石原裕次郎一覧

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高倉健さん生誕90周年 記念アルバム発売にあわせて秘蔵写真を公開
高倉健さん生誕90周年 記念アルバム発売にあわせて秘蔵写真を公開
 自分、不器用ですから──このフレーズが代名詞の日本を代表する名優・高倉健さん。彼の生誕90周年を記念したアルバムが2月16日に発売された。この節目の年を記念して、本誌では秘蔵写真をスペシャル公開。83年の生涯を過ごした高倉健さんの思い出を振り返ります。●『居酒屋兆治』1983年 元高校球児で、函館の居酒屋・兆治を営む店主役を演じた高倉さん。かつての恋人・さよ(大原麗子さん)が悲劇に見舞われたことに思い悩みながらも懸命に生きているところが印象的。2020年には遠藤憲一主演でドラマ化されている。●『幸福の黄色いハンカチ』1977年 刑期を終え、妻(倍賞千恵子)の元へと若者2人を連れて向かう物語。刑期を終える直前に「もし、まだ独身ならこいのぼりの竿に黄色いハンカチをつけておいてくれ」と妻宛てにはがきを出し、それを目印に向かうシーンはいまでも色褪せぬ名シーン。●『昭和残侠伝 一匹狼』1966年 佐伯清監督の「昭和残侠伝シリーズ」の第3作。昭和の港町を舞台に任侠の世界で奔走する武井繁次郎を演じた。抗争のシーンで見せる剣さばきと入れ墨は必見。●特写 1983年 出雲大社近くの海岸をバックに撮影された。ラフな服装に片手をポケットに入れてたたずむ姿からもスターのオーラがにじみ出ている。●『第1回日本アカデミー賞授賞式』1978年 記念すべき第1回の最優秀主演男優賞に輝いた高倉さんは、この前年に出演した『幸福の黄色いハンカチ』、『八甲田山』が評価され受賞。『はなれ瞽女おりん』で最優秀主演女優賞を受賞した岩下志麻と並んで写真撮影が行われた。●『海峡』1982年 同年にデビューした石原裕次郎さんとは兄弟のような仲。共演機会はなかったが、石原さんの葬儀では友人代表で弔辞を読んだ。●『動乱』1980年 吉永小百合と初共演を果たし、五・一五事件から二・二六事件までの時代を生きる青年将校役を演じた。本作は2020年に4Kデジタルリマスター版で公開され、話題を呼んだ。●『南極物語』1983年 昭和基地に取り残された犬たちを救うため、高倉さん演じる潮田暁と渡瀬恒彦さん演じる越智健二郎が再び南極へと向かう。到着し、生き残っていた兄弟犬タロとジロと感動の再会をするシーンに涙した人も多いだろう。撮影/女性セブン写真部※女性セブン2022年3月3日号
2022.02.22 16:00
女性セブン
カッコいい昭和の男たち(1975年『大都会』での石原裕次郎と渡哲也。写真/共同通信社)
石原良純が語る石原軍団「鉄の掟」 仕事も遊びも一生懸命に
 国民的スター・石原裕次郎のもとに渡哲也らが集まって生まれた「石原軍団」。『太陽にほえろ!』(日本テレビ系、1972~1986年)や『大都会』(日本テレビ系、1976年)、『西部警察』(テレビ朝日系、1979年)など、ド派手なアクション路線で人気を博した。ドラマでは男臭いハードボイルドな集団だった石原軍団は、撮影現場では“よく遊ぶ大人の集団”の一面も見せた。『西部警察』PARTIの途中から最終話まで刑事ジョー役で出演した御木裕氏が語る。「渡さんが撮影現場でカマキリとクモを捕まえて、『どっちが勝つかな』と戦わせたことがあった(笑)。実に無邪気というか、遊びも一生懸命にやる集団でしたね」 当時、石原軍団で最年少だった石原良純は、「若いからたくさん食べろ」と地方ロケで先輩たちが残したおにぎり40個を頬張り、夜は宴会の場だった渡の部屋で先輩たちの酒の好みを覚えてレミーマルタンのオンザロックや水割りをせっせと作ったという。「若手は早朝から撮影なので早く寝たいんですが、解散するのはいつも深夜2時すぎ。先輩たちを部屋まで送ると、そこでまた部屋飲みが始まる。誘われたら断われません。ようやく明け方に寝られると思ったら、もう撮影が始まる、なんてこともザラでした」(良純) 入浴の順番にも鉄の掟があった。「地方ロケの時はみんなで大浴場に行くんですが、湯船に浸かる順番も決まっているんです。渡さん、舘さんと入って、下っ端の自分は最後。でも風呂から出るのは僕が最初です。先輩より先に出て、脱衣所で待っていなきゃいけない」(同前) こうした行為は団結力を高める軍団ならではの“遊戯”だった。「今振り返れば、石原軍団の厳しい掟は全部、遊びの延長にあった。確かに末端の人間はつらいけど、仕事も遊びも一生懸命やらないとダメなんです。遊ぶ時は腹をくくって本気で遊ばないと面白くない。 今ならパワハラと言われるかもしれないけど、僕はその分、面倒も見てもらって、『俺に何かあったら絶対に先輩が助けてくれる』と思っていた。今でも僕が舘さんに『どうしてもお金が必要だから1億円貸してください』と言ったら、貸してくれると思うよ(笑)」(同前) 石原軍団は、昭和ならではの男同士の絆でつながっていた。今も語り草となっている1984年の『西部警察パートIII』の最終回では、殉職した大門に木暮課長がこう語りかけた。「大さん、俺はなぁ、お前さんのこと、あんたのこと、弟みたいに好きだった。ありがとう、ありがとう!」 このセリフはすべて裕次郎のアドリブだった。石原軍団を支え続けてくれる渡に対する偽りのない真心が表われている。 しかし、その3年後に裕次郎はこの世を去った。52歳だった。夢を見せ続ける義務 裕次郎の没後は副社長だった渡が社長に就任し、石原プロを支えた。その渡も2020年8月にこの世を去ったが、石原プロは2021年1月まで活動を続けた。そして今もなお、石原軍団の名は語り継がれている。 その理由を石原プロ出身の映画プロデューサー・増田久雄氏はこう語る。「裕次郎さんは決して人の悪口を言わなかった。誰かの悪口が出たら『でもあいつには、こういう良いところもあるよ』と言う方でした。 そんな裕次郎さんの人間力が浸透した魅力ある集団だったから、みんな石原軍団について語りたいんです」 今年還暦を迎えた良純は、今になって分かったことがあると語る。「やっぱり石原裕次郎はみんなの夢だったんですよね。日本が戦後復興し、高度経済成長に入るなかで、日本中の方々が『裕次郎なら、外国に負けない作品を作ってくれる』という夢を石原裕次郎に見たし、それを託した。 そして一度夢を託された人間は亡くなってからも、夢を見せ続けなくてはならない義務があるんだと思う。だから石原裕次郎の意志を受け継いだ石原軍団は、使命を終え、解散するまで“夢を見せ続けよう”と活動を続けたんです」 石原軍団がなくなっても、男たちが残した伝説はいつまでも輝き続ける。(文中一部敬称略)※週刊ポスト2022年2月18・25日号
