ただ、中国文学の青木正兒は、例外的にはやくから酒の席をよろこんだ。そんな青木には、酒仙をきどるところがあったという。自分たちの学風を、外へむかって宣伝する媒体にも、酒はなっていた。白楽天にあやかろうとした青木じしんの酒量は、節度をわきまえていたらしい。
英文学の深瀬基寛は、陋巷(ろうこう)での酒にひたることが多かった。京大や祇園からははなれ、うらぶれた場所で飲む話を、書いてもいる。深瀬は、わびしい自分像を印象づけたかったのだと、著者は見る。
酒は、多くの学徒たちに自己演出の手段をもたらした。京都学派の戦後が、そういう酒とともにあったという指摘は、傾聴にあたいする。やや功利的であった桑原武夫の酒が、せつなく思えてきた。
※週刊ポスト2018年2月2日号