その3週間後に逮捕され、強制わいせつ致死、殺人などの罪に問われた澁谷被告は、保護者会会長として児童の見守り活動を務め、犯行後もテレビのインタビューに“心配する保護者のひとり”として答えていたため、その姿と事件の残虐性とのギャップに世間の注目が集まった。
6月14日の被告人質問ではハオさんを糾弾するような証言をしたうえで、あらためて無罪を主張した。ハオさんが証人尋問のために出廷したのはその翌日だった。
検察側から「被告人への処罰は?」と問われると、ハオさんは「死刑の判決を出してほしいです。お願いします」と述べ、裁判官に向かって頭を下げた。その理由についてハオさんは説明を加えたが、時間内ではすべてを伝えきれなかった。その無念の思いを手記としてしたため、私に送ってくれた。
公判前に準備していたというその手記は、ハオさんがベトナム語で綴り、彼の知人が日本語に翻訳したものだ。こんな書き出しで始まる(以下、手記は〈 〉内)。
〈たくさんの理由で被告人を死刑にしないといけません。皆さん、リンちゃんが死ぬ直前の姿を想像してみてください。きっと「どうか放してください。私を痛めつけないで。殺さないで。お父さん、お母さん、私を助けて。誰か、私を助けて。痛い。私を放して……」と泣き叫んでいたのではないでしょうか。被告は私の娘が死ぬまでいたぶり続けました。そして、一枚の布切れさえも体に覆わせず、凍えるように寒い橋の下に遺体を放置したのです〉
ハオさんは2007年10月にIT技術者として単身、来日した。その2か月後にベトナムで生まれたリンちゃんが母親と一緒に日本へ渡ったのは、彼女が2歳の頃だった。
〈リンちゃんが普通の生活をできるように、一生懸命に頑張りました。家族が団結し、共に人生の困難を乗り越えることができるよう、すべての努力を傾けてまいりました。ようやく1つの場所に安住し、リンちゃんが健やかに学び、育ち、そして成長してくれることを期待していました。けれども、そのような小さな夢さえも、途中で壊されてしまいました。リンちゃんを生まれ故郷に連れて帰り、私は自分の手でリンちゃんを埋葬しなければならなかったのです〉