2022.02.17 16:00
週刊ポスト
軍団のステージが変わるきっかけに(1981年裕次郎の手術結果を報告する渡と小林正彦専務。写真/共同通信社)
伝説の石原軍団 社長・裕次郎さんが倒れたことでより強まった結束力
 大スター・石原裕次郎が芸能界で作った伝説のひとつが、今なお語り継がれる「石原軍団」の鉄の結束であろう。 国民的スターとなった石原裕次郎が1962年に石原プロモーションを旗揚げしてからしばらくは、『黒部の太陽』(1968年)や『栄光への5000キロ』(1969年)の大ヒットで景気がよかったが、1970年代に入ると映画産業の斜陽化とともに大きな負債を抱え、倒産寸前に追い込まれていた。だが、テレビドラマに進出した石原プロは、『太陽にほえろ!』(日本テレビ系、1972~1986年)や『大都会』(日本テレビ系、1976年)など、ド派手なアクション路線で人気を博し、苦境を脱する。 そして『西部警察』(テレビ朝日系、1979年)で、その人気は頂点を極めた。 裕次郎演じる西部警察署の捜査課長・木暮謙三と渡演じる刑事のリーダー・大門圭介を中心に繰り広げられる人間ドラマと爆破やカーチェイスに、視聴者は釘付けになった。「使用した火薬4.8トン」「壊した車両4680台」「飛ばしたヘリコプター600機」「始末書45枚」という数々の伝説を生んだ。 PARTIの途中から最終話まで刑事ジョー役で出演した御木裕氏が語る。「もともと石原慎太郎さんと知り合いだった縁で、20歳で石原プロに入って右も左も分からぬまま『西部警察』で役者デビューしました。 撮影現場では、渡さんが来ると良い意味で現場の空気がピリッと引き締まり、裕次郎さんが現われるとみんながイキイキと動き出す。渡さんがロケの宿泊先でみんなを集めて『正座しろ』みたいなこともあったけど、そういう体育会系なところもみんなで楽しんでいました。裕次郎さんと渡さんを中心とする結束の固さが、作品の魅力を生み出したんだと思う」 だが、『西部警察』のロケ中だった1981年4月に大事件が発生する。裕次郎が解離性大動脈瘤で倒れ、緊急入院したのだ。「もし、最悪の事態になったら、私も連れていってもらいたい。石原に殉じたい気持ちです」 ワイドショーに出演した渡は涙ながらにそう語った。 その後、裕次郎は奇跡の復活を遂げるが、病気で倒れたことをきっかけに石原プロは新たなステージへと突入した。良純が語る。「もともと石原プロは太陽のような存在だった石原裕次郎を慕って集まった男たちの集団だったけど、社長が倒れたことで親分の夢を受け継いで作品を作っていこうと決意した。『社長のために』という一つの方向性を持つ男たちの結束力が、より強まっていったんですよね。 酒はあまり飲まないほうだった渡さんが、ロケ後の夜や休みに若い連中を集めて、ワイワイと楽しむようになった。『社長の代わりに、俺がやらなきゃいけない』との責任感があったんだと思う」 渡を中心に団結を深めた石原プロは「石原軍団」と呼ばれるようになり、熱い男たちの集まりとのイメージが世間に定着していった。(文中一部敬称略)※週刊ポスト2022年2月18・25日号
2022.02.16 16:00
週刊ポスト
裕次郎と渡の下に多くの傑物が集った(1986年『太陽にほえろ!』の撮影を終え、記者会見する裕次郎。写真/共同通信社)
「そこまで仲良しだと…」石原良純が語る裕次郎さんと渡さんの強い絆
 芸能界で光り輝いた大スターであった石原裕次郎。裕次郎を中心として集まった「石原軍団」は、日本の芸能界を席巻したが、そんな彼を支えたのが渡哲也だ。 裕次郎が1962年に立ち上げた石原プロモーションは、当初は『黒部の太陽』や『栄光への5000キロ』(1969年)の大ヒットで景気が良く、裕次郎は六本木に事務所用の土地を探していたという。 だが1970年代に入ると映画産業の斜陽化とともに『ある兵士の賭け』『エベレスト大滑降』(ともに1970年)などの作品が大コケ。10億円近い負債を抱えた石原プロは倒産寸前に追い込まれた。 窮地を救ったのが、1972年に始まったドラマ『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)への出演だった。 映画人を自任する裕次郎はテレビドラマへの出演を固辞していたが、周囲の説得もあり『太陽にほえろ!』で警視庁七曲署のボスを演じた。ドラマはたちまちお茶の間の人気番組となった。 そして、苦境の石原プロが浮上する最大のきっかけとなったのが、1971年の渡哲也の加入だ。 日活の後輩である渡が裕次郎と初めて出会ったのは1965年。渡が日活の撮影所に挨拶に訪れた際、裕次郎は立ち上がって握手した。「顔を見つけた順に挨拶をしていって、石原さんが6番目くらいでしたけど、わざわざ立ち上がって挨拶してくれたのは、石原さんだけでした」 裕次郎との初対面を渡はそう振り返っている。 裕次郎、渡の二枚看板で勢いを得た石原プロには、寺尾聰、神田正輝、舘ひろし、峰竜太ら若手の役者が次々と集まった。 裕次郎の甥で、かつて石原プロに在籍した石原良純は、裕次郎と渡の関係は「一心同体」だったと振り返る。「今でもよく覚えているのは、社長(裕次郎)と渡さんと山中湖にゴルフに行った時のこと。濃い霧が出てスタートできず待っていたら、社長がサッと僕らのところに来て、『おいお前ら、テツ(渡)にボールぶつけたら殺すぞ』と言われた。上のふたりがそこまで仲良しだと、下の連中は黙って見ているしかないですよ(笑)」 裕次郎と渡の絆に、多くの男たちが引き寄せられていった。(文中一部敬称略)※週刊ポスト2022年2月18・25日号
2022.02.15 07:00
週刊ポスト
カッコいい昭和の男たち(1975年『大都会』での石原裕次郎と渡哲也。写真/共同通信社)
石原軍団の鉄の結束 裕次郎は「男は自分が帰る“巣”が必要」と語った
