個人的に印象に残ったのは多田謡子のことを語った「ある祝電」だ。多田謡子は山田稔と親しかった仏文学者多田道太郎の一人娘で、人権派の弁護士として活躍したが、働きすぎと不幸な結婚生活によって夭折した。
彼女が結婚式をあげた時、山田稔はパリにいた。その時に打電した電報のメモが見つかった。それにはこうあった。「人生はいつもバラ色ではないけれど、それでもやはり美しく、おもしろい。おめでとう」。不幸な結婚生活を知った後で、「人生はいつもバラ色ではないけれど」というフレーズが気になった。
山田稔はこう書く。「いつもバラ色ではなかったけれど、楽しいこともたくさんあった、バラ色のこともあったのだと信じたい。二十九年の短い生涯であったればこそ、生の美しさもまたいちだんと鮮烈であった。そう思うことで自らを慰めるより仕方がない」。
※週刊ポスト2018年7月6日号