当初の店名は「華婦里蝶座」だった
しかしオープンからちょうど10年が経った1988年、本多氏は44歳の若さで志半ばにして永眠。チェーン展開を始めたばかりだったカプリチョーザはまだ4店舗しかなかった。
「結果的にチェーン展開を開始していたことでレシピは残りました。もし1年でも遅れていたら、カプリチョーザの味は残っていなかったと思います」(同前)
渋谷本店の1号店には、今でも本多氏の写真や歴史が飾られている。
※週刊ポスト2017年11月3日号
当初の店名は「華婦里蝶座」だった
「結果的にチェーン展開を開始していたことでレシピは残りました。もし1年でも遅れていたら、カプリチョーザの味は残っていなかったと思います」(同前)
渋谷本店の1号店には、今でも本多氏の写真や歴史が飾られている。
※週刊ポスト2017年11月3日号