 芸能界で伝説を作った石原裕次郎。その伝説のひとつが、今なお語り継がれる「石原軍団」の鉄の結束であろう。 その始まりとなった石原プロモーションの旗揚げが発表されたのは、1962年12月27日の東京・帝国ホテルの一室だった。『太陽の季節』『狂った果実』(ともに1956年)や『嵐を呼ぶ男』(1957年)の大ヒットで国民的スターとなった石原裕次郎の日活からの独立は大ニュースで、設立会見の会場には多くの報道陣が詰めかけた。 当時の裕次郎には、自分が納得する映画を作り、それを国民に届けたいという熱い思いがあった。「われわれの手で現在作っているものより、お客さんが喜んで見に来てくれる映画を年に2本くらい企画、製作しようという自信はある」 設立会見で、裕次郎はそう抱負を語った。 翌年早々に石原プロモーションを設立し、第1作となる映画『太平洋ひとりぼっち』を製作した。石原プロ出身の映画プロデューサー・増田久雄氏は、同映画の完成披露試写会に参加した時のことをこう語る。「当時私は高校2年生で、設立したばかりだった石原プロを映画研究部で取材した縁で試写会に呼ばれました。ロビーで初めて裕次郎さんを見ましたが、華やかなオーラで光り輝いていた。憧れの人を見ることができてすごく興奮しました。その時は、裕次郎さんの下で後に映画製作をすることになるなんて夢にも思わなかった」 当時は大手映画会社5社が監督や俳優を抱え込む「五社協定」があったが、裕次郎はこの壁を打ち破って大スター・三船敏郎との共演作『黒部の太陽』(1968年)を製作した。 この映画は観客動員数が730万人を超え、当時の日本映画の新記録を樹立した。映画公開の翌年、大学を卒業した増田氏は裕次郎に魅せられ石原プロに入社した。「学生時代に石原プロで映画製作の手伝いをしていたのですが、裕次郎さんから直々に『卒業後はウチに来て映画をやらないか。男は自分が帰る“巣”を持たなくちゃいけない。その巣として石原プロを利用しろよ』と言われ、入社を決めました。大学卒業時にはお祝いにスーツをプレゼントしてくれた。そんな男気を見せられたら、ついていくしかないでしょう」(増田氏) その後、裕次郎に魅了され、多くの傑物が集うようになっていく。(文中一部敬称略)※週刊ポスト2022年2月18・25日号
2022.02.14 07:00
週刊ポスト
DV夫役の怪演が話題の徳重聡 “石原軍団の末っ子”からの大転換
DV夫役の怪演が話題の徳重聡 “石原軍団の末っ子”からの大転換
 主役に波瑠、その同窓生役で林遣都、本仮屋ユイカ、溝端淳平、新川優愛、黒川智花が登場する深夜ドラマ『愛しい嘘〜優しい闇〜』(テレビ朝日系、毎週金曜夜11時15分〜、2月11日は11時25分〜)。錚々たる出演陣が並ぶ中、ドラマオタクのエッセイスト小林久乃氏は、同窓生グループの1人の夫を演じて話題の徳重聡(43)について、本作の「影の主役」と太鼓判を押す。徳重の新たな魅力について、小林氏が綴る。 * * *『愛しい嘘〜優しい闇〜』(テレビ朝日系)は、深夜ドラマ帯の放送にも関わらず、出演者が非常に豪華。波瑠さん、林遣都さん、溝端淳平さんなど何かと演技が話題の面々が揃っている。中学校の同級生同士で仲の良かった6人の男女が久々に再会。それぞれに経験を重ね、大人になっていたものの、彼らには公にできない秘密がある。秘密が引き金になってしまったのか、グループの中から2人の死亡者が出てしまう。「なるほどなあ」と観ながらも、どうもドラマ自体にパンチが足りない。何だろう、この消化不良の感じは? と思っていると、第1話からとんでもない嵐が押し寄せた。それが野瀬正役の徳重聡さんだ。警察官でありながら妻への精神的・身体的DVを繰り返す役柄の怪演ぶりが、現在、SNSでも話題だ。それはそうだろう。「石原軍団」を継承するような、昭和仕込みの濃ゆい顔で迫ってくるのだから、他の演者とは確実に一線を画す。 ただ怪演が当初腑に落ちなかったのは、彼の芸能人としてのキャリアが、当初からずっと「爽やか路線」を歩んできたせいではないだろうか。「石原軍団の末っ子」の顔を1ミリも裏切らず もう20年以上前のことになるけれど、徳重さんの芸能界入りのことはよく覚えている。彼が以前所属していた石原プロモーションによる『オロナミンC「1億人の心をつかむ男」新人発掘オーディション〜21世紀の石原裕次郎を探せ!〜』で、グランプリを獲得したことがきっかけだった。 芸能界随一と言っていいほど固い絆と、上下関係で結びついていたあのグループが、新しい“舎弟”を招き入れることだけでも事件。そこに選ばれた徳重さんは「よくぞ、平成にいた!」と感心するほど、かつての日活映画を思い起こさせるイケメンだった。ヨットハーバーがよく似合う、若き日の裕次郎がそこに蘇ったと、往年の石原軍団のファンは血湧き肉躍る。 デビューから時は過ぎ、世の女性がときめく対象は、少しずつ彼の風貌からは離れていったように思う。その理由は追い風のように活躍する、平成生まれたちが生んだ新しい爽やかさ。ただそんな時流に迎合することなく、スペシャルドラマ『弟』(テレビ朝日系・2004年)、『裕さんの女房』(NHK BSプレミアム・2021年)で若き日の石原裕次郎役を2度も演じている徳重さんがいた。 彼がデビューした2000年頃と言えば、若手俳優は月9や朝ドラデビューを第一目標として、時折、男性ファッション誌の表紙を飾るのがすでに通例だった。そんな習わしなどどこ吹く風とばかりに、NHK大河ドラマやTBS『渡る世間は鬼ばかり』(2006年〜)、同『水戸黄門』(第39部、2008〜2009年)など、石原軍団の末っ子という顔を1ミリも裏切らず、昭和の香りを漂わせていた。 個人的に好きだったのは、石原軍団の恒例行事とも言える炊き出しに参加していた徳重さんの姿。会見では先輩たちを立て、自分は後ろへ下がって盛り上げる。真偽はいざ知らず、週刊誌で彼が炊き出しのカレー班だったという記事を見て、何だか心がほっこりした。そしてこの人は一生後輩でいられるのだと思うと、羨ましくも感じたものだ。 そう思っていたところに世間も知ることとなる事件が起きる。新しい場所で、新しい魅力を叩き出した 昨年、石原プロモーションが俳優のマネジメント業務を終了して、彼は波瑠さんも所属するホリ・エージェンシーへ移籍する。私は会ったこともないけれど、徳重さんが心配になってしまった。 舘ひろしさん、神田正輝さんといった大御所はどこの世界に行っても必ず映える。いまだに「泣かないで」のワンフレーズだけでご婦人たちを震わせることができる芸能人といえば舘さんくらいだろう。存在だけで魅せる実力は、後輩がどんなに喰らいついても追いつくことはないはず。でも徳重さんはそれまで実力派の先輩だけに囲まれて、ずっと下っ端でいて良かった存在。それが他の事務所に行けば、43歳は突然の先輩株となる。これは社会人の転職でもよくある“やりづらい”では。 それが『愛しい嘘〜優しい闇〜』では、今までのイメージをかなぐり捨てて、かつての昼メロドラマを彷彿させる猟奇的な演技で迫ってくる徳重さんの姿があった。妻・優美(黒川智花)を執拗に追いかけ回す姿は、ホラーの域。