──6度の夏の甲子園のうち、実に4度のエースが石田姓という「東筑の石田伝説」ですが?
青野監督:1972年石田義幸、78年石田大介、96年石田泰隆。そして昨夏の石田旭昇ですね。特別にこの地区に多くはなく、たまたまなんでしょうけど。いつも石田ばかり取り上げられますが、青野と石田で過去4回甲子園(自身が主将で1度、監督として3度)に行っていますから(笑い)。
──石田姓の投手が入学すると、周囲も大いに期待しますね。
青野監督:当然期待はするでしょうが、今回の石田旭昇は入学当初から1年の冬を越えてメキメキとボールが速くなった子です。春季大会から130キロ超えるようになったので途中から出すと、いいピッチングをするので自信を付けました。そして、彼が背番号1を付けたのは、日大三高との招待試合で、2対0と完封した時です。
──「青野野球」は打撃と守備、どちらを重視しますか?
青野監督:奇抜なことはゼロです。ただ野球をしているだけです。今年の冬は寒くて、打つ量が少なかったから、速いボールに慣れる時間がありませんでした。それでも年間を通じて、選手も「バットの芯に当たれば痛くないです」と言って、気温4度でもずっとバッティングをしていました。週に2回しかグラウンド全面を使えません。打撃ができる時は打撃をしますが、ノックをするときはノックしか出来ない。出来ないものは出来ないですから、意味がなさそうだなと思うことはしないです。
──限られた練習時間など、制限のある環境でも甲子園ですね。
青野監督:土曜日も授業があるので、練習は13時くらいから始まって、内野を使えるのが2時間半くらいです。家とグラウンドの往復だけで、合宿もやることはないです。昨年、一番遠い遠征は、甲子園でした(笑)。年間70から80試合ほど練習試合はやりますが、土曜授業があるので、遠くても長崎や熊本までしか行けません。
──監督をする上での信条は?
青野監督:割り切ってやってみたら甲子園に行ったということです。組織論では「ボトムアップ」とよく言いますが、生徒が何かをしたいと言ってきたら、自分たちでさせようという意識でやってみました。グラウンドに監督がいないサッカーやラグビーではそういう考えがありますよね。でも野球は監督がサインを出してどうするこうするがあるから難しいですが、「自分たちで考えてみる」というヒントでやってみました。試合になったら、自分たちで考えなくてはいけませんから、これが大事なのかなと思っています。
──最初に就任した16年間と、2度目で何か決めたことはありますか?
青野監督:私自身、上からがんがん言う方ではないです。ここに戻るまでの6年間、色々と勉強しました。そして、自分が高校生の時に嫌だったことはしないと決めました。例えば、めちゃくちゃ走らされるとか、果てしなく腹筋するとか。ナンセンスなことは止めようと思いました(笑)。うちは他の学校とは違うような感じがします。私は怒らないですし、髪形も選手任せ。ツルツル頭の坊主にして勝つんだったらしたい、でも髪形では勝てません。でも、坊主は家でバリカンだけで出来て面倒でない。親としても経済的にいいから、結局みんな坊主なんですけどね(笑)。
──進学校として赤点を取ったら、部活禁止など、ルールはありますか?
青野監督:一切ないです。赤点を取って部活禁止にしたら、過去に赴任した学校でカンニングしてしまった生徒が出てしまったので、そっちを心配してしまいますから(笑)。そんなプレッシャーかけたら、子供はそんなことまで考えると思って、二度と言わないです。