1877年に国立印刷局で印刷したマッチのラベル(写真提供/日本燐寸工業会)
●マッチ
明治初期まで輸入に頼っていたが、元加賀藩士でフランスの工業大学に留学していた清水誠が、帰国後の明治8(1875)年、国産マッチの製造を開始。その後、海外視察で知った安全マッチの製造法を取り入れ、国内マッチ産業の発展に貢献。各地にマッチ工場が増え、日本はマッチ輸出国に転じた。「ラベルの蒐集も盛んになり、新しい趣味も生み出しました」(湯本氏)。
※週刊ポスト2018年3月2日号
1877年に国立印刷局で印刷したマッチのラベル(写真提供/日本燐寸工業会)
※週刊ポスト2018年3月2日号