妻が友人と車で話しているだけでも「どうしたら家でじっとしていてくれるのかな?」。警察官という立派な職務と、誰かを愛して暴走する気持ちのバランスを取ることができていない。ちなみに第4話では、妻の不倫相手を突き止めようと、歯止めが利かない姿を見せる。 画面を二度見してしまった。軍団での末っ子イメージが払拭できていなかったので、まさかこんな方向に路線変更するとは予想外。「え、この人、どっかで見たことあるけれど……?」と、エンディングロールで俳優名を確認してしまった。ただ野瀬役のインパクトは非常に大きく、放送中は失礼ながら本編を差し置いて、彼の演技の話題で盛り上がっている。 その姿、もう影の主役だ。清廉で漢気のあるブランディングの軍団であれば、この怪役はキャスティングされることはなかったはず。彼は新しい場所で、新しい魅力を叩き出した。そしてここから正念場を迎えていく。 彼が出演する今後の作品を見守りたい。いやまずは、野瀬の行方を見届けることが優先か。ただこの先気掛かりなのは、野瀬役の強烈さを武器にして、バラエティ番組に出ることだ。できればそれは控えてほしい。あの怪演を笑いに変えた瞬間に、手にした新たな魅力が雲散霧消してしまうような気がしてならないので、ね。【プロフィール】小林久乃(こばやし・ひさの)/エッセイスト、ライター、編集者、クリエイティブディレクター。これまでに企画、編集、執筆を手がけた単行本は100冊以上。近著に『結婚してもしなくてもうるわしきかな人生』(KKベストセラーズ刊)。2022年3月に新刊発売予定。静岡県浜松市出身。
2022.02.11 16:00
NEWSポストセブン
石原裕次郎さんはタバコを小道具のひとつとして見事に使いこなしていた(時事通信フォト)
石原裕次郎さん『太陽にほえろ!』ラストシーンで吸った闘病中のタバコ
 健康志向が高まり、喫煙者の肩身が狭い今の時代。一方で、昭和という時代を語るのにタバコの煙は欠かせないものだ。昭和の大スターは紫煙をくゆらせながらどんな表情を浮かべ、どんな言葉を交わしていたのか──。元日本テレビのドラマプロデューサー・岡田晋吉氏が石原裕次郎さんのタバコにまつわる思い出を語る。 * * * 石原裕次郎さんはスタジオに自分のキャンピングカーに乗って来ていたので、撮影時間の合間はそこで休んでいました。タバコもその中で吸っていたようです。もっと若い頃はセットの片隅でタバコを吸う姿も度々見かけたので、ずっとヘビースモーカーだったのでしょうね。 とても紳士でした。基本的には寡黙だけど、いつもニコニコ笑っていて、よく冗談を言って周囲を和ませてくれた。 強く記憶に残っているのは『太陽にほえろ!』のクランクイン初日の彼の言葉です。「オレは俳優として来たんだから、何でも注文してよ」と「ボス」というニックネームもOKしてくれた。これがテレビドラマにおける石原裕次郎誕生の原点だったと思います。〈『青春とはなんだ』をはじめとする“青春シリーズ”をヒットさせたのに続き、石原裕次郎主演の『太陽にほえろ!』『大都会』などを手がけた元日本テレビのドラマプロデューサー・岡田晋吉氏。映画で国民的スターとなり、「テレビには出ない」と固辞していた石原を説得し、出演を承諾させたのも岡田氏の“功績”である〉 当時、ドラマとタバコは切っても切れない関係にありました。いまのように喫煙について厳しく言われることはなく、ドラマの喫煙シーンが当たり前だった時代。役者さんたちは、むしろタバコを芝居の小道具のひとつとして使っていました。『太陽にほえろ!』では、ヘビースモーカーではないけれど、山さん(露口茂)もタバコをうまく使って演技をしていましたね。 もちろん石原さんがタバコを吸うシーンもありました。最初から台本に書いてある場合もあれば、現場で監督が指示したり、石原さん本人の判断で吸ったりするケースもあったようです。 しかし、石原さんは1981年に解離性大動脈瘤の大手術を受け、『太陽にほえろ!』の後半は病と闘いながらの撮影になりました。タバコも禁じられていたので、吸うのを我慢していたようです。 まき子夫人もかなり気にされていたようで、「タバコを吸うと(奥さんに)怒られるんだよ」と苦笑いしていました。タバコだけでなく、食事にもすごく気を遣っていて、本当に“我慢強い人だな”と感じました。〈体調の悪化に伴い、石原の出演シーンは次第に減っていった。だが、『太陽にほえろ!』最終回のラストシーンで、石原は石原ならではの名演技を披露する。岡田氏は、そのシーンがいまも鮮明に記憶に残っていると語る〉 最後のシーンの撮影日の朝、石原さんから連絡があったんです。「このシーンをオレにくれないか」と言われ、「石原さんがやりたいようにやってください」と答えました。石原さんが自分で設定したのは、取調室で指名手配犯の妹を落とす(話を聞き出す)場面でした。そこで石原さんはタバコに火をつけ、美味しそうに吸ったんです。 石原さんがタバコを止められていることは現場の全員が知っていたので、みんなハラハラしながら見守っていました。実際にはタバコの煙を肺まで吸い込んではいなかったそうですが、本当に美味そうに深く吸っているように見えましたね。 タバコを吸いながら、妹から犯人の居場所を聞き出すまで、ワンカット7分間の長回し。すべて石原さんの即興でした。あれこそまさしく、タバコを使った最高の演技だったと思います。※週刊ポスト2021年9月10日号
2021.08.28 07:00
週刊ポスト
誰にも分け隔てなく接した石原裕次郎さん(写真/共同通信社)
分け隔てなく接した石原裕次郎さん 宴席では自身がお酒を注いで回った
