列車を見に行くのは、子供たちの娯楽だった(昭和33年)
オバ:ところで、経営したカメラ屋さんは繁盛したんですか?
齋藤さん:結果的にはね。お店を開いたのが昭和35年。桐生市にカメラ屋さんは57軒あったの。そのちょっと前に固定給が入る公務員と結婚したら、父は「公務員をやめて夫婦で商売をしろ」の一点張り。それだけじゃない。映画館の近くに店を構え、深夜まで営業しようと言い出したの。1軒だけ電気が煌々(こうこう)とついていたら、「なんだろう」って、最後の映画を見終わった人が入ってくるって。案の定、すごい宣伝効果。小さなカメラ店から、家電や事務機器まで扱う、家電量販店のはしりになったの。
◆母の死と引き換えにもう一枚のドアが開いた
オバ:還暦はどんな年でした?
齋藤さん:ネガが見つかったのはうれしかったけど、生活は地獄。ずいぶん前から暴言を吐いたり、意味不明な行動をして認知症だった母が、夜になると出歩きたがるもんだから、その手を縛って寝ていたんだもの。何があっても母は見捨てられないと頑張っちゃった。介護をめぐって私と夫がぶつかって、55才のときに離婚していたし。
オバ:認知症や介護に対する世間的な理解も低かった時代でした。
齋藤さん:でも、私の運命が再び大きく転がりだしたのは、その母の死がきっかけだったんです。10年前に『ビッグコミック オリジナル』(小学館刊)の人気漫画『三丁目の夕日』のコンビニ版に写真コラムの連載が始まって、平成26年、74才のときに各所で個展が開催されました。今年は初の写文集が出版されたり、先日はNHK BSの『背中』という番組に出演して、ねんねこばんてんの話をさせてもらいました。
オバ:68才からの快進撃ね。私も後に続きたいッ。
齋藤さん:そうよ。78年間を振り返ると、悪いように考えると体も壊すし、泣きっ面に蜂が刺す。逆にいい笑顔には福が来るのよね。2人の娘は外国に嫁ぎ、ひとり暮らしの私は朝、鏡を見て、自分に「おはよう!」と笑いかけているの。それから、「お父さん、私はこれからやるよーっ」と、これは心の中でいつでも言っている。
オバ:さっそくマネしようっと!
◆『三丁目写真館』展は、小学館本社ビル1Fギャラリーで、5月末まで開催中(東京都千代田区一ツ橋2-3-1)。また、6月1~7日は、齋藤利江写真展『三丁目写真館~昭和30年代の人・物・暮らし~』がa´ギャラリー・アートグラフで開催予定(東京都中央区銀座2-9-14の1F写真弘社内)。
【Profile】齋藤利江さん(78才)/群馬県生まれ。14才で写真コンクールの最優秀賞を皮切りに10代で多くの賞を受賞。21才で結婚し、『カメラのアサヒ堂』を開業。二女に恵まれた。55才で離婚。60才で10代のネガを発見し、発表すると評判に。今年、写文集『三丁目写真館~昭和30年代の人・物・暮らし~』(小学館)を発行。
写真提供/齋藤利江さん
※女性セブン2018年6月7日号