◆女性が議員になることは「公人リスク」も
テレビ局勤務を経て、2009年に政界入りした元衆議院議員の三宅雪子さん(53才)も「前職のテレビ局時代からセクハラは日常茶飯事で慣れてしまった」と言う。
「お尻をポンと触られることはしょっちゅうでした。私はざっくばらんな性格なのであまり気になりませんでしたが、耐えられない人もいるでしょう」
近年はネットの普及により、女性が議員になることは「公人リスク」を伴うと三宅さんが続ける。
「最近は政治家に対するネット関連の嫌がらせが増えてきているんです。いわれないデマを拡散されて、それを信じ込んだ人たちがネットを中心にバッシングをする。とくに女性議員に対して多いといわれており、メディアに頻繁に登場するような目立つ人はターゲットになりやすい。
『もうやっていられない』と追い詰められた地方議員から相談を受けることもあります。政治家はどうしても地元の有権者との距離が近くなるため、その距離感をコントロールすることも求められる」
女性議員に降りかかる苦悩は、男性議員が圧倒的に多数を占める現状を変えるべく、足かけ6年にわたって候補者男女均等法の成立に尽力した“Qの会”(クオータ制を推進する会)代表の赤松良子さん(88才)もそんな息苦しさを感じてきた。クオータ制とは、議員や閣僚などの一定数を女性に割り当てる制度のこと。
赤松さんは男女雇用機会均等法の施行後、駐ウルグアイ大使などを経て自民党政権崩壊後の1993~1994年に細川・羽田内閣で文部大臣を務めた。
文相就任時、男女平等の理念のもとに「横綱審議委員会に女性を任命すべき」「男女差による勲章の扱いを再検討すべき」などの持論を述べると、政財界やマスコミからバッシングを受けた。
《女性が大臣になるとすぐ男女平等を掲げるのはおかしい、勘違いするな》
男社会を信奉し、赤松さんの活躍をやっかむ人々による心ない言葉を浴びても彼女はめげなかった。むしろ「女性であることでバッシングを受ける政治の世界にこそ男女平等が必要だ」と強く信じるようになった。
「均等法で会社は変わったが、そこから一歩外に出た社会はまだ変わっていない。とりわけ際立っていたのは政治の世界。そもそも国会議員の男女比が9対1だなんて、どう考えてもおかしい。旧態依然の社会を変えるためにも、まずは政治の世界を変える必要があると思った」(赤松さん)
均等法で会社が変わったように法律を作れば世の中が動くと信じる赤松さんは、男女雇用機会均等法の“政界編”を成立させるべく、2012年に労働省時代の後輩や女性運動家、学者らとともにQの会を立ち上げ、ロビー活動を始めた。
くしくも同じ年に発足した第二次安倍内閣も「女性が輝く社会」を掲げた。内容は上場企業の役員・管理職に女性を積極的に登用することを求め、取り組みや実績が顕著な企業を表彰するというもの。
同じ“女性のために”と声をあげても、両者の中身はくっきり分かれている。
「政府は『女性が輝く社会』といいますが、お題目を唱えているだけです。言葉では威勢よく主張しても、国会議員の男女比が9対1という事実からわかるように、『女性が輝く社会』なんて絵に描いたモチに過ぎない。
本気でそんな社会にしたいなら、まずは女性議員や女性閣僚、党の女性幹部を増やすべきです。ドイツではずっとメルケルさんが首相でイギリスでもメイさんが首相になった。世界と比べて日本の政治はあまりに遅れています」(赤松さん)
※女性セブン2018年6月21日号