 日活の看板俳優だった石原裕次郎が独立し、石原プロを設立したのは1963年のことだった。1968年公開の映画『黒部の太陽』が大ヒット。1972年にはテレビに進出し、『太陽にほえろ!』『大都会』(日本テレビ系)、『西部警察』(テレビ朝日系)など人気ドラマを次々と世に送り出した。「石原プロは裕次郎さんあっての事務所だった。みんな裕次郎さんを尊敬していたし、渡哲也さんも自分を殺して石原プロのために尽くしていた。それほど裕次郎さんは慕われる人柄だった」 こう語るのは『太陽にほえろ!』のプロデューサーを務めた岡田晋吉氏である。「軍団」と称されるものの、石原プロは「ファミリーそのもの」(同前)だったという。「渡さんが日活に入ったばかりの頃、日活の食堂に裕次郎さんがいたので、緊張しながら『新人の渡哲也です』と挨拶したら、裕次郎さんは食事の手を止め、わざわざ立ち上がって『石原裕次郎です。頑張ってください』と言って握手し、激励してくれたそうです。当時は後輩は直立不動、先輩は座ったままというのが普通。スーパースターが新米にそこまでしてくれたことに、『すごく感激した』と渡さんは言っていました」(同前) 裕次郎は「軍団」を率いる立場で、誰にも分け隔てなく接した。石原プロの“炊き出し”は広く知られているが、岡田氏にはこんな思い出もある。「石原プロは郊外の調布にあったから、みんなで外で料理して食べていた。私も石原プロを訪れるたびに、カレーや焼きそばを振る舞われました。たまたま食事を済ませてお腹いっぱいでも、断われる雰囲気じゃないから無理やり食べたよ(笑い)。 テレビ局の人も同じ作品を作る仲間だ、同じ気持ちでやろう、と。宴席では、裕次郎さん自身がお酒を注いで回ったりしていましたね」(同前) そんな裕次郎を敬い、慕う気持ちから、神田正輝、舘ひろしといったメンバーが自然と「軍団」の結束を強固にしていったのである。岡田氏がさらに続ける。「怪我で片手が使えない時や39℃の熱を出した時、マネージャーは『休む』と言っているのに、出番があれば本人は来てくれた。一所懸命で、誰よりも汗を流す。一緒に仕事をしたら、すぐにファンになっちゃうよ(笑い)」 裕次郎亡き後は、彼に惚れ抜いていた渡が石原プロを支え続けた。その渡も2020年8月に他界し、石原プロは今年1月に解散した。俳優が経営する制作会社がこれほど長く続いたのは異例中の異例だ。※週刊ポスト2021年6月11日号
2021.06.06 07:00
週刊ポスト
浅丘ルリ子と舘ひろし ついに実現した49年越しの初共演
浅丘ルリ子と舘ひろし ついに実現した49年越しの初共演
 芸能界随一の結束力を誇った石原プロモーションには、退社した者とは基本的に共演しないケースが多かった。石原裕次郎さんとの共演数が最も多い浅丘ルリ子(80才)もその1人だったが、ついに舘ひろし(71才)との共演が実現することで、大きな話題を呼んでいる。 自宅マンションの外階段で、ひとりの女性が慎重に上り下りを繰り返している。時間にして約10分。階段を離れると、自宅の前をゆっくりとした足取りで100mほどウオーキングする。そんな姿が、最近よく目撃されている。「その女性は浅丘ルリ子さんですよ。健康維持のためなのかな、階段を使って運動されているんです。日課になっているようで、お元気そうな姿を見かけますよ」(マンションの住人) 傘寿を迎えた浅丘にとって、10分を超える階段の上り下りは、健康維持にしてはハードすぎる。彼女はある人の思いに応えようと、体力づくりに挑んでいるのだ。石原裕次郎の相手役を最も多く務めた浅丘ルリ子だったが…… 5月12日、芸能関係者がザワつく出来事があった。舘の独立後初となる主演ドラマの詳細が明らかになったのだが、その共演者が浅丘ということで驚きの声があがったのだ。 浅丘は元石原プロモーション所属で一時期は役員を務めたこともある。ところが、石原プロを離れてからは、石原プロ所属の俳優との共演は一切ない。舘との共演は「49年越しにタブーが破られた」と騒がれているという。 石原プロは1963年に故・石原裕次郎さん(享年52)によって設立された。「旗揚げの際に、裕次郎さんが声をかけたうちの1人が浅丘さんでした。当時、浅丘さんは日活のトップ女優でしたが、テレビの普及によって映画業界が下火になり、映画スターの活躍の場が減っていたんです。そんななかでも、石原プロは映画製作に力を入れていました。映画への思いが強かった浅丘さんは、のちに石原プロに移籍しました」(芸能関係者) 裕次郎さんは生前100本以上の映画に出演しているが、その相手役を最も多く務めたのが浅丘だった。「37本で共演していて、時には週2本のペースで撮影を共にしていたこともあります。家に帰る時間もなく、2人はセットの片隅で重なるようにして眠っていることもありました」(前出・芸能関係者) 6才年下の浅丘に、裕次郎さんは常に気を使っていたという。「裕次郎さんが浅丘さんを誘い、2人きりで食事に出かけることもよくありました。あまりに仲がいいので、交際が噂されたこともあるほどです」(前出・芸能関係者) 当時の映画界では、主演は男性で女優はそこに花を添える脇役というケースが大半。しかし浅丘は主演にこだわりを持っていた。そんな浅丘の気持ちを裕次郎さんは理解していたのだろう。浅丘は石原プロ在籍中に、『華やかな女豹』(1969年)や『愛の化石』(1970年)などで主役を演じている。 そんななか、石原プロの“失敗”が浅丘の退社につながることになる。石原プロ元常務取締役の仲川幸夫さんは、当時をこう振り返る。「石原プロは、『黒部の太陽』(1968年)や『栄光への5000キロ』(1969年)などの大ヒット映画を生み出しましたが、1970年の『ある兵士の賭け』が大コケしました。公務員の初任給が約3万円の時代に、6億円もの負債を抱えることになったんです。これが遠因となって、映画製作の幅を狭めざるを得なくなりました。映画に出続けたかった浅丘さんが石原プロを辞めるのは、自然な流れでもありました」 1972年に石原プロを退社して以降、裕次郎さんとの共演はパタリとなくなり石原プロ所属の俳優との共演もない。「浅丘さんが、石原プロとは共演NGにしている、いやいやNGを出しているのは石原プロの方、などという噂が、長年囁かれてきました」(テレビ局関係者) その噂を仲川さんはやんわりと否定する。「表立ってNGを出していたわけではありません。でも、裕次郎さんというのは、去る者は追わないタイプなんです。浅丘さんに限らず、やはり石原プロを辞めていった川地民夫さん(享年79)や浜田光夫さん(77才)らも、退社後の共演はありません」裕次郎さんが結び付けた こうした線引きを重視するのは、石原プロが一枚岩だったが故だ。「いわゆる石原軍団というと俳優集団のように思われがちですが、実際にはカメラマンや照明、音声など、すべてのスタッフを含めた呼び名の総称です。そうした立場の異なる全員がまとまるには、ある種の“関連性”が必要でした。“退社組と共演NG”という明文化されていない“鉄の掟”のようなものは確かにあった」(前出・芸能関係者) ただし、会社を去った浅丘と裕次郎さんの関係が途切れたわけではなかった。「石原プロのトップとしては距離を置きながらも、裕次郎さんは浅丘さんの映画女優へのこだわりを尊重していました。共演はできませんでしたが、陰ながら応援していたんです」(当時を知る映画関係者) 今年1月に石原プロは解散。鉄の掟も消えた。だが舘が石原プロに入ったのは、浅丘が辞めた11年後。在籍期間が重なったことはない。