だいたい、「所詮は他人の子」でスルーすればいいのに、けしからんと考える人々が一斉に発言者を叩く。教授は確かに迂闊ではあったが、彼の教育方針を糾弾する必要もなければ、彼の子を殊更可哀想な存在だと扱う必要もない。親子関係の深淵なんてものは、他人には一切分からないものなのだ。
それなのに、一億総批評家状態になり、他人の考えや方針が自分の基準に合わないと一斉糾弾を行う。特に子育て関連ではこれが顕著で、ネットの人々は子供を「自立した一個の存在」と扱いたがる。だが、親からすれば子供というものはとにかく心配の種だし、より良い人生を送ってもらいたいと考えるから考えを押し付けがちだ。私も「目が悪くなるからテレビ禁止」という少年時代を送ったがなんてこたぁない。クラスの話題についていけなくなるばかりでなく、視力は小学校6年生で0.1になった。
そもそも、子供の常套句である「○○くんだって持ってるんだよ~。ボクにも買って~」というダダに対しては「○○くん家とウチは違うの!」とバシッと言い切り、子供を納得させていたし、こうした意見はネットでは共感される。
なのに「ゲームはダメ、観劇こそ至高」に対し「ヨソはヨソ、ウチはウチ」がなぜ今回は糾弾されたのか。観劇という値の張るハイソな趣味を子供に提供できる若き慶應教授に、自らの「課金さえしなければゲームはOKよ」的教育方針を否定されたと考えた親も多かったのではないだろうか。また、自分自身の趣味を否定されたと考えたゲーム好きの逆鱗に触れたか。私も「極端なこと言ってるヤツがいるな(苦笑)」と思ったが、わざわざ彼に批判を送る気にはなれない。
見ず知らずの他人の人生なんてどうでもいい。
●なかがわ・じゅんいちろう/1973年生まれ。ネットで発生する諍いや珍事件をウオッチしてレポートするのが仕事。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』など。
※週刊ポスト2018年7月20・27日号