かたや学生が「指示を受けた」と会見を開けば、かたや監督とコーチは「そんな指示はしていない」と言う(日本大学)。「首相から獣医学部はいいねとコメントをもらったと学園がコメントした」と地方自治体が明かすと、学園理事たちは「コメント自体が虚偽だった」と恥ずかしげもない(加計学園)。右を向いても、左を向いても、問われているのはウソをつき、ごまかしているのはどっちか──。
かつて親や先生に言われた「ウソつきは泥棒の始まり」の警句にならえば、泥棒がそこかしこにいるこの社会で、ウソにもマケズ、ごまかしにもマケズ、そういう者になるために、そういう子供を育てるために、今、私たちが考えておくべきことは?
「1人殺せば殺人犯だが、100万人殺せば英雄」──映画『殺人狂時代』の有名なセリフだが、ウソも夫や友人の前でつけば単なる“ウソつき”だが、国民の前でつけば“英雄”になるとでも思っているのか。そんな彼らと一線を画して生きるにはどうしたらいいのか。ベストセラー『極上の孤独』(幻冬舎新書)の著者である作家の下重暁子さんが解くのは「孤の中で個を育むことの重要性」だ。
下重さんが「ウソはごまかしとは無縁に生きていくためには?」という問いに答えを出す。
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ウソやごまかしは、組織内で醸造される同調圧力から生まれます。残念ながら、逃れることは難しい。ましてや最近は、人と違うことを言えない窮屈な時代になってしまいました。
SNSはまさに時代を反映しています。誰かの「いいね」に、みんなが「いいね」と同調する。本当にいいかどうか考えてもいないのに、「いいね」。これは恐ろしいことですよ。周囲が「いいね」と言っても、「私はどうかしら」と考えなくては。そして考えた上で、よくないことはよくない、間違っていることはNOと言う。それが誠実ということです。
ウソをつかず、誠実であるためには、「孤」に戻ることが必要です。そう言うと「ひとりぼっちは嫌だ」と誤解する人もいるけれど、孤独とおひとりさまはまったく別物です。
孤独とは自分自身と対話すること。
人と対話する前に、自分に対して「本当にこれでいい?」「これで大丈夫?」と自分自身に確かめることです。そこで自信を持って「いい」「大丈夫」と言えたら、他人から誠実な人だと見てもらえます。また、自分と向き合うことで、自分をより深く知ることができます。自分はどういうときに喜びを感じたり、寂しさや悲しさ、怒りを感じるのか。それを突き詰めることで、ひいては他者の感情を理解することにつながります。自分自身に向き合わずして、他人を理解することはできません。
つまり、孤独になるということは、他人に対して誠実になるための原点であると同時に、ウソやごまかしのない、極上の人生を生きるために欠かせないものなのです。
※女性セブン2018年6月28日号