その2人を結び付けたのは、ほかならぬ裕次郎さんだった。「ドラマのキャスティングの際、制作サイドは石原プロが解散したこともあり、舘さんに浅丘さんとの共演を打診したそうです。舘さんは多少の戸惑いはあったようですが、浅丘さんへのリスペクトもあり、決断したようです。浅丘さんも舘さんがよろしければということで、初共演が実現しました」(ドラマ関係者) だが浅丘もそのオファーを承諾するのは、簡単ではなかった。相当な覚悟が必要だった。浅丘は今年3月、帯状疱疹を発症していたことを明かしている。「帯状疱疹とは高齢者に罹患率が高い病気で、ヒリヒリとした痛みやかゆみが2〜3日続いた後に、小さな水疱を伴う発疹が帯状に現れるのが特徴です。発疹が消えても痛みやしびれが残ることがあります」(医療関係者) 現在は症状をコントロールしながらの生活が続いているという。それだけではない。「2017年に『やすらぎの郷』(テレビ朝日系)に出演した際、一部の視聴者から、浅丘さんに対し『ろれつが回っていないときがある』といった指摘が、インターネット上で囁かれていたのです。確かに、年齢的な衰えもあるのでしょう。浅丘さんは、そんな心無い指摘も覚悟して、オファーを受ける決意をした。 舘さんの再出発の足を引っ張りたくないからと、毎日少しずつ体力づくりを続けてクランクインを待っているようです」(前出・芸能関係者) 初共演となるドラマで、浅丘はわが子を殺した罪で服役していた女性を演じ、舘が演じる保護司の支援を受けて新たな人生を歩み始める。裕次郎さんもきっと、2人の共演を楽しみにしているに違いない。※女性セブン2021年6月3日号
2021.05.24 07:00
女性セブン
舘ひろしが石原裕次郎さん、渡哲也さんとの思い出を振り返る
舘ひろし 石原さん、渡さんに言われた「芝居なんかしちゃだめ」
 映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、映画『ヤクザと家族 The Family』(1月29日全国公開)に出演する舘ひろしが語った、『あぶない刑事』に主演するにあたって参考にしたこと、石原裕次郎さん、渡哲也さんに言われた芝居をすることについての言葉を紹介する。 * * * 舘ひろしは一九八六年、テレビドラマ『あぶない刑事』(日本テレビ)に主演。さまざまなガンアクションを繰り広げている。「僕はいろんなところから盗むんですよね。『あぶない刑事』でやっていたのは、ドアをバーンと開けて敵のアジトに入って銃を構える時に、必ずしゃがむこと。これは『007 ドクター・ノオ』のジェームズ・ボンドです。 カジノでバカラをやっていて、自分の部屋に戻る。すると、部屋の奥から物音がするんで、まず拳銃を出し、ドアを開け、しゃがむ。ドアがいきなり開いたら、相手は自分の目線の高さを見るわけですよね。ところが、しゃがんでいるとすぐに見えない。ほんの短い時間ですが、その間にこちらは先手を打てるわけです。だから、しゃがんで入る。それが僕には魅力的に見えました。 それから、銃を構える時に正面に構えることは、なるべくしませんでした。斜めに構えることで、相手の弾丸が当たる面を少なくした方がいいだろうと。そういうことを考えながらやっていくのが面白かった。 いろんな映画を見て、いろいろ盗む。僕のお芝居は多分ほとんどどこかの盗作ですよ。スティーブ・マックイーンの『ブリット』とか、これ以外にないという車の降り方をするんです。そういうのを参考にしました」 演技経験のない状況から俳優のキャリアを積んできた舘にとって、石原裕次郎や渡哲也の姿が一つの目標となる。「俳優にはお芝居よりも大事なことがある気がするんです。それは石原さん、渡さんからも言われたことです。『ひろし、芝居なんかしちゃだめだよ』って。 二人ともお芝居は下手ですよね。僕も含めて、うちはみんな下手です。でも芝居はセリフを言ったりカメラの前で動いていれば、なんとかなるんです。きっとそれは大切なことではない。 究極は、芝居をしないでそこに存在している、ということではないかと思います。映画を観た時の存在感。大事なのは、その映画の中に生きている石原裕次郎さん、渡哲也さんを感じさせることなんですよね。 たとえば、『西部警察』はストーリーも大した話ではなくて、爆破して車がひっくり返るだけです(笑)。でも、最後に石原さんと渡さんの二人が港をバックにトレンチコートを着て歩くだけで説得力がある。どんなストーリーでも、最後に二人が歩けば納得しちゃう。俳優って、究極はそういうことだと思うんです。 あの二人のような俳優でありたい。圧倒的な存在感。俳優って、ファーストカットでスクリーンにドーンと登場した時に決まると思うんです。少々芝居が下手でも、この圧倒的な存在感とか格好良さみたいなものがあれば、もっちゃうんですよね。 ホンをもらって芝居をするのではなく、人生丸ごと演じちゃえ。お二人は僕にそう言いたかったんだと思います。その中で何かを切り取っていけばいい。 二人とも人生を演じきった。僕は、そこまでは演じ切れていませんね」【プロフィール】春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『すべての道は役者に通ず』(小学館)が発売中。撮影/五十嵐美弥※週刊ポスト2021年1月29日号
2021.01.24 16:00
週刊ポスト
キャップスタイルもお揃いで
宮沢りえ、蒼井優、松嶋菜々子…年女女優たちのオフの姿
 2021年の干支は十二支の2番目である「丑」──。芸能界には丑年生まれの女性が少なくない。そんな“年女”女優たちがプライベートでも輝きを放つ私服姿をキャッチした。 昨年12月後半に公開され、話題を集めている映画『日本独立』で、戦後の混乱期に日本の中枢で活躍する主人公・白洲次郎の妻役を演じるのが、宮沢りえ(47才)だ。数々の作品で演技力を発揮している宮沢は、その美貌もキープ。ネイビーのコートにワンピースとワントーンファッションでまとめて都内のスーパーで買い物。ヘアスタイルは左右非対称のマッシュルームカットという独特なスタイルだった。年女の今年も“進化”は止まらなそうだ。 シリーズ第103作品目となったNHK連続テレビ小説『おちょやん』で、奉公に出された主人公を預かる女将・シズを演じているのが、篠原涼子(47才)だ。芝居茶屋の女将として厳しくも優しい姿を見せ、関西弁も巧みに使いこなす篠原。2021年にはドラマ『金魚妻』(Netflix)の主演も決まっている。そんな篠原が子供が通う有名小学校の運動会に行く姿がキャッチされている。