誰もが知るあの有名外食チェーンも、最初は街の片隅に生まれた小さな店から始まった。「1号店」──そこは創業者の汗と涙、熱い思いが詰まった聖地である。『カプリチョーザ』の原点を辿ってみた。
大皿に盛られたパスタやピザ、「チーズ入りライスコロッケ ミートソースかけ」などが名物のイタリアンレストラン、『カプリチョーザ』の発祥の地は東京・渋谷。1978年、創業者の本多征昭氏が、マンションの1階にわずか6坪の店『伊太利亜飯店 華婦里蝶座』を出したのが始まりである。
まだ日本にイタリア料理が根付いていなかった1962年、19歳だった本多氏は単身イタリアに渡り、本場の味を身につけた。ヨーロッパで数々のコンテストに入賞した実績がイタリア政府にも認められ、1970年に開催された大阪万博ではイタリア館の料理を担当する。そんな彼がオープンしたお店はたちまち行列の絶えない人気店となり、同じビルの少し広い場所に移転。それが1号店として現在も残る。同社取締役で、本多氏の娘の理奈氏が語る。
「チェーン展開の話もすぐ舞い込みましたが、父は消極的でした。自分が直接教えないでレシピを渡すと、味がブレてクオリティが下がるとの理由からだと思います。こだわりの味とブランドを壊したくないというポリシーだったのでしょう」
しかし味に惚れ込んだ担当者が通い続け、ついには了承。
「それまで父が1人で料理を作っていましたので、レシピが存在しませんでした。チェーン化にあたり、まず父が頭の中のレシピを書き起こしました。素材の分量を一から量り、とても大変だったと聞いています」(同前)