決勝トーナメント1回戦は1位通過ならメキシコ、2位通過ならフランスとの対戦になる。地の利を生かすチームを避けたいという意図に加えて、競技場の場所も関係していた。1位通過の場合、日本はこの日スペインと戦っているアステカスタジアムから数百キロも離れたグアダラハラに移動しなければならない。
グループリーグから中1日が続く日程を考えれば、同じアステカスタジアムで戦える2位通過のほうが有利に戦いを進められると計算したのだ。
だが、“引き分け狙い”を覆すかのような事実も残っている。この日のスペイン戦を振り返ると、後半に日本が攻めまくっているのだ。37分には左ウィングの杉山隆一からの絶妙なパスを釜本がシュートするもバーに当たる。終了間際には杉山のシュートがこれまたポストに跳ね返された。
当時、スポーツニッポンの特派員としてメキシコを訪れていた石原裕次郎さんは、同紙上でこう語っている。
〈後半の残り時間が、わずか10分になってから「ひょっとしたら日本が勝つぞ」という期待で、ボクはわくわくした。スリル、スリルの連続だ〉(スポーツニッポン・1968年10月20日)
後半20分の時点で“引き分け狙い”に作戦を決めたベンチも困惑していた様子だ。岡野俊一郎コーチ(当時)はこう振り返っている。
〈代りに入る湯口に「点を入れるな。しかし点をとられるな。引分けにしろ」と全員に伝えるようにいった。ところが湯口が入り、この指示が全員に伝わったはずなのに、このころから試合は日本の一方的な攻勢になった〉(『サッカーマガジン』1968年12月号)