黒Tシャツや黒パンツなど、全身黒で固めていたのは、隣を歩く夫の市村正親(71才)とほぼペアルックだった。 ドラマの放送と劇場版の公開があった『スパイの妻』で主演を務め、映画『おらおらでひとりいぐも』にも出演するなど、2020年の後半に話題作が相次いだ蒼井優(35才)の、白Tシャツ姿をキャッチした。一緒に歩いていた夫・山里亮太(43才)と色違いのリュックサックを前に持ち、フワっと広がるゆるパンツ姿で、帽子とマスクの間から笑顔をのぞかせていた。 今年、ドラマ『裕さんの女房』(NHKBSプレミアム)で石原裕次郎さんの妻・石原まき子さんの役で主演することが決まっているのが、松下奈緒(35才)だ。2020年にはドラマ『アライブ がん専門医のカルテ』(フジテレビ系)で主演しており、勢いそのままだ。そんな松下がビビットな青のニットジャケットにデニム姿で現れたのは、秋の音楽ホールだった。白Tシャツやスニーカーを使うアクティブな服装で、この日のピアノコンサートでドラマ主題歌から洋楽アレンジまでを弾きこなした松下の活躍を象徴していたようだった。 来月、24才となる松本穂香(23才)の活躍も目覚ましい。2020年にはドラマ『竜の道 二つの顔の復讐者』(関西テレビ系)でヒロインを演じ、映画『青くて痛くて脆い』にも出演、4月から放送予定の『連続ドラマW 華麗なる一族』(WOWOW)の主要キャストにもなっている。auのCM出演で明るいイメージが定着し、多方面から視線が注がれている。そんな松本は私服ではノースリーブを着こなしてお出かけ。ショートボブの髪型、スタイルの良い全身も目立つ、クールな出で立ちだった。 昨年は再放送された主演ドラマ『やまとなでしこ』(フジテレビ系)が話題となり、プライベートでは長女を英国に留学させたことが報じられたのが松嶋菜々子(47才)だ。以前キャッチしたあるドラマの打ち上げではスリットの入ったグレーのスカートに黒い革ジャンというワイルドな姿が目撃されていた。もちろん、その美貌はアラフィフとなった今も健在で、2021年の活躍にもますます期待が高まる。
2021.01.01 07:00
NEWSポストセブン
『太陽にほえろ!』ゴリさんの竜雷太 撮影現場でも教育係
『太陽にほえろ!』ゴリさんの竜雷太 撮影現場でも教育係
『相棒』や『特捜9』など、数々の刑事ドラマが人気となっているが、その源流は昭和のドラマにあるだろう。なかでも、刑事たちの人間性にスポットを当てて人気となったのが『太陽にほえろ!』だ。このドラマでは、萩原健一や松田優作など、多くのスターが刑事として登場、そしてその殉職シーンも話題となった。 新人刑事の教育係だったゴリさんこと石塚誠刑事役を演じたのが竜雷太だ。実は撮影現場でも、役柄同様、新人俳優の教育係を任されていたという。そんな竜雷太に、当時の話を聞いた。 * * * 番組の初回から10年間、ゴリさんを演じました。最初の数年間はよく走り回っていましたが、どんどん新人刑事たちが入ってきて、そのうち走るのは彼らの役目となり、ぼくは役でも現場でも、ベテランと新人の間の“中間管理職”のような立ち位置になっていきました。 そのきっかけとなったのは、テキサス役の勝野洋さんを指導したことでしたね。彼は柔道経験のある猛者なのに、ボス(石原裕次郎さん)の前では緊張のあまり“はい、行ってきます”の一言すら出ない。 そこで撮影を中断して廊下に連れ出し、2人で練習してから撮り直したことがあります。そのことがあってからは、若手俳優の演技に至らない点があると、ボスがぼくをチラっと見るように…。それで、ぼくが若手の緊張をほぐしたり、叱咤激励したりするようになったんです。 ラガー刑事役だった渡辺徹さんにいたっては喝を入れすぎたようです。ぼくが殉職してドラマを卒業した後、彼が急にぽっちゃりしだしたものだから、“ゴリさんがいなくなったから安心したんだろう”なんて言われたくらいですからね。 成長してほしい一心でぼくも一生懸命だったけど、ちょっと厳しすぎたのかなと、反省しましたね。 こんなふうに、若手俳優とかかわりながらも、一方では石原裕次郎さんともよく飲み明かしました。酒の席で“やっぱり仕事は映画だよ”と口癖のように話す石原さんに、“ボス、映画映画って言いますけど、私たちはこのテレビに命をかけているんです”と言ったことがあるんです。するとそれ以来、“よしわかった、お前たちがそんなに命をかけてやっているんだから”と、テレビに本腰を入れてくれるようになったんです。 ぼくが殉職するシーンでは、歴代の刑事役で唯一ボスが看取ってくれたのも印象深かったですね。時間も1時間半のスペシャル版に拡大。ぼくにとっては10年間がんばった最高のごほうびになりました。【プロフィール】竜雷太/1940年生まれ。NHK「連続テレビ小説」や「大河ドラマ」など、数多くの作品に出演。※女性セブン2020年9月17日号
2020.09.09 07:00
女性セブン
あああ
『西部警察』伝説 壊した車両は1話あたり平均20台
 今でも人気を獲得している刑事ドラマ。昭和の時代に遡ると、『太陽にほえろ!』や『西部警察』シリーズに代表される刑事ドラマで、石原裕次郎さんや渡哲也さんなどの大スターが、時に過激なアクションを披露し、時に涙を誘う名演で魅了した。これらのドラマはいかにして作られたのか。その舞台裏に迫る! 昭和の刑事ドラマにはどんな作品があったのだろうか。「テレビ放送がスタートした4年後から刑事ドラマが作られ始めましたが、現在と同様の1時間ドラマの形で放送されたのは、昭和36年から始まった『七人の刑事』と『特別機動捜査隊』。当時は高度経済成長期。地方から集団就職者が押し寄せて東京の人口は急増。団地が次々と建設され、隣人との関係が希薄になり、犯人の素性特定に時間がかかるようになりました。そんな社会背景をもとに犯罪をリアルに描いたドラマが作られるようになったのです」(社会学者・太田省一さん・以下同) この流れを変えたのが、昭和47年から14年続いた名作『太陽にほえろ!』だ。「それまでは犯罪自体をリアルに描いてきましたが、刑事という“人間”にスポットを当てたのはこの作品から。銃を撃つことに戸惑う刑事や犯人の背景に同情してしまう刑事の葛藤や、男同士の友情などを描き、青春ドラマの要素を加えたのです」 刑事ドラマにアクションと青春の要素を詰め込んだスタイルはその後も受け継がれ、アクションものでは『西部警察』シリーズが大ヒット。『西部警察』には数多くの伝説がある。壊した車両は約4680台(1話平均20台)、封鎖した道路は4万500か所、壊した家屋や建物は約320軒。派手な爆発シーンで知られ、使った火薬の量は全部で約4.8トン。ケタ外れのスケールが人気を支えた。 青春ものでは『俺たちの勲章』などが人気を集めた。当時は学生運動も下火になり、情熱を失った“しらけ世代”が、松田優作さんや中村雅俊が演じる若者に共感したのだ。 その後、時代はバブル期に突入。刑事ドラマにも時代の華やかさを反映した軽妙さが求められ、『あぶない刑事』シリーズのヒットにつながった。※女性セブン2020年9月17日号
