湯口栄蔵の指示は、左ウィングの杉山にきちんと伝わっていなかったため、彼を起点にチャンスが生まれていたのだ。一方で、惜しいシュートを放った釜本はベンチの意図を理解していた。岡野コーチはこう述懐している。
〈釜本がわれわれのほうに近づいたとき、両手で輪をつくって並べ、“引分けをねらえ”と合図。釜本はニッコリ笑ってうなづく。その後、釜本が独走し、GKのとび出したところをロブ性のシュートをする。これはバーにあたる。こちらを見て、“うまいでしょう”というように笑う釜本〉(同前)
岡野コーチはそう解釈していたが、釜本自身は内心冷や冷やしていたようだった。
〈上にそれると思って蹴ったつもりだったんですが、ボールが思ったところより下にいってしまい、バーに当たったんです〉(『新潮45』2010年5月号)
ベンチは引き分け狙いを指示したが、チャンスを何度も作ったことからして、ロシアW杯のポーランド戦と違い、後ろでボール回しをするような具体的な作戦を取らなかったことは確かなようだ。
それでも、結果的に引き分けに終わったことは予定通りではあった。長沼監督は試合後、こうコメントした。
〈引分けになると準々決勝でフランスと当ることになり、かえってよい組合せなので楽な気持で戦った。準々決勝の相手フランスはスペインと同程度の相手なので勝つ可能性は十分ある〉(朝日新聞夕刊・1968年10月19日)
エース・釜本も同じようなことを言っていた。
〈引き分けは日本の予定の行動です。もし勝ったら地元のメキシコと戦わなければならないところだった〉(スポーツニッポン・1968年10月20日)