◆パトロンが自由な研究や創作を支えた
奈良岡:大学にいる研究者の立場からすれば、彼らの多くが学問や文化のパトロンになっていたことにも興味を惹かれました。
出口:日本の林学の礎を築いた本多静六という学者を援助した土倉庄三郎、パリで藤田嗣治を筆頭に日本人画家のパトロンをしていた薩摩治郎八などが典型ですね。
奈良岡:彼らは「ばーんと金をやるから、自由に研究をしろ」とパトロンに言われて、ばりばりと成果を上げていく。今の大学では何かの研究をしようとすると、細かな書類を山ほど書かなければなりません。だから、この自由さにはうらやましいものがあります(笑)。
出口:功罪はあると思いますが、優れたパトロンを得た学者や芸術家が、とにかく自由に研究や創作を行うという文化が、時代を推進させていくエネルギーになっていた面があったのは確かでしょう。
奈良岡:ただ、一つ注意しなければならないのは、だからといって明治の実業家の生き方を、そのまま真似するのは無理だということでしょう。政子さんにしても、あれほどの教育を受けながら、結局は外交官の妻になるしか自己実現の方法がなかったとも言える。家父長制なので次男以下はすごく苦労したり、犠牲を強いられたりもした。そうした封建的な影の部分が背景にあったからこそ、責任ある立場の人が思う存分に力を発揮できた一面もあるはずです。
出口:もちろん、明治の実業家の生涯を知って、「あの時代が良かった」「昔は良かった」と彼らの生涯を礼賛する必要は全くありません。ただ、時代による様々な条件や制約の中で、このように伸び伸びと事業を展開し、思い切った人生を謳歌した日本人がいた、ということはもっと知られて良いことだと思うのです。そこにある普遍的な価値観を感じ取ることには、それなりの意味があるでしょうから。