2020.09.05 16:00
女性セブン
石原プロ創立20周年記念のケーキのロウソクを吹き消す裕次郎さん(中央)と渡さん(右)
渡哲也さん 最後まで消えなかった石原裕次郎さんへの情熱
 8月10日、俳優・渡哲也さんが肺炎で亡くなった。78才だった。1964年に日活で俳優デビューを飾った渡さんは、1971年に石原裕次郎さん(享年52)が率いる石原プロモーションに入社した。1987年に裕次郎さんが亡くなると、渡さんは石原プロの二代目社長に就任。2011年に社長を退任するも、2017年に取締役に復帰した。「先代(裕次郎さん)に看板を汚さずに返したい」――。渡さんは生前、繰り返しこの言葉をつぶやいていた。「裕次郎さんは映画製作の大変さを痛いほど知っていたため、石原プロを一代限りで閉じることを望んでいました。しかし、渡さんは、まき子夫人や若手の俳優陣の生活を守るために、裕次郎さんに“背いて”石原プロを維持することに東奔西走する道を選んだのです」(映画関係者) ただ、その道のりは平坦なものではなかった。自分自身の病に加え、小林正彦専務(享年80)との決別、そして弟の渡瀬恒彦さん(享年72)が先立つ悲しみの淵に沈んだ。「渡さんは自分ががんになってもたばこをやめなかったけど、恒さんはがんで苦しんでいる渡さんの様子を間近で見て、たばこをきっぱりとやめたような人。そんな調子だから、渡さんは確実に自分が先に死ぬと思い、恒さんに遺言を託していたほどでした。恒さんが亡くなったときは、渡さんも肺気腫などの持病が悪化していた時期で、その頃から会社の清算について、本腰を入れるようになりましたね」(前出・映画関係者) 渡さんは2017年に取締役に返り咲くが、これも会社を閉じるための動きだった。 今年に入って、裕次郎さんの遺品管理を行う団体を設立し、関連会社の清算も同時に進めた。そして、来年1月16日に石原プロの解散をすると発表する段階にまで漕ぎつけたのが、渡さんの亡くなる1か月前、裕次郎さんの命日である7月17日のことだった。かつて石原プロで常務取締役を務めた仲川幸夫さん(80才)はこう話す。「石原プロの看板を、裕次郎さんにお返しする来年1月まで生きられなかったことがご本人も無念だったと思います。生前、渡さんは『石原さんの自宅にある仏壇に手を合わせられない体になっちゃって、ほんとう不義理だよ』と、悔しい思いを口にしていました。どんな状況でも、裕次郎さんへの情熱は消えないかたでした」 解散より一足先に会いに来た渡さんを、裕次郎さんは優しく叱るだろう。その後、「哲、ようやく一緒に酒が飲めるな」なんて豪快に笑いながら喜んでいるのかもしれない。※女性セブン2020年9月3日号
2020.08.22 07:00
女性セブン
『大都会』ロケ中の1コマ(共同通信社)
石原軍団 裕次郎と渡哲也の人間性が男たちを引き寄せた
「株式会社石原プロモーションの商号を石原裕次郎の仏前に返還する」──そんな宣言とともに、2021年1月16日をもって58年の歴史に幕を閉じると発表した石原プロ。石原プロは、そもそも日活のスターだった石原裕次郎が1963年に設立したものだ。 1960年代には浅丘ルリ子や黛ジュンなど女性スターも所属していたが、映画の自主制作による負債が膨らみ、経営は窮地に陥っていた。 しかし1971年、裕次郎に心酔する渡哲也が加入。1972年に『太陽にほえろ!』(日本テレビ系、1972~1986年)で裕次郎がテレビドラマに進出したことで一気に流れが変わる。 高視聴率を叩き出した『太陽にほえろ!』でテレビの影響力を思い知った裕次郎は、活動の軸足を映画からテレビに移していくことになる。そしてこの頃から、寺尾聰、神田正輝、舘ひろし、峰竜太など続々と若い俳優たちが裕次郎、渡のもとに集まり「石原軍団」が形成されていく。 ビジネスライクな芸能事務所も多いなか、石原プロは「男気」でつながっていたと、芸能レポーターの石川敏男氏は言う。「石原軍団は裕次郎さんに惚れた人間の集まり。さらに裕次郎さんを支える渡さんの背中を見て、また惚れる者が生まれた。舘ひろしさんは出会いから今に至るまで渡さんを『親方』と慕っている。 私が女性誌記者をしていた頃、渡さんが温泉に入っているところをグラビア撮影する仕事があったんですが、いきなり裕次郎さんが『哲ひとりじゃつまんないだろ』と裸で入ってきた。本当にサービス精神旺盛なんです。裕次郎さんに一度会うと、みんな好きになってしまう魅力があった」 1973年入社の神田正輝は、レストランで裕次郎にスカウトされたと伝えられている。『太陽にほえろ!』のプロデューサーだった岡田晋吉氏が言う。「裕次郎さんは『あいつを何とかスターにしたい』と、神田さんに目をかけていた。彼の軽さやコメディタッチのセンスは『太陽にほえろ!』に新しい風を吹き込んだ」 裕次郎と神田の絆は深かったようだ。『太陽にほえろ!』で新人刑事“ロッキー”を演じた木之元亮も証言する。「当時、神田さんと飲む機会がありました。印象に残っているのは『僕は最後まで社長についていく、何があっても社長についていく』と言っていたこと。裕次郎さんとの深い信頼関係を感じました。 裕次郎さんは軍団ではない我々にも優しかった。『太陽にほえろ!』では、七曲署のセットの前にいつもマイクロバスを改造したボス用の控室が停まっていて、出演者はそこに挨拶行く。ある日『ロッキー入れよ』と中に呼ばれたんですが、いつも緊張しっぱなしなのが伝わったのか、『これでも飲めよ』と缶ビールを開けて僕に渡すんです。朝の8時頃ですよ(笑い)。今の現場じゃ考えられないけど、男としてのスケールの大きさに感動しましたね。他の出演者たちも同じような経験をしているはずです」 石原軍団は餅つき大会や忘年会で、スタッフやメディアを盛大にもてなしたことでも知られる。裕次郎と渡の人間性が男たちを引き寄せたのだ。※週刊ポスト2020年8月14・21日号
2020.08.07 16:00
週刊ポスト

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