は、人びとの幸せな生活を確保すること。死ねばその任務に従事できない。死は、政治的ニヒリズムの徴である。

 制度を考えず、現実を考え抜くつもりのない人びとは、死に惹きつけられる。右翼の本質は、重要なものが奪われた喪失感を、死を賭した行動で埋め合わせようとすることだ。その行動の結果、喪失が深くなるばかりなのに。

 大日本帝国憲法は、制度を理解しない人びとのあいだではうまく機能せず、対米英戦争に帰着した。制度を超えたロマン的心情を代弁するものとして、西郷隆盛は日本人の、心の深層に伏流する。対米英戦争は、かたちを変えた征韓論だったとも言えるのである。

【PROFILE】橋爪大三郎●1948年生まれ。社会学者。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。主な著書に『はじめての構造主義』、『ふしぎなキリスト教』(大澤真幸氏との共著)など。最古にして最大の友愛結社を社会学的に考察した小学館新書『フリーメイソン 秘密結社の社会学』が発売中。

※SAPIO2